新市〜府中 散策  2003/3/2(日)  広島県福山市・府中市

古代山陽道の要所「戸手」を訪ねて 2016/11/26(土)

前日の雨も上がり 散策には少し熱い一日。

行程 約4時間の散策  古代山陽道、石州街道の面影を訪ねました。

戸手駅(JR福塩線)→四軒家地蔵→素盞鳴神社→吉備津神社→十輪院→

日本一石灯籠→しにせ旅館「恋しき」→首なし地蔵→JR府中駅

その他 府中の名所は次回にしたい。石州街道

メーンストリート「石州街道出口通り」名付けた 06/1/10(火)

府中市出口町の旧「銀山道」愛称決まる

石州街道
銀の輸送には、大森から尾道まで全行程130kmを馬で運んで4日かかった。
尾道より海路 室津経由で大阪安治川橋船着まで11日〜13日くらいかかった。

「石見銀山遺跡とその文化的景観」07/6/28
世界文化遺産への登録を決めた。
ユネスコの諮問機関が登録延期を勧告し、登録見送りが懸念されていたが、
逆転で世界遺産入りが決まった。国内14件目。




大森(銀山)→堂原(駅)→別府(駅)→小原(銀付け替え駅)→浜原(駅)→九日市(宿泊駅)
→酒谷(駅)→赤名(銀付け替え駅)→室(駅)→布野(銀付け替え駅)→三次(宿泊駅)→
吉舎(駅)→(海路)→甲山(宿泊駅)→御調(駅)→尾道(宿泊駅)→航路→大阪(着)
 ↓
(陸路)
 ↓
上下→府中→神辺→大阪
 
新設される「夢ほたる公園」・「おいでゃんせ通り」・出口川に架ける橋「せせらぎ橋」

最近の出来事
米国流のキャンプでヤンキースの松井秀喜は着実に状態を上げている。 

国連査察団は、安保理決議に違反する短距離弾道ミサイル「アッサムード2」について、イラクが同日、
新たに6基の廃棄に着手したことを明らかにした。

 吉備津神社(一宮さん)



08/4/11(金) 信岡家住宅(登録有形文化財)
江戸時代の大庄屋。西本願寺に納める備後表の
畳講の元締を務め、地域の浄土真宗門徒の代表的な
存在でもあった。「義倉」の創立メンバーで、
伊能忠敬が測量のために訪れたこともあるという。
江戸時代後期の「主屋」「東の蔵」「西の蔵」「炭小屋」
「井戸屋形」「中門と塀」と、
明治期の「長屋門」、昭和初期の「茶室と腰掛」。

信岡フラットミュージアム
 
 

四軒家地蔵 新市町戸手

堂の棟札には天和3(1683)年再興とあり
地域の人に大切にされている

 

 

 

 

 

 



今も往時の面影をとどめる石州街道と、
福山と府中を結ぶ府中往還が分かれる三つ辻の一角

石柱に「右ふく山、左上方」の文字。

戸手新八十八ヶ所霊場の一番札所。

 

素盞鳴(すさのお)神社 JR上戸手駅付近
通称「天王さん」と呼ばれ、素盞鳴命(すなのおのみこと)を祭神として祀り、
平安時代中期から祇園祭が始まったと言われています。
主な例祭としては7月に行われる「みこし合わせ」で有名な祇園祭と
風土記逸文に由来する「茅の輪(ちのわ)くぐり」があります。
05/10/6 の記録 新市町の古代ロマン 

03/8/8(金) 20時〜 茅の輪神事 大祓式(前日に撮影する)
茅の輪神事の起こりは奈良時代に編纂された
備後風土記に見ることができます。
それによりますと、風土記の冒頭に疫隅國社(えのくまのくにつやしろ)と
奈良時代の素盞鳴(すさのお)神社の呼び名が出てきます。
戸手の疫隅(えのくま)の里で繰り広げられた神話をかいつまん
でお話ししますと、
素盞鳴(すさのお)命がこの地方を旅されていた時、
世話になった蘇民将来(そみんしょうらい)に
「君は素盞鳴の神なり、後の世に疫病あらば蘇民将来の子孫と云って
茅の輪を以って腰に着けたる人は免れるであろう」といわれ、
民を苦しめた巨旦将来(こたんしょうらい)を滅ぼされ、
蘇民将来(そみんしょうらい)の一族をすくわれました。
この神話が基となり現在すべての厄除けの行事として、
茅の輪くぐりが行われています。歴史的には1300年ほど前から素盞鳴神社に
伝わる素盞鳴(すさのお)命と蘇民将来の祈りがこめられた
由緒あるお祭りです。
「水無月の夏越の祓する人は千歳の命延ぶといふなり」という
古歌を唱えながら、左回り、右回り、左回りと八の字を描くよう
に三度茅の輪をくぐり抜けます。これによって、災厄や疫病を
祓い清めるといわれています。
市内では、福山八幡・新市町の吉備津神社・鞆町の沼名前神社
などで毎年6月30日に、新市町の素盞鳴神社では
8月8日に行われています。
小童(ひち)の祇園さん  鞆の祇園さん
 

この付近は江熊の里と呼ばれたところ、古くは江隅とも記された。
江は入江であり隅はかたすみとも読める。
江ノ隅の読みから穴の海の入江
であったことが伺われる。
古山陽道奈良時代はこの辺りを通ったので海陸交通の要の地

となり人の
往来につれて市(江熊市栄えたところである)江ノ熊から西にたどれば
国府上川辺を経て安芸の国に至り北に川をたどれば水野山を経て
備後奥地になる、交通の分岐点であり海陸の際であり市の繁栄とくらしの
平穏を願った。蘇民将来(そみんしょうらい)の説の地でもある
 1786(天明6)年12月16日 福山藩天明の一揆が勃発。
天明の一揆の際に、農民たちが集結し結束を誓った場所

相方城 城門  

 
  相方城 城門の狛犬  
   相方城 城門の狛犬










吉備津神社  新市町

新市立石通りの道標
高さ1.19m・幅18cm*28.5cmの花崗岩を方形に整形し、
頭部をゆるやかな円形に造っています。
東面には「右 一宮へ八丁」、南の面には「左 石州道」
北の面には「左 上方道」と刻んであります。
西の面には「新市村中 世話人 宮内住□□」と記され、
この道標を建てるにあたり世話をした人が宮内の住人
であることわかりますが、
名前は残念ながら読めません。

この道標に隣接して1910(明治43)年に建てられた、
吉備津神社石柱(注連(しめ)柱)が一対あり、石州道に面したこの地が
、福山方面から一宮参道の基点となったことがうかがえます。

道標は、地域の歩んできた歴史を数多く語りながら、
ひっそりとたたずんでいることがうかがえます。

 

 

 

道路の反対側にある
一の宮の池が石橋がかかって雰囲気がいい

 

 

 

 

石段下の広場にある イチョウの木 樹齢800〜1000年といわれる

 

 

 

 

 

 

 

 

「地元では一宮(いっきゅう)さん」
本殿や狛犬は国の重要文化財に指定。
節分祭 全国でも珍しい「ほらふき大会」ほらふき神事
焚き火を囲んでほら吹き自慢
神事は神社周辺に市が成立した鎌倉末期から室町初期の
ころ始まったとされる
秋の市立大祭
昔の市が並ぶように今は露店がたくさんの人が訪れます、
しんいち鬼炎太鼓も毎年出ています。

03/1/16  300年 旧暦12/14に当たる
大石内蔵助 自筆の私信といわれる
書状署名と花押入り」展示

大石家の菩提寺である花岳寺
重用な書状は複数用意するのが通例。

お堂 

 お堂  府中市中須町

 

 

 

 

 

 

十輪院 府中町鵜飼町 
火渡り秘法

石州街道の家並み

家並み

 

 

 

 

 

 

金毘羅の大石灯篭 日本一大きい  府中市府中町

恋しき旅館直ぐそばにある、日本一と言われる、地上29尺4寸、
笠石の面積4畳半余りの、金比羅宮・石灯籠。三浦勘右衛門氏の
創始福山城主阿部伊勢守の家老代理を務めていた、
当所林新五郎氏が発起して、
金比羅宮を建立し、次いで日本一の大石灯籠を思い立ち、
天保の初めより着工、
前後8カ年の日子と近郷20ヶ町村の人夫2万余人の寄進と、
銀5貫匁の浄財とにより、天保12年12月之を完成した」
と記念碑に刻まれている。

 
しにせ旅館「恋しき」 

しにせ旅館「恋しき」  府中市府中町

1990年に廃業し、
所有者の土井正名さん夫婦が住み、庭や建物を守る。
04/9/17
国の文化財建造物に登録されることになった。
主屋とそれぞれ異なる趣のある部屋
菊の間、桐・さつきの間、竹・萩の間、桔梗の間など。
4棟の離れが登録される。
県内で登録された文化財建造物は73件になる。
主屋は明治初期の築造。切妻造、瓦ぶき平屋一部3階建て。
旅館名は客をコイ料理でもてなすのにちなんで

「鯉(こい)一式」をもじったと伝えられる。

木造3階建て
「お宿」「恋しき」と書いた古い行灯(あんどん)が格子戸によく似合う。
創業は幕末期。井伏鱒二、吉川英治ら多くの文人にも愛された。
05/12/26
1872年(明治5年)の創業当時のたたずまいを今に残す。
迎賓館として07年11月18日リニューアルオープン。
国の有形登録文化財である「恋しき」の保存、再建に向け、
地元財界の5人が新会社「恋しき」と名付け設立。 


銀山街道・三次市甲奴町宇賀から府中出口への旅
 恋しき 2階で昼食 2016年10月30日(日)

 
 首なし地蔵  府中市出口町
「首無し地蔵」語句の通り首が無くなっているお地蔵さん。
お地蔵さんに触れて、その手で自分の痛いところに触ると良くなると
いわれがあり信仰を集めています。

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関連サイト

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