古道を歩く「甲山〜宇津戸」 広島県世羅郡世羅町 2006/4/2(日) 2012/6/23(土)
「石見銀山遺跡とその文化的景観」世界遺産登録5周年
2012・6・23(土)太田庄歴史館
〜銀の道をもっと知ろう2012in世羅〜
【銀の道講演会&銀の道にふれる】行きました。
「大田庄」から「尾道」まで年貢などを輸送した往時の交易道を、
江戸時代には石見銀山道として銀を運んだ道を体験した。
「石見銀山遺跡とその文化的景観」07/6/28
世界文化遺産への登録を決めた。
ユネスコの諮問機関が登録延期を勧告し、登録見送りが懸念されていたが、
逆転で世界遺産入りが決まった。国内14件目。
世羅町の歴史は縄文時代(約6000年前)から始まった。
平安時代末期から室町時代にかけて、「備後国大田庄」があった場所。
11世紀頃世羅郡の有力豪族橘氏によって開かれたのが始まりとされる。
平安末期、当時勢力を誇っていた平氏(平清盛の五男重衡「しげひら」)に大田庄を預けた。
永万2(1166)年、重衡は後白河法皇に寄進し、荘園となりました。
壇ノ浦の合戦で平氏が滅ぶ、その後 文治2(1186)年、後白河法皇は紀州の高野山へ大田庄
を寄進、以後、大田庄は高野山領となった。尾道は大田庄から年貢米を運ぶ積出港として発展。
室町時代には高野山との関係が切れ、高野山領としての立場は消滅した。
江戸時代、石見から尾道に至る石州街道の宿駅として賑わった。
2015/12/20(日)
高校駅伝 史上2校目 世羅が男女アベック優勝
男子は2区でトップに立ち、そのまま優勝。
1950、51年に続く連覇で、大会最多9度目の優勝。しかも大会記録。
女子は8位入賞もなかった歴史の中、いきなり初優勝。
アンカーの向井優香、35秒差を抜き「男子だけじゃない」証明
集合:10時 場所:大田庄歴史館
午前中はシトシト雨、昼は前線通過で雷鳴、午後から晴れました。34人の旅人。
行程
今高野山山門→今市胡神社→世良彦八幡社(昼食)→鳥越え峠
善逝寺跡(薬師堂)→箱寺跡→空花庵跡→領家八幡社
集合
大田庄歴史館 |
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今高野山総門
(仁王門) |
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仁王門 木造仁王像
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仁王門 木造仁王像 | |
仁王門 扁額
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2012・6・23(土) 太田庄歴史館 〜銀の道をもっと知ろう2012in世羅〜 【銀の道講演会&銀の道にふれる】 仁王門に杯状穴 |
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中之町東町 だんじり収納庫ありました。 めずらしい藁屋根の家あります。 |
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今市の胡神社(下市側の) 今高野山の仁王門を境として 西側(芦田川上流)を上市、 東側(芦田川下流)を下市と呼ばれた |
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86番石仏 尾道から数えて |
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今市の銀山道 道幅7尺(2.2m) 版築方法でニガリで固めたと説明あった。 |
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世良八幡神社 浩宮徳仁親王殿下 御参拝記念碑あります |
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神社本殿の上には円墳ありました
世良会館で昼食 前線通過 雷鳴 |
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雷鳴 雨が降る
鳥越峠 一里塚跡 石仏 尾道まで続く |
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京楽の地蔵尊 | |
善逝寺(ぜんぜいじ)跡(薬師堂)
一の宮 宇津戸ふるさとみなおし会 案内板あります |
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敷地内にあります
宝篋印塔(ほうきょういんとう) 石造五輪塔 |
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露頭 現れる
貴重な地質でしょう |
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箱寺跡の石塔群 | |
空花庵跡 | |
領家八幡神社 宇津戸が中世「海裏庄(うづとしょう)」という 荘園であったころ、領家側の氏神として祭られたもので、 「領家」とは土地の所有主という意味のことばである。 宮の森(社叢)は 天然記念物に指定(昭和46年4月30日)されている。 全体写真撮影 |