備後国府跡 ツジ遺跡 広島県府中市 2003/11/29(土)


2016/6/17 「備後国府跡国史跡に指定

2005/11/16(水)
府中市元町の広谷公民館前駐車場発掘現場で三つの大規模柱穴発見(隅丸方形で一辺の長さ1mを超え)
見つかった。公民館現地建て替え断念。新公民館の完成後、発掘調査広げて遺構の全容解明の作業を本格化させる。

発掘調査 《現地説明会》 2003/11/29(土)14時〜

ツジ遺跡とは? 広島県府中市元町


ツジ遺跡は、1984年の広島県教育委員会による備後国府跡推定地にかかる第3次調査(305Tなど)や
1990年の市教委による調査(9001T)において、奈良〜平安時代(8世紀〜12世紀)の国府に関連する
南北に長大な掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)(東西2間(約3.3m)*南北7間(17.3m)以上)
や遺物が発見されたことにより、その存在が確認された重要な遺跡です。
その後のツジ遺跡周辺における調査においても、1m以上の大きさがある柱穴列(9901T)などの遺構が
確認されており、また須恵器や土師器を中心とした大量の古代の土器が出土しています。
中でも当時の高級品である緑袖陶器(りょくゆうとうき)の破片が広島県内でも極めて集中的に出土しています。
このような調査結果から、ツジ遺跡は国府の中心施設である『国庁(政庁)』に極めて近いと推定されています。

今回の調査では、奈良〜平安時代の掘立柱建物跡4棟(建物1〜4)、建物の一部と思われる柱穴が4本(建物5?)、
柵列・板塀と思われる6基の柱穴列のほか、井戸跡、東西方向の溝跡、調査区北東隅で直角に屈曲する溝跡、
小ピット群などが見つかり、その時代の遺構としては竪穴住居跡(住居1・2)、流路跡(大溝1)などが見つかりました。

まとめ
今回の調査地点はこれまでの調査成果もふまえて、やはり国府の中でも曹司(諸施設)もしくは舘(国府の官舎)の部分
であろうことが重ねて確認されたことになります。今後の課題としては、やはり、国府の中心施設である国庁(政庁)部分
の確定であると考えています。これまでの周辺での調査状況から、かなり国庁(政庁)に近い部分を調査しているのでは
ないかと思われます。

語句説明
国府」:当時の「国」の役所のことを指すだけでなく、政治的な中心があった場所、現在の県庁所在地のような意味で
もつかわれます。広島県の県庁所在地といえば広島市全域を指すように、備後国府とは府中市街地全域を指すといえます。
国庁」:国府の中の中心的な役所、今でいう県庁のようなものです。国庁(政庁)は、政務全般を統括し、
中庭で儀式をおこないました。区画された敷地を指すときは「国庁院」とも言います。
国衙(こくが)」:国府の中には、政庁以外にも税の徴収、戸籍の管理、都に送る貢物の収納など様々な部署が存在していました。
そうした多くの政務をつかさどっていた機関の総称が国衙です。政庁中心に形成された中核部分、官庁街が国が域です。

TOP

関連サイト

老舗旅館「恋しき」
時代絵巻「府中巴祭り」・おいらん道中
安楽寺 サツキ寺
「青目寺・七ツ池」散策
あじさい寺とオオムラサキの里
八尾城跡(府中市)ハイキング
府中市の石州街道
新市〜府中市 散策

三郎の滝
前原遺跡 現地説明会
元町東遺跡確認調査(0601T)