銀山街道・三次市甲奴町宇賀から府中出口への旅
2016年10 月29 日(土)〜30日(日)広島県三次市・府中市
一日目は、まず甲奴町の宇賀で尾道道と分れ、石見大森代官所配下の 上下代官所(出張陣屋)へ。
上下は街道に面し、役人の往来や 大森銀山への諸荷物運搬など交通の要衝であり、
代官所支配の有 力商人による金融業も発展したことから、代官所を中心とした一 大宿場町として栄える事となった町です。
旧上下町をすぎて旧協和村の行縢(むかばき)、木野山と下ります。ここまでが一日目 の行程。約 20 qです。
二日目は木野山の協和公民館を出発し、この道の最大の難所坂根峠越えです。
近在ではちょっと有名な「坂根地蔵さん」ま でたどりつけば、峠越えもあと一息。
峠を越えれば荒谷を一路府中出口町をめざして下っていき ます。
荒谷と言われるだけあって、古道は山 が迫り転石の多い難路です。終着「恋しき」 まで約 12 q
笠岡を目指すルート 宇賀→上下→府中→神辺→笠岡
石見銀山で採掘された銀を笠岡港から大阪へ運ばれた
「銀山街道 宇賀〜笠岡」をダウンロードする(PDF:16.6MB)
10 月 29 日(土) 一日目 宇賀分れ〜協和公民館
行程 23km
集合・出発 8:30 宇賀の里→宇賀分れ辻堂→粟島神社→橋本 道標・地蔵堂→竹内 常夜燈→甲奴分れ 辻堂・道標
→上下歴史文化資料館(昼食・休憩)→上下高校入口→井永のエノキ→法界山産地直販センター→岡屋 薬師堂→岡屋 丹下家
→篠原 猫地蔵→斗升 八十八ヶ所地蔵→藩境碑→行縢(むかばき)遊友センター(トイレ休憩)→鬼ヶ橋岩→物書き岩→
千年橋→横谷川道標→ゴール17:45 協和公民館
三次市甲奴町宇賀 宇賀の里 距離65km 1時間で到着。 |
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三次市甲奴町宇賀郷下 宇賀の辻堂 地元では、郷地蔵(ごうじぞう)さんと呼ばれている 尾道ルートへはこちら 銀の道ぶらり旅 三次市吉舎(きさ)町〜甲奴町小童(ひち) 「銀の道を歩くたび」 |
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三次市から府中市 府中市上下町竹内 竹内常夜灯 |
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上下町上下 甲奴別れ 道標 |
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上下町上下 上下歴史文化資料館(昼食・休憩) 上下代官所跡の発掘調査2008/9/6(土) 広島県府中市上下町 石州街道の宿場町 上下町 2003/3/23(日) 2019年11月12日 (火)880日目 広島県三次市 こころ旅 2019 府中市上下町の翁座。大正時代に建てられた木造の芝居小屋 より出発 甲奴町(こうぬちょう)小童(ひち)の武塔(むとう)神社 |
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府中市指定天然記念物「井永のエノキ」昭和62年7月指定 法界山の麓にそびえるエノキは、ニレ科の落葉高木。 胸高幹囲約3m、樹高約16m、推定樹齢250年の古木で、 特に、南北に延びる長大な「板根」きわめて珍しい。 エノキは、古くから神霊が宿る木として崇められ、街道の 一里塚などにもよく植えられた。秋に熟れる赤褐色の実は、 甘みがあり食用になる。上下と府中を結ぶ道は、江戸時代 には石州街道と呼ばれ、往来する人々や物資で賑わって いた。福山から石見(石州)の大森銀山(島根県大田市)に 通じるもので、府中・上下・吉舎を経由した。上下には、 元禄13年(1700)に幕府の代官所が置かれた。享保2年 (1717)には大森代官所の出張陣屋となり、幕末に至った。 平成17年3月 府中市教育委員会 |
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上下町井永 法界山産地直販センター |
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上下町佐倉 上下町岡屋 篠原 猫地蔵 |
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斗升町 岳山 741m |
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行縢町(むかばき) 行縢町と斗升町の境界 藩境碑「従是 西北 中津藩」 「従是 南 福山藩」 中津藩:九州豊前中津藩 享保2年2月(1717年) 豊前国の中津藩(現在の大分県)のとび領であった 神石22ヵ村甲奴12カ村安那2カ村36カ村2萬石余の 領地を治めるため小畠代官所を置いた 福山藩の国境 番所・代官所跡 備後国の国境跡 |
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行縢町 物書き岩 旅人が仲間に連絡するために書いた 伝言板。 |
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行縢町 鬼ヶ橋岩 木野山町 所々には民間信仰の名残り多くあります。 ゴール17:45 協和公民館 10月29日(土)カープ 日本シリーズ 日本ハムに2勝4敗 夢と感動ありがとう ホテル近くで交流 カラオケはパブリックビューイング |
10 月 30 日(日) 二日目 木野山〜坂根峠〜荒谷〜府中
行程 9km
スタート8:30 協和公民館→常夜燈→水没地蔵→狸地蔵堂→坂根地蔵(参拝・トイレ休憩)→坂根峠→茗荷丸降口→
茗荷丸入り口→荒谷集会所(トイレ・小休憩)→別両路 道標→菅茶山記念碑→平松神社・梵字岩→出口本陣跡→
恵比須神社→慶照寺→むくり屋根群→平の家 道標→ゴール12:40 恋しき
府中市木野山町 スタート8:30 協和公民館 |
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常夜燈・道標・地蔵 街道沿いに残っている |
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坂根地蔵(参拝・トイレ休憩) | |
坂根峠 標高450m 超えると荒谷町へ入る マスコミの取材。地元の方から故事・来歴説明していただく |
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伝説の地茗荷丸(みょうがまる)賑やかにカメラウーマン撮影 大軍を率いて瀬戸内地方(吉備・播磨を含む)を制圧した 素戔鳴尊(スサノオノミコト)が、中国山地を越えて出雲地方へ 進撃することになた、大部隊を率いての山越えには多くの問題や 障害がある事から、大半の兵士達(主として水軍)を故郷へ 帰らせる事になった。この地(坂根峠)で別れの宴を持つことになり、 辺りを見回すと一面に茗荷の花が群生していた、将兵達はその 茗荷を採り酒の肴として酌み交わし、夜を徹して友との別れを 惜しんだ所である。今でも『茗荷丸』と呼ばれ地元の人に親しまれて 居るちなみに 酒宴の夜が明けて、隊列は南北に別れそれぞれ の目的地に向かって粛々と進んだと言われている。 府中荒谷町 |
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平句 聞かしてもらう 京都のはやり唄を地方風にしたもので 府中の銀山街道沿いのみで 伝わっている 砕石場 鉱山掘削していた、飯場跡。 湧水処理場・鯉養殖場 送電線220KV広島東幹線増強工事資材置場 |
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荒谷集会所(トイレ・小休憩) バナナとおむすび2個 小腹が力を得る |
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別両路(わかりょうじ)道標 石州街道と雲州往還の別れ道にあたり、地名として残されている。 |
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菅茶山記念碑「荒谷即事」 野歩帰鳥を追い 遥かに澗水の源をきわむ 峯に当りて雲宿せんと欲し 客を迎えて石将(まさ)に言わんとす ■上(いじょう)孤犢(ことく)に逢い 林梢忽(たちま)ち一村 詩を敲して安まることいまだ得ず 環坐す老松の根(もと) 【大意】 野山を歩きながら巣に帰る鳥を追い、遠く小川の源までいった。 雲が山の頂上に当りそのまま動こうとはしない。 石は久しぶりの通行者となにか話したがっている。 土橋で道に迷った子牛と出会い、林の梢の向こうには村が 広がっていた。同道者と老松の根元にぐるっと座って、 ゆっくりつくろう。詩を推敲するができずに心がやすまらない。 |
府中市 出口通り
12年前 行きました
時代絵巻「府中巴祭り」・おいらん道中 2004/5/29(土)
上本町 〜 4年前に行った 恋しき 2階で昼食
「備後国府跡」国史跡に
備後国府跡 ツジ遺跡 2003/11/29(土)
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旅の楽しみ 昼食弁当
「銀の道を歩くたび」 2015/9/19(土)〜22日(火)江戸時代に石見銀山(島根県大田市)から
広島県尾道市まで約147kmを3泊4日で歩く。
笠岡を目指すルート 宇賀→上下→府中→神辺→笠岡 | |
宇賀 | 銀山街道・三次市甲奴町宇賀から府中出口への旅 |
上下 | 石州街道の宿場町上下町2003/3/23(日) 上下代官所跡の発掘調査2008/9/6(土) |
府中 | 府中市の石州街道のんびりウォーキング2003/3/18(火) 老舗旅館「恋しき」 2007/11/20(火) 時代絵巻「府中巴祭り」・おいらん道中2004/5/29(土) 備後国府跡 ツジ遺跡2003/11/29(土) 元町東遺跡確認調査2006/12/16(土) 健康への道100選「青目寺・七ツ池」2003/11/14(金) あじさい寺とオオムラサキの里2003/6/29(日) 八尾城跡八尾山頂(346m)ハイキング2003/5/16(金) |
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