銀の道ぶらり旅 三次市布野町〜三次市三次町 2016/10/15(土) 広島県三次市
銀山街道(尾道ルート)日本遺産に申請 !
2017.02.03 Friday
江戸時代、石見銀山で産出した灰吹銀を銀山街道を利用して運んだ道、
いわゆる「尾道ルート」を日本遺産認定を目指していた
大田市、美郷町、飯南町、三次市、府中市、世羅町、尾道市などの関係市・町は
2月2日、文化庁に日本遺産認定を申請、受理されました。
4月にも認定の可否が判断される見通しです。28日 日本遺産ならず。
行程 12.4km
三次市役所布野支所→町上大橋(布野川)→常夜燈→布野宿→福泉坊→毛利尼子古戦場(二井殿)→知波夜比売(ちはやひめ)神社→
馬頭観音・塞の神・婦人魔のつつみ→真光寺・中村謙吉歌碑→橋本橋(戸河内川)→神野瀬川の渡し→稲荷神社(昼食)→
神之瀬原・三次温泉源地→山家一里塚跡→やまが産直市→宮の峡(かい)→三次人形発祥地→大歳神社→
→卑弥呼蔵・旧万寿乃井酒造の廃蔵→三次町フードセンター前駐車場・旭堤(近世土木遺産)・風季舎
広島、25年ぶり日本S進出!
◆マツダ クライマックスシリーズ セ 最終S第4戦 広島8―7DeNA
集合:三次市役所布野支所 13人の旅人 出発 10:15 |
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町上大橋(布野川)畦道は銀の道 | |
常夜燈 布野宿 58軒の家が並び、お客屋が二井屋(長岡宅)、 本陣が平林家、旅人宿として阿賀屋、塩屋、小原屋、 菅野屋等があり公用や商用の利用客でにぎわっていた |
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福泉坊 毛利・尼子の戦いの跡が残されている |
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知波夜比売(ちはやひめ)神社 三神…知波夜比売命 天細女(あめのうずめ) 布努豆怒(ふぬずぬ)命 |
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道標「右ハ日下 左ハみよし」 馬頭観音 古墳 塞の神 婦人魔のつつみ |
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真光寺 境内に中村憲吉の歌碑 山こえて 雨に来れる 檀那てら 昔の塀の 百日紅のはな 憲吉 |
神野瀬の渡し 神野瀬川の上流 高暮ダムと20km上に沓ヶ原ダムがある |
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稲荷神社 12:40〜13:00昼食 | |
放牧、ブドウ栽培している。 「三次温泉源地」の看板があった。 山家の一里塚 道の西側の塚は失われていますが東の塚には方形の石垣や塚及び 底部にある湧水の遺構が残っています 塚の上には黒松がそびえ「蟹足(かにあし)の松」の名で親しまれて いましたが松喰虫による被害のため枯れ現在は 根と塚だけが残っています 県史跡指定 昭和40年4月30日 |
やまが産直市 カープ情報 6対0 勝っている |
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宮の峡(かい) 銀の道 狭い断崖沿いの道となり、馬を落とした こともあり、銀を探しに川にもぐったいう 話が残っている。 三次人形発祥地 |
大歳神社 秋祭り神輿 高齢化で神輿の担ぎ手が減り、やむなく軽トラックに 載せて練り歩く地域が増える。 何とか伝統を守ろうと踏ん張っている。 軽トラには載せぬふる里の神輿 |
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大歳神社 | |
10/15・16 第十回三次町北の蔵プロジェクト開催! 広島県三次市卑弥呼蔵にて第十回三次町北の蔵プロジェクト開催! 旧 万寿乃井(ますのい)酒造の廃蔵を保存・再生・活用する 2016/11/18 国登録文化財にするよう答申 旧 万寿之井(ますのい)酒造の酒造蔵 明治初期に建てられた。木造2階建て、建築面積約300uで、 酒造を示すシンボルとなる煙突がある。西城川の右岸に位置し、 河港として栄えた三次の歴史を今に伝える。 |
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コスプレイベント | |
三次の土人形 男子が生まれると武者人形、女子が生まれると娘人形、 性別に関係なく天神人形を贈るという習慣がある。歴史は 古く、1854年に大森領祖式村の瓦師が浜田の長浜人形 の技術を習得し、良い粘土を求めて三次までやって来て、 宮の峡という所で土人形作りを始めたとされている。言い伝えで はもっと古く、1614年に三次藩主浅野公が江戸から人形師 を伴って帰ったという説がある。 土産:三次エゴマのかりんとうまんじゅう、泡雪 風季舎 解散 15:40 車内でラジオ聞く 17時 カープ日本S進出。田中MVP。 |
三原城下 三角形の石垣「水刎(みずはね)」は川の流れ変えて流れを弱める
安芸国・周防国 国境の川 木野川(このがわ)渡しに小林三角和久(さんかくわく)
備後国・福山藩 芦田川の中津原で直角に曲がった場所
旭堤(近世土木遺産)浅野堤 三次町は北は比熊山そして三方は西城川・馬洗川・江の川の三つの河川に囲まれ、 江戸期には水との闘いを繰り返しながら町が築かれました。歴代三次浅野藩は 88年間において10回ばかりの大水害のことを伝えており、洪水の度に被害が累積し、 堤防築造が三次町の死活問題であった。初代三次浅野長治をはじめ歴代藩主も 堤防築造に取り組んだものと考えられます。本遺跡は、都市計画街路事業旭町通り線 の新設に先立ち1991(平成3)年度〜1992(平成4)年度の2カ年にわたり 発掘調査を実施し検出した土木遺跡です。山から切り出した石(割り石)を積み上げた ものと川原石を積み上げた2種類の形態をもつ延長550m、高さ3〜4mの石積みの堤防で、 川の流れを変え、水勢を緩和させる目的で造られたと考えられる「水はね」も2カ所 確認しました。江戸時代に末期に築造されていたものと考えられます。石積みは道路下 に残すことができたうちの一部で、この上流の道路下に「水はね」が保存されています。 |
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西城川 |
銀山街道(尾道ルート)日本遺産に申請 !
2017.02.03 Friday
江戸時代、石見銀山で産出した灰吹銀を銀山街道を利用して運んだ道、
いわゆる「尾道ルート」を日本遺産認定を目指していた
大田市、美郷町、飯南町、三次市、府中市、世羅町、尾道市などの関係市・町は
2月2日、文化庁に日本遺産認定を申請、受理されました。
4月にも認定の可否が判断される見通しです。