銀の道ぶらり旅 飯南町・「赤来高原」道の駅から三次市室宿
島根県飯石郡飯南町・広島県三次市布野町 2017/11/3(金)文化の日
集合:三次市役所布野支所駐車場 9時30分 一般道路 100km 2時間20分
移動途中 広島方面へ約4km下った地点の八幡神社境内の旧藩時代の国境の碑を見る
移動:飯南町・赤名の道の駅 10時00分
2017年11月1日
全閣僚再任 第4次安倍内閣が発足
「赤来高原」道の駅に案内図 飯南町観光協会公式ホームページ
赤穴瀬戸山城跡
赤穴氏の居城として衣掛山に造られた中世の山城です。出雲・石見・備後の国境に位置することから
各時代を通じて重要な役割を果たし、江戸時代には堀尾家の重臣松田氏が入城、石垣を築くなどの
整備を行いました。現在地から登山口まで徒歩10分、登山口から本丸までおよそ30分。登山道が整備され、
本丸から赤名地域が一望できます。
城を舞台にした戦い
天文11年の戦いが赤穴瀬戸山城籠城戦
~尼子・赤穴軍VS大内・毛利軍~
尼子氏(安来市広瀬町月山富田城)と中国地方の覇権を争う周防国の戦国大名大内義隆は
天文11年(1542年)正月、自ら総大将となって尼子討伐の軍を興した。大内軍の襲来を前に、出雲の諸豪族が
大内方に降る中、赤穴氏(飯南町赤名尼子方)は尼子への厚恩に報いるべく大内軍との戦を決意する。
天文11年3月、赤穴攻略を前に石見国出羽二つ山城に集結した大内軍は毛利元就らの安芸勢をはじめ、
石見・備後の諸将を併せ、4万の大軍となっていた。これに対し赤穴氏は神戸川を堰き止め城下を湖水化。
尼子氏の本拠地月山富田城から援軍1千を併せ2千の兵で籠城戦を展開し、地の利を活かして大内軍を
翻弄する戦いを繰り広げた。2ヶ月に及んだ攻防戦の末、赤穴瀬戸山城の城主光清は戦死、城は開城したが、
出雲攻略の緒戦となったこの戦で大内軍は長期にわたって足止めしたことは、来るべく月山富田城における
決戦で尼子方を勝利へと導く要因となった。
赤穴瀬戸山城略年表
1377年(永和3)佐波常連が築城した。
1542年(天分11)大内義隆が率いる尼子遠征軍(陶・毛利など4万)
に包囲され、2ヶ月にわたる攻防の末、開城。
1562年(永禄5)再び尼子遠征軍(毛利元就ら)に包囲される。
(毛利元就は瀬戸山城を見下ろす武名ヶ平山に陣城を構築)
1600年頃 関ケ原の戦いの後、松田左近吉久は堀尾良晴から瀬戸山城
賜り入城。近世城郭への改修を行う。
1615年(元和1)以降
1国1城の後、しばらくして廃城となる。堀を埋め石垣を壊す
など徹底的な「破壊」が行われた。
伊能図 赤名~室
伊能忠敬e史料館DataBaseサービス
国境から室宿へ
八幡神社境内の旧藩時代 案内板あります
旧藩政時代の国境の碑
昭和36年11月30日指定 三次市重要文化財
位置 三次市布野町横谷字瀬戸238番地 八幡神社
規模 高さ 170cm 方 21と19㎝の角柱
享保5年(1720)に広島で製作したもの
沿革
旧藩時代、備後と出雲の国境として、また、
広島藩領と出雲藩領との境界の碑として国境に
建てられたが、明治20年(1887)県道改修工事の際、
新旧2基が現在地に移されまました。
当時移された2基の内、天保3年(1832)に作製された碑は、
平成19年6月24日、
布野町住民が進める出雲街道整備の(葉っぱ付着読み取れず)として、
赤名峠の県境へ移転復元しております。
享保5年に作られた初代の石碑は赤名トンネルから
広島方面へ約4km下った地点の八幡神社境内に保存
横谷郵便局から赤名トンネルへかつて除雪基地の上へ行った所
地元の方案内してもらう
左の「国境の碑跡」位置にあった碑
赤名峠の県境へ移転復元された
平成19年6月24日 国境の碑
赤名峠の県境へ移転復元された
天保3年(1832)に作製された碑です
行程 7.4km 旅人 8人
「赤来高原」道の駅→赤名の道標→瀬戸の一里塚→北野の馬頭観音→赤名峠→万右衛門の墓→熊地蔵
→番所跡→一里塚→室
探訪マップ 銀の道
「赤来高原」道の駅 10:10出発 |
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出雲国や石見国へ向かう人々に道案内 赤名の道標 安政三年(1856)に建てられたもの 「左ハ石州さけ谷 大田 大もり五百らかん」 「右ハとん原 まつ江 大やしろ一ばた 道」 赤名宿 銀山街道と宍道・尾道街道の交わる宿場町として発展した赤名。 赤名川原では新しい牛馬に銀を乗せかえる作業が行われました。 2008/10/5(日) 飯南町 第2回銀山街道ウォーキング |
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百年レールの駅舎 |
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瀬戸の一里塚 松江城と広島城のちょうど中間にある一里塚として 旅人に親しまれました。 赤名宿から瀬戸一里塚 1.5km |
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石ヶ坪 矢置石(やおきいし)の由来 馬頭観音 野見野 出雲風土記登場地 11:45~12:15 昼食 北野下研修センター 丹塗箭(にぬりや)神話と女神神社 |
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女亀山(女神山)に住む玉依姫は、赤い一筋の矢に姿を変えた大山咋 (おおやまくい)に触れて加茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)を身ごもりま した。そして、赤穴山(あかなやま)(篝丸山)で出産し、箭降森(やふらしのもり) (赤穴八幡宮)にお鎮まりになりました。丹塗箭(にぬりや)神話は、赤穴八幡宮 の創建神話としてこの地域に伝えられており、赤名という地名のもとになったとも 言われています。加茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)の誕生を祝った 「祝が原」、玉依姫が機織りをした「織野」、丹塗箭(にぬりや)が飛んできた 「来箭(栗屋)谷」などの名称がこの神話に由来するとされる地名、山など現在も 30か所ほど残っています。女神神社は玉依姫を祀る神社で、その創建年代は 明らかではありませんが、もと女亀山山頂に鎮座していました。昭和6年に女亀山 の中腹に移され、さらに昭和23年にこの近くの山に鎮座する北野天満宮境内に 移されていました。先祖の素朴な思いを地域文化の一つとして伝承しようと、二つ の神社は、平成23年8月にここへ移されました。北野天満宮には安永3年 (1744年 江戸中期)の棟札が残っています。 飯南町 |
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北野の古道 瀬戸一里塚から北野の古道 2.9km |
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国道54号から赤名峠入口へ | |
赤名峠 出雲国と備後国の国境 標高は600mを超え、銀山街道の最大の難所と言われました。 冬の峠越えは難渋を極めたと伝えられます。 北野の古道から赤名峠 2km |
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赤名峠から室宿へは 2017/4/22(土) 銀の道 ぶらり旅 飯南町・三次市布野町の境 赤名峠~三次市布野まで 13:30 室宿 到着 |
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土産 絹之峰(きぬのみね) 赤名酒造 「道の駅赤来高原」 紅将軍りんご |
2017/12/1
「ユーキャン新語・流行語大賞」年間大賞は
「インスタ映え」「忖度」のダブル受賞となった。
トップ10には「35億」「Jアラート」「睡眠負債」「ひふみん」「フェイクニュース」
「プレミアムフライデー」「魔の2回生」「○○ファースト」が選ばれた。