古代山陽道  品治駅家(ほんぢのうまや)から安那(やすな)駅 2003/1/12(日)  広島県福山市

奈良時代から平安時代中ごろまで、都と大陸との玄関口・太宰府を結ぶ官道が整備されていた。
古代の旅人は
備後国府のあった府中から、品治駅家(ほんぢのうまや)JR近田駅東付近、
安那(やすな)駅 神辺御領付近、後月(しつき)駅 井原七日市付近へ続く。
みやこ まで10日余り苦難の旅をしたようです。

古代山陽道は
現在の県道「下御領新市線」あたりと考えられています
。周辺の遺跡など訪ねました。
JR福塩線 戸手駅→最明寺跡南遺跡→二子塚古墳→服部池→JR駅家駅→JR万能倉駅→
正戸山城跡→亀山遺跡→備後国分寺

約6時間の散策記録。

 

 

写 真  記 録・思 い 出 




 芦品郡新市町戸手

古代山陽道の峠道にある お堂。

 

 

 

 

 

 

 

県道「下御領新市線」と中世の山城跡
「法光寺山城」。

品治駅家(ほんぢのうまや)跡と言われている
最明寺跡南遺跡(中島遺跡)。

奈良の平城宮で使用されていた布目瓦が多量に出土し、
礎石と思われる石や中世の五輪塔も見つかっている。
福山古墳ロード(服部Aコース)



 福山市駅家町中島

二子塚古墳

 

6世紀後半に造られた全長60m余の、
備南では最大の前方後円墳

ブルーシートに覆われて一部見ることできた。

03/12/13(土)新市コミニュティセンタ− 説明会
保存対策の必要なデータ収集することを目的に
発掘調査を実施。
古墳築造工程・盛土断面興味深い。
文書ない 謎とロマンあった。

04/7/31(土)
第3次発掘調査 現地見学会
石室の規模がほぼ確定。全長14.5m

駅家から加茂の丘陵地帯は多くの古墳がある。
古墳時代後期にこの地域治めた豪族の墓。
この辺り国造(くにのみやつこ・こくぞう)居所
があったのかもしれません。
国造・・古墳時代に大和政権に任命された
地方の支配者
02年10月から12月 
測量調査 現地見学会 開かれた



人柱お糸の像

服部大池

農林水産省が設けた
「ため池百選」県内で唯一選ばれた


寛永20年(1643)起工  正保2年(1645)完成


備後の三大池の一つ
ほかに 瀬戸池 春日池 
          

 

 

 

 

 

人柱お糸の話し、春には桜で賑わう。

 

 

 
 

 JR駅家駅 
上から読んでも下から読んでも「えきや

万能倉(まなぐら)は品治駅があり多くの倉が
あったことから名がついたと考えられている

JR万能倉駅過ぎて

古い作りの家。

備後の国際的田園詩人『木下夕爾』の句碑。
「家々や 菜の花いろの 燈をともし」

小中高の教科書にも採用され、
全国の児童、生徒に親しまれている。
本名 優二。s40.8/4死亡

 

 

 

道標

菅茶山が筆を揮ったといわれる

正面
右ハふくやま道

右面
文政四辛巳天(ぶんせいよんかのとみ 天:年、1821年)春二月日 
施主当所定圓(じょうえん)」
左面
左ハかみか(が)た道
と彫ってあります
 

 

 

ゆるぎ地蔵。

 福山市御幸町

 

 

ゆるぎ地蔵。
江戸時代の悲しい物語が秘められています。
地蔵の前で武士が通行人を試し切りをした時
それを見ていた地蔵が台座の上でガタガタと言われ
「わしは言わぬが汝いうな」と武士をたしなめました。
それから10数年後その注意を守らず自分が
昔試し切りをしたことを仲間に話したその武士は
母を切られながら生き残り立派な成人した若者に
打ち倒されるというものです。享保11年(1726)
中条の車屋氏が寄進したと伝えられ、
毎年手厚い供養がおこ。なわれています




 昭和5年大演習 昭和天皇
御召列車臨時停留所跡

 

 

 





正戸(勝戸)山城跡
標高45m戦略的な要衝を占めた城塞である。
山頂に立つと神辺平野は一望の下で宮氏の居城
の一つとなり、毛利勢の攻撃受け落城。
S・5年 昭和天皇全軍統監した所
御統監之碑」があった。

650年前の南北朝時代 軍事の要所
1333(元弘3)年の鎌倉幕府滅亡の後、
60年にわたる南北朝時代では、南朝方と北朝方、
また室町幕府内部の争いが続いた。
軍事上の一つの拠点となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

県道は1町(約109m)ごとに
南北方向の小道と交差します。これは
古代の官道は直線の道路として造られる傾向。
奈良時代の条理制の名残だと考えられます。  

 

亀山遺跡 岡山神社

 深安郡神辺町道上
中世備後国最大の国人領主であった
宮氏が勢力持っていた。

 

 

亀山弥生式遺跡
弥生時代初期、この地方において最初に
米作りが行われたと思われている遺跡。

 

 

 

 

 

福山藩番所跡は池のほとり。



道しるべ

 神辺町下御領

備後国分寺跡
奈良時代に全国66ヵ所建立された国分寺の一つ
古代山陽道に面していた。














八幡神社にある道しるべ
もとは国分寺入口にあった

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