西国街道ぶらり旅 木野川(このがわ)渡し関戸宿2007/1/19(金) 
                                        広島県大竹市木野・山口県岩国市関戸

新聞の雑誌取材でモデルの一人として参加しました。

女性のモデルと賑やかな「ぶらり旅」でした。絶好の取材日和でした。

JR大竹駅

弥栄ダム工事採取した
ストーンアートした石。

大竹市のシンボル
「こいのぼり」

9時30分のバスに乗車

 

「中津原」バス停で降ります、100円。

@小林三角和久(さんかくわく)
木野(この)村を洪水から守る治水対策
として流れを弱める
三次浅野藩 三次町 旭堤(近世土木遺産)浅野堤
備後福山藩 羽賀の乗越え堤
備後三原城
和久原川にも三角形の水刎あります。

 

@福島堤防と呼ばれている

まき石護岸

木野村を洪水から守る治水対策

江戸時代の終わり頃から「ひな流し」が行われるようになった。
ひな流しデッキあります。

殿様のカゴを置いておく「ごじんじ」と
呼ばれる台がありました。

@説明板 解説聞きました。

木野公民館前

川渡し場跡の芝生ではパットパットゴルフが行われていた。

犬の散歩道でもあり糞が…。
気を付けました。

本陣門 A津屋の本陣門 増水のため川留め 殿様が宿泊に利用された
児玉さん営んでいた
薩州姫君様、昨夜高森泊にて、今日大橋御廻り。児玉屋ぇ御小休
今晩玖波御泊の由。」天璋院篤姫は、江戸城へ向かう途中、
この津屋本陣で休息

「岩邑年代記」嘉永六年(1853)9月11日。
町並み A安芸国 木野村

町並み

 

A醤油醸造の家
A厳島神社から木野村の町並み

向うに 周防(すおう)の国 小瀬(おぜ)村です。

A厳島神社

写真撮影の場所

Aわらじ・シューズ

カメラマン撮影

安芸国から周防(すおう)の国へ

洪水のたびに川筋が変わり、安芸・周防の国境の争いは絶間なくくりかえされた。

関ヶ原の戦い以降、負けた毛利氏(防長二州に減封)東軍に味方して功のあった福島氏・浅野氏
両勢力の境界線となり両国利害が衝突する。

B両国橋   長州戦争の激戦地

木野川(安芸国の呼び名) 大竹村

小瀬川(周防国の呼び名) 和木村

国境の川を渡ります。山口県岩国市に入ります。

県道及び一部の国道のガードレールの色は黄色。
山口県特産の
「夏みかん」の黄色に統一したものだそうです。 

C小瀬川の渡し口から

木野川渡し場を見る

 

C小瀬川の渡し口に一里塚跡。
「赤間関まで三十六里」

旧山陽道跡の案内板
岩国市教育委員会

C吉田松陰歌碑

安政の大獄で囚われの身となった吉田松陰は、
安政六年(1859)五月、江戸へ送られた。

C籌勝院(ちょうしょういん)

長州藩の遊撃隊の本陣がおかれていた。

遊撃隊兵士の墓があります

 

C小瀬の茶屋跡

殿様に休憩場所 渡し口から約100m設けられた。

嘉屋さんが営んでいた

D小瀬峠へ

「旧山陽道」の木柱

竹林の多い所である。

3人ずれ D小瀬峠

関々トンネルが出来 

車・人の往来ありません。

昼でも竹林 空が見えない薄暗い。一人で歩けない。

カメラマン:たくさん撮っていれば霊ある写真もあった。

E関戸宿

安芸国境の関所が置かれていたことに由来して「関戸」

本陣跡のカメラ撮影 ポーズ。

毎日、川西の岩国高校に通った
昔の娘さんに話しかけられる。

客(まろうど)神社の秋祭りに奴道中の話し聞きました。

南天の赤い実
13時20分

F錦果楼(にしきかろう)で昼食

宇野千代のハンカチ 薄墨桜

こよなく愛した「おはん」のふるさと

城下町岩国

F食事は錦帯御膳

岩国寿司
錦糸卵やレンコン、野菜などを味付けた具をすし飯
の上にのせ層を重ねていく豪勢な押し寿司。


清流・錦川の鮎はとりわけ香ばしく人気。

お土産は

F岩国銘菓 はす餅
れんこんを粉状に加工し、上質なもち米で作った
岩国レンコンは穴が九つで
吉川公の家紋と同じだった?

岩国市出身の人気漫画家、弘兼憲史。
「島耕作バス」に乗車
14時37分 関戸バス停 乗車 

JR岩国駅 15時07発乗車
モデルは錦帯橋で撮影する。

関連サイト

西岩国〜川西〜思案橋〜御庄宿〜関戸宿〜錦帯橋

錦帯橋に35年振り

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