きさ(吉舎)へ きんさい 広島県三次市吉舎町吉舎 2014/10/18(土)
にほん縦断 こころ旅
1136日目広島県三次市 放送日2022/11月15日
柴田晴代さんのこころの風景
幼い頃の忘れられない思い出
きょうの旅の目的地は、中国の大連から引き揚げてきた柴田さん
ご一家が約7年間過ごした広島県三次市の吉舎町。
銀の道 二日目の三次と三日目の甲山との中間地点。
銀のルートの中継地点にあたることから宿場町として繁栄しました。宿駅が設けられ、
海産物や砂鉄などの物資運送の荷駄や商人の往来で賑わっていました。一時は県北地域
38ヵ所の郡元として代官所などが置かれ、政治、経済、文化の中心になっていました。
現在も残っている商店街のうだつは、明治、大正の活気あふれる街道を彷彿とさせます。
街道の名残を味わいながら浪漫あふれる町並みを地元ガイドの説明聞きながら散策しました。
13:30 集合 休憩施設「吉舎ふるさとプラザ Xa104」 自己紹介、説明
13:55〜15:40 「吉舎町まちなか発見マップ」片手に散策
行程
吉舎ふるさとプラザ→巴橋・福六酒造の酒蔵・田中写真館→七日市通り→四日市通り
吉舎町の由来
日本書紀によると6世紀後半、全国に(きさいべ=皇后の所領)を置いたとあり、
これが町名のおこりと思われます。
吉舎村国郡志書上帳には、承久の乱に敗れた後鳥羽上皇が隠岐島流配の途中、艮神社
で一泊し「吉き舎かな」といわれたので吉舎の地名となったという伝説もあります。
吉舎町(きさちょう)はかつて広島県双三郡に存在した町である。
2004年4月1日に三次市と甲奴郡甲奴町、双三郡の全6町村(吉舎・三良坂・三和各町および君田・作木・布野各村)が
新設合併して改めて三次市が設置されたことに伴い廃止した。
「好きさ、本きさ、きさ町」
「よっしゃ吉舎」は、よーしやったるでぇ〜≠ニ 吉舎への願いを込めて名づけられました。
10/18 CSファイナルステージ第4戦 ● 巨人 4 − 8 阪神 ○
阪神が9年ぶりに日本シリーズ進出を決めた。
車では 71km 1時間20分で到着。 休憩施設「吉舎ふるさとプラザ Xa104」 土産:くるみのタルト、焼き干し柿 |
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『福六酒造』の酒蔵で、右手の大きな建家は、元郵便局 | |
国登録文化財 田中写真館 この建物は木造モルタル塗りで、昭和3(1928)年に、地元大工の吉川惣一郎が 大阪で当時の高い技術を学んで造り上げた。 玄関上の二階窓はカイゼル髭をかたどっており、当時の紳士の口もとを連想させる 玄関となっている。完成当時は、この地方で洋館が珍しかったため、遠方から 弁当持参で見物に来たという。また、屋上から吉舎の町並みを見渡すことができたため、 火の見やぐらとしても利用された。昭和初期の吉舎のシンボル的な建物ということにより、 平成9(1997)年12月12日に国の文化財建造物に登録された。 平成11(1999)年3月 三次市教育委員会 私立日彰館開校の地 日彰館は明治27(1894)年4月27日酒庫を仮校舎として授業を開始した |
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七日市通りでまず目に付くのは、もと寅見屋の袖うだつ。 | |
玄関先に屋号を書いた藍色のデニム生地 暖簾を掛ける カイハラ産業吉舎工場から無償提供を受けた。 |
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木の電柱は珍しい |
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御高札場跡 田中医院の所で左に曲がる東町通り |
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鏝絵 花上邸 | |
恵比須さん 巴座跡地:巴座は建坪367坪 1000人収容できました。大正2年〜昭和54年 |
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恵比須さん 吉舎中学校 |
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四日市通り 昔ながらの家並みがつづく |