福山市神辺町所在御領遺跡 2008/12/3(土) 2015/10/17(土) 広島県福山市
御領遺跡 2021・10 歴史散歩
井原鉄道の御領駅からは、北・東・南の三方を丘陵に囲まれた平野部が見通せます。
家が建ち並ぶそのほぼすべてが西日本最大級の集落跡、御領遺跡です。緩やかな丘陵に囲まれ、
高屋川が流れるこの地は、狩猟採集や農耕に最適な環境でした。人々は縄文時代から暮らし始め、
今も連綿と続いています。人々が暮らし続けた最大の理由は、この地が水運と陸運の交わる要衝であったことです。
内陸の印象が強い御領ですが、海が遠い存在ではないことは出土品が物語っています。
縄文時代の竪穴建物からは香川県産の安山岩の自然石や小片が大量に出土しています。
海を越えて届いた原材料をこの地で鏃(やじり)等の製品に加工し、川や陸路を使って内陸へ
運んだと考えられています。また、船が描かれた弥生土器は、愛媛県で製作されて運ばれてきたものです。
遺跡の西部で行われた2016(平成28)年の調査では、縄文時代晩期の竪穴建物から注口土器(ちゅうこうどき)
が2つ出土しました。西日本では出土例自体が少ない上、時代を特定できる建物跡から発見された貴重な資料です。
縄文時代の早い時期から東日本で多く作られていた注口土器には華やかな装飾が施されていますが、
御領遺跡の注口土器は極めてシンプルです。様々な文化が融合し、独自の文化に発展したものでしょう。
2020(令和2)年度末で本市の調査は222回を数えます。それでも新しい発見は尽きず遺跡の重要性は
増すばかりです。
御領の古代ロマンー見渡す限り古墳!
2016/12/20(火)
福山市の御領遺跡から2014年1月出土した国内で最も古い屋形船が描かれた土器の破片について、
壺の頸部に粘土を貼り付けた「突帯(とったい)」と呼ばれる装飾が見つかった
広島県の埋蔵文化財調査室は、今の愛媛県今治地方で作られたものだとする調査結果を発表
御領遺跡が弥生時代には海を越えた交易の拠点になっていたことが裏付けられたとしています。
御領発:古代ロマン遺跡と古墳2015/11/21(土)神辺町下御領 御野小学校
船の絵のある弥生土器
1 御領遺跡の船絵壺の特徴
@絵の大きさは,縦3cm、横11cmほど。
A土器は,弥生時代後期後半(2〜3世紀・約1800年前)。
B壺は「複合口縁壺」と呼ばれる貯蔵や運搬用の壺。
C船はゴンドラ形の準構造船。
D船首に竪板(波よけ板),船尾に旗竿と旗がある。
E船体の中央に屋形(船室・キャビン)がある。
F船尾に三本の操舵用の櫂(かい)(舵・かじ)がある。
2 御領遺跡の船絵壺の価値
@弥生時代の船で,全体がわかる例は少ない。
A屋形の表現がある弥生時代の船は全国初。
3 御領遺跡の船絵壺から考えられること
@御領の近くに大型船が着く港があった。
A瀬戸内海には大型船が行き来していた。
4 御領遺跡の船絵壺はどこで作られた?
@土器の形(複合口縁壺)から西瀬戸内(伊予・備後・安芸・周防・長門・豊前・豊後)で作られた。
よその人なら、どこの人か?
答えは、土器の形(複合口縁壺)にある。
複合口縁壺・・・壺の縁部が一旦開いて,内側に折れ曲る
複合縁壺の分布図・・・伊予・備後・安芸・長門・豊後の沿岸部
5 御領遺跡の船絵壺は何に使われた?
@大切なものを貯蔵する壺
A運搬用の壺
Bご贈答用の品を入れ,蓋をした壺
6 遠方に運ばれた複合口縁の壺
@弥生時代後期の北部九州の複合口縁壺は
主に日本海沿岸に運ばれている。
展示品
県下最大の「御領古墳群」の謎を考える
広島県の古墳数 県内:11255基 福山市内:906基 神辺町内:311基
When(いつ?):時間情報
・古墳時代後期
・6世紀〜7世紀
Where(どこで?):地域性
・広島県福山市神辺町
※備後国安那郡・・・
・神辺平野
※県内最大の平野部、遺跡の密集地。
What(なにを?):古墳の造営
・「群集墳」と呼ばれる小規模古墳群。
・一定の墓域内に多数の古墳が集中して築造。
・直径10〜20m程度の横穴式石室の円墳が主流。
How(どのように?):造営の方法
・古墳の選地
※死生観など
・墳丘の構築
※葦石や埴輪など
・(横穴式)石室の構築
・棺や副葬品の搬入
※追葬が可能
Who(だれが?):造営の主体
・一般的に、群集墳の被葬者は地位の首長の
支配下にあった下位の人々であったと考えら
れている。
・家長が亡くなると墳丘を築き、同世代の家族を
同じ石室内に埋葬された「家族墳」であると考
えられる。
※次の世代の家長が亡くなると、
近くにまた新しく墳墓を造営してされた。
・ただし、群集墳はその築造法や副葬品に画一
性がみられることから、中央集権(ヤマト政権)
の関与があるものと考えられている。
Why(なぜ?):造営の目的
・吉備(国)中枢部と中央政権(ヤマト政権)との関係
※吉備氏の反乱伝承
・地政学からみた神辺平野
※「遠交近攻」
橋頭堡?
「備中(きびのみちのなか)」
と「備後(きびのみちのしり)」の国境設定?
1 はじめに
財団法人広島県教育事業団事務局埋蔵文化財調査室では、国道313号道路改修工事に伴って
福山市神辺町下御領で御領遺跡の発掘調査を平成20年10月20日から実施しています。
この御領遺跡は、高屋川によって形成された沖積地にあり、
東西1.6km、南北1.4kmの広範な面積をを有する県内最大規模の遺跡です。
また御領遺跡は、井原鉄道建設は住宅の建設などに伴い発掘調査が行われており、
縄文時代から中世・近世に至る数多くの遺跡や遺物が確認されています。
今回発掘調査を行った地点は、御領遺跡の中でも西端部に位置し、
遺跡の西側を流れる堂々川の氾濫原に近接した地域に当たります。
2 調査の概要
今回の調査では、縄文時代後期末頃の竪穴住居跡1軒と土杭2基、弥生時代後期の土杭1基、
古墳時代前〜中期(4〜5世紀頃)の住居跡6軒、時代が明らかでない掘立柱建物跡4棟、多数の柱穴、
自然流路を確認しました。縄文時代の住居跡は、不整形な円形の住居で、柱は6本と考えられます。
また、この時期の遺跡からは、条痕土器などの土器類や石器などが出土しました。
弥生時代の土杭は、北半部が浅い掘り込みで、南半分は円形に深く掘り込められており、
南半部は井戸の可能性が考えられます。また、古墳時代前〜中期の住居跡は隅丸方形で、
各遺構からは高杯や小型丸底壷、滑石製有孔円盤、鉄製の鍬先などが出土しました。
主な遺構
3 まとめ
今回の調査では、縄文時代から古墳時代にかけての遺構を確認しました。
このうち、縄文時代の住居跡は、県内では御領遺跡で後期の住居跡が1例確認されているほか、極めて稀です。
また、古墳時代前〜中期の住居跡から多数の高杯や小型の丸底壷、滑石製の有孔円盤、
鍬先などの鉄製品が出土しており、集落において祭祀が行われていたことが明らかとなりました。
このように今回の調査では、御領遺跡西端地域における遺跡の状況が明らかとなるとともに、
県内でも調査事例が少ない遺構を検出したことで、貴重な資料を提供したといえます。
御領の古墳群を探訪 30人ほど
御領最大の横穴石室→子狐岩→村境岩・大狐岩→八丈岩
下御領古墳群 |
下御領古墳群 御領最大の横穴石室 |
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石室内部 | |
子狐岩 | |
大狐岩 | |
村境岩 下御領と上御領 | |
上御領下組古墳群 | |
古墳の一つ | |
右に大亀岩 左に鯨岩 真中に座禅岩 その向こうに 御領遺跡 左側にはアナの海 |