石州街道の宿場町 上下町  2003/3/23(日) 2018年3月18日(日)

令和五年 天領上下ひなまつり2月23日(木)〜3月21日(火)

 黒木式犂の製作
・樹齢15年ぐらいのヒノキを冬に伐採(粘りがある)
・根元が曲がったヒノキを使用する(たてりに使用)
・犂の床は、栗の木を使用する
・丸太を製材(当時危険な作業)し、1年間乾燥
・犂大工3名で、年間2500挺製造(一人一日3挺)
・犂先の上に『へか』を打ち付けるが、その部位を
 『まいじょうのう』で、斜めにははつるのが手間
・豊年号は荒起し深耕犂、愛国号は掘り田浅耕犂
・中、四国へ出荷

上下町の田づくり
・稲刈りの後、深耕犂の豊年号で荒起こしする
・田んぼに水を入れる
・馬鍬(まんが)で荒かき、水合わせをする
・掘り田 浅耕犂の愛国号で土を細かくする
・代掻きを馬鍬(まんが)でした後、仕上げを
 とんぼで平らにする
・大きな田んぼは、牛3頭、犂3挺で行う
・犂を使う人は、みのを着用
 歴史の香り漂う吉田本店
ここは吉田本店です。蔵は江戸時代、母屋は明治初期に
建てられたもので、二軒の家が「うだつ(卯建)」を
重ねて一体化しています。「うだつがあがらない」は、
このうだつに由来しているのです。また、吉田本店
の黒漆喰のなまこ壁も、たまらない歴史を感じさせて
くれます。
旧瀬川百貨店
建築年時は不明であるが江戸末期から
明治初期にかけて建築されたものと
推測できます。外観は、黒漆喰塗込壁、
格子戸など重厚なつくりとなっています。
明治15年には「共同成章社」を設立し、
備後地方二番目の金融機関として繁栄
しました。
 府中市上下歴史文化資料館
明治初期に建築された旧岡田邸(岡田美知代の生家)を改築して
資料館とした建物です。道路側の外壁は当時のまま残し、内部は
在来建築材を可能な限り使用して当時のつくりを再現した建物
です。展示は、「岡田美知代」、「上下の歴史」、「上下に伝わる
民話」を中心に展示しています。
国登録有形文化財 翁座 


一階 部分公開
奈落(ならく)
舞台下にある、深く広い空間。翁座では、舞台の下手に、すっぽんに繋がる出入口があります。
(現在は、事故防止のため、見学できません。)

回り舞台(まわりぶたい)
芝居の場面を変化させるた
め、床を円形に切り抜き、回転させる舞台装置。
翁座の回り舞台は、直径5.6mですが、舞台裏の廊下が拡げ
られたため、現在は一部が切り取られ、固定されています。
創設当時は人力で動かされ、舞台上には切り穴があります。

花道(はなみち)
観客席を縦に貫いた舞台に繋がる。演者が出入りする道。翁座の
花道は、近年復旧されたものです。

すっぽん
花道の舞台寄り・七三の位置にある小さな切り穴。芝居では、
ここから、妖怪や幽霊などが登場・退散します。

桝席(ますせき)
現在は平席となっていますが、当初は、桝(ます)で
仕切ってあったと伝わっています。

折り上げ格天井(おりあげごうてんじょう)
観客席の上部の格天井は、舞台と客席との空間の一体感や、
引き締まった空間を造り出しています。
*格天井:角材を格子に組み、その上に板を張った天井

ぶどう棚(ぶどうだな)
舞台の天井に竹を縄で組んだもので、幕を吊ったり、
上から雪や花吹雪などを散らすことできます。

楽屋(がくや)
出演者用の楽屋。3〜6畳の小部屋に分割されていた大正時代の
楽屋の形式が残っています。閉館していた時期には、アパート
として利用されたこともありました。

二階 非公開
桟敷(さじき)
2階には、1階の客席をコの字に取り囲むように板敷きの桟敷席
が設けられており、創設当時の姿が残っています。

映写室
翁座の大きな特徴として、芝居と映画を併演していた頃に設け
られた映写室が残っており、舞台の上から、2つの映写窓を見る
ことができます。
また、翁座で使われていた2機の映写機が現在も保存されており、
そのうち1機は町民会館で展示しています。使用していた映写機
が現存する芝居小屋は、他にはありません。

擬宝珠高欄(ぎぼしこうらん)
柱に宝珠形の装飾がある欄干・手すり。翁座の2階桟敷の手すりは、
欅(けやき)造りで、京都の南座を模した見事な細工です。



銀山街道は銀も ワニも
 土人形も運んできた



2003/3/23(日)

府中市出口町からマイカーで上下町まで 約50km

県道 木野山府中線(石州街道)→福山上下線→国道432号

荒谷→別両路→坂根峠→木野山→斗升→矢野→上下

「石見銀山遺跡とその文化的景観」07/6/28
世界文化遺産への登録を決めた。
ユネスコの諮問機関が登録延期を勧告し、登録見送りが懸念されていたが、
逆転で世界遺産入りが決まった。国内14件目。

石州街道
銀の輸送には、大森から尾道まで全行程130kmを馬で運んで4日かかった。
尾道より海路 室津経由で大阪安治川橋船着まで11日〜13日くらいかかった。


大森(銀山)→堂原(駅)→別府(駅)→小原(銀付け替え駅)→浜原(駅)→九日市(宿泊駅)
→酒谷(駅)→赤名(銀付け替え駅)→室(駅)→布野(銀付け替え駅)→三次(宿泊駅)→
吉舎(駅)→(海路)→甲山(宿泊駅)→御調(駅)→尾道(宿泊駅)→航路→大阪(着)
 ↓
(陸路)
 ↓
上下→府中→神辺→大阪

JR上下駅から白壁のにあうロマンの町を散策しました(1時間半)

分水嶺の地。 瀬戸内海(芦田川)〜日本海(江の川)

幕府の天領として栄えた

6時間の行程でした。

   


2018年3月18日(日)
備後一宮〜天領上下町の歴史を巡る
行程
9:40福山駅北口バス駐車場⇒(10:10/11:10出発)備後一宮吉備津神社⇒
(11:30/12:30)昼食 恋しき限定メニュー145周年記念ランチ
⇒(13:10/15:00)天領上下町並み散策・ひなまつり JR上下駅→
代官所門・旧角倉家外門・本宅・上下キリスト教会(旧財閥角倉家の土蔵)
→真野資料館→上下歴史文化資料館(旧岡田邸)→上下画廊→旧田辺邸→吉田本店→
天領代官所跡→翁橋→末広酒造史料館→翁座→専教寺→JR上下駅

 翁座・専教寺・末広酒造史料館・上下代官所跡・旧田辺邸・上下歴史料館・
キリスト教会・真野資料館・旧角倉家外門⇒(15:00/16:00)自由散策⇒17:30頃福山駅北口




 旧角倉家外門
文政7年(1824)の建築で、四脚・楼門となっています。2階には見張り小屋がもうけられ、
窓は対比的な形の丸窓となっています。寄棟の屋根は桟瓦葺、背の高い棟飾りには
雲と波が描かれ、中央には家紋が入っています。その上には二対の鯱(しゃち)とともに
当時の角倉の栄華が偲ばれます。
白壁の道
上下は江戸時代、幕府直轄の代官所がおかれ、天領として栄えました。この地方の政治的
な中心地でした。とくに現商店街は、当時、様々な店が軒を連ね賑わいを見せていました。
現在でもそのころの威容を偲ばせる土蔵や町屋が並び、また白壁やなまこ壁、格子窓と
いった歴史的景観が、ロマンをかきたてる通りとなっています。 
 馬繋ぎの松
慶応元年(1865)11月に幕府は、第2次長州
征伐を命じた。福山藩は藩主、阿部主計頭
(正方)の率いる藩兵およそ800人が福山を
出発し、府中・上下・三次を経て粕渕
(島根県)に兵を進めた。途中、当専教寺に
本陣を置き慶応元年乙丑12月11日一泊した
ときの「阿部主計頭宿」の板看板が残されて
いる。この老松は、その時藩主の乗馬を繋い
だといわれ「馬繋ぎの松」と伝えられている。
幕末動乱の歴史を想像させる、
ゆかりの寺である。



水野家断絶時における所領分割
阿部時代は分割され、阿部藩(10万石)・肥後中津藩(2万石)・天領(3万石)



2003/3/23(日)
写  真   記  録
jyoge5.jpg (49610 バイト)  府中市出口町から
県道 木野山府中線(石州街道)から
坂根峠


 甲奴郡上下町水永にある南山古墳

交通路を掌握した豪族の墳墓。




分水嶺の地
「上下町」の名前の由来でもありますが、
町中にさりげなく「分水嶺」の表示があります。
分水嶺とは、降った雨が、たとえば、
日本海側と太平洋側に分かれる境目のこと。

JR上下駅は福塩線最高地点 383.74m
福塩線
は、1914年(大正3年)7月に両備軽便鉄道が
福山〜府中間で開業したのを始まりとし、
その後1935年(昭和10年)11月までに塩町から上下が開通し、
1938年(昭和13年)に府中〜上下間がむすばれ全線開通しました。
ゆるやかな川面に沿って、山あいから田園地帯を通り抜け、
市街地へと走るJR福塩線。みんなといっしょに歴史を刻み、
備後の備南と備北を結ぶ重要な交通機関。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時の威容を偲ばせる旧角倉外門
 

 

 

 

 

つちのこまんじゅうの門倉菓子店

 

 








白壁となまこ壁の続く石州街道沿い

旧岡田邸は記念館工事中
田山花袋「蒲団」のヒロインのモデルとなった
岡田美知代の生家











03/10/16(木) 上下歴史文化資料館 開館
 愛称「民話の郷(さと)」
町が生家を取得し2億5700万円で改装。
木造2階建て約710m2
「岡田家の部屋」「美知代の世界」「上下の歴史」

 

 

 

 

 

 

 

 

上下キリスト教会(旧財閥角倉家の土蔵) 

 

 

 

 

 

 

吉田本店
黒漆喰のなまこ壁が見られる二軒連結の商家














 

旧警察署(現 岡田屋)
見張り櫓をもつ明治初期の警察署
 

   08/9/6(土)上下代官所の発掘調査 帰り

宿場町散策した

  専教寺

慶応元年(1865)12月11日

本陣を置き一泊した

第二次長州征伐 
慶応2年(1866)6月3日
福山藩粕淵(島根県)に兵を進めた。
7月17日 長州軍総攻撃により敗北。

九代藩主 
阿部正方(あべまさかた)が繋いだといわれる松がある
正方は慶応2年6月3日に益田に入り
遠征中に脚気を患い帰城し、
11月22日、福山城で卒去します。
20歳でした。後嗣(こうし)がないため幕府へは喪を隠して
天守閣西北の「小丸山」の竹薮に仮埋葬をします。
慶応3年正月9日の未明、長州兵が福山城を攻撃開始。
福山藩儒で執政職に就いた関藤藤陰(せきとうとういん)は
「大義滅親論」を唱え藩論を統一したうえで長州との和議を
成立させ、福山城下を戦火から救った。 
 



 上下代官所跡(町役場)


幕府天領であった上下の代官所が置かれていたところです。
県の史跡指定を受けています。

 

2008年9月6日 上下代官所跡の発掘調査 現地説明会

 

 

 

 

 

石垣は後世に積み直されていると考えられる。

 

翁座
大正時代に建てられたもので、集会や芝居・映画の
上演など行われる劇場として賑わった。
保存料として200円。中を鑑賞、年3回位、
実際使用されている。

  2019年11月12日 (火)880日目 広島県三次市 こころ旅 2019
府中市上下町の翁座。大正時代に建てられた木造の芝居小屋
 より出発
甲奴町(こうぬちょう)小童(ひち)の武塔(むとう)神社

 翁座
2020/3/19(木)
国の文化審議会は、大正の終わりから昭和の初めに
かけて建てられた府中市上下町の芝居小屋「翁座」について、
国の登録有形文化財にするよう答申しました。

 

 

翁山城跡
町並みが一望できる、
12月〜1月世界一の夢のツリー。

 

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