石州往来 坪生(つぼう)〜西浜(ようすな)〜笠岡 2002/10/9(水)

坪生(つぼう)は平安・鎌倉時代から 歴史あるところ。

坪生の地名の由来
条里制の最小単位である「坪」と開墾の先端地としての「尾」を結びつけ「坪尾」説が有力でした。
坪生の地から発見された布目瓦、かめ壷の破片などから
「壷の生産地」説がにわかにクローズアップされてきた。

「石見銀山遺跡とその文化的景観」07/6/28
世界文化遺産への登録を決めた。
ユネスコの諮問機関が登録延期を勧告し、登録見送りが懸念されていたが、
逆転で世界遺産入りが決まった。国内14件目。

「石州往来」と呼ばれ、石州(島根県)と笠岡港を結ぶ幹線道路であった。

坪生〜教積院(きょうしゃくいん)〜西浜(よすな)〜威徳寺〜笠岡代官所跡〜笠岡駅

約5時間のウォーキング。

坪生から 金浦〜笠岡は石州往来であろうと歩きました。

「大森の銀」 積みだし港は西浜(よすな)ではないかと思う、あるいは笠岡港か

いろいろ調べたが分からない どなたか教えてください。

秋晴れ、爽やかな一日でした。朝晩は涼しくなる。

 

最近はいい話しがない・・。元気出るダブル受賞

ノーベル化学賞を島津製作所(京都市)の田中耕一氏(43)受賞 発表された日。

授賞理由は「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」。

拉致の5人15日帰国」発表に日。

東証 一時8500円割れ。

昨日は

ノーベル物理学賞小柴昌俊・東京大名誉教授(76)受賞発表。

授賞理由は「宇宙ニュートリノの検出へのパイオニア的貢献」。
宇宙から飛んでくる素粒子「ニュートリノ」をとらえ、ニュートリノ天文学という新しい学問分野を築いた。


 坪生町     笠岡市

写  真  コ メ ン ト 
   

 JA坪生にある名所・旧跡案内図

神森(かんもり)神社

本殿の屋根は「香椎(かしい)造り
と呼ぶ独特なもの 

華麗な四方よせ棟。

   

 おつぼうさん

平安時代後期から鎌倉時代、坪生盆地を開墾、

経営した坪生氏の代々墓。

坪生荘大塚館跡
坪生荘は坪生町を中心に
笠岡市逢坂、有田、福山市大門、引野、春日町に及んでいた。

江戸野・鎌山の瓦は奈良・興福寺にも運ばれていた。
平成15/8/25奈良文化財研究所の調査結果一致した。

昭和63年に採取した大量の布目瓦などから
1.御領国分尼寺に使われていた。
2.京都の高倉宮屋敷に使われていた−など確認されていた。





 峠の番所跡

江戸時代前半の水野藩時代(80年間)は、

笠岡市と井原市の一部も水野藩領であった。

1698年水野氏断絶と共に再検地が行われ、

備中28ヶ村(約5万石)は、すべて天領となった。

それにより、この街道は国境となった。

坪生の番所も重要性を増した。














石州往来 茶店辺り

















 

西楽寺  

天平年中(729-748)行基菩薩開創、
弘安4年(1281)陶山氏により再建された。
銅製磬(どうせいけい)市重文
室町時代中期のもので、両端径20.5cm。磬は梵音具に属する
仏具の一つで、通常磬袈に懸け、法令の始まりと終りに
一度づつ導師によって打ち鳴らされる。
この銅製磬は山形をした孔雀文磬で、
表に蓮華撞座を中心に孔雀を対称に鋳出している。
また「奉掛磬一口」「二世安楽」「施主船曳徳右衛門宗平」
と刻銘している。 
  

石州往来と茶店跡
今は狭く感ずるこの道は、「石州往来」と呼ばれ、
石州(島根県)と笠岡港を結ぶ幹線道路であった。
かつては、海産物が人の背に負われ行き交い、
また石州・大森銀山からの銀の運搬路として
使われたであろう。
この路は、
中国山地から神辺、
国分寺を経て竹田川沿いに坪生に至る。
   

 県境(くにざかい)の道



笠岡市に入る


須恵器窯跡

 

 

 

 

 

 

 教積院(きょうしゃくしん)

元亨3年(1323)創建。


ここからは車では行かれない幅狭い坂がきつい

 



 有田八幡神社

 

 

 


笠岡十名山「神之峰」登山入口


 

 お堂
2017/2/16
辻堂は主に西日本で見られるが、福山には特に多く、
四方の壁がない形態が
目立つという。これまで市内で260程度を確認。建て替えや補修をして
引継がれてきたケースが多いという。
江戸期の儒学者茶山が地誌「福山志料」で、辻堂を「憩亭」と表現。
当時の福山藩に約600あると記している。
旧街道沿いに多く、「旅人の休み所として活用され、
今も昔もコミニュティーの
場」と見られる。
今回の調査は2017年度、日本遺産申請を目指す福山市が、
ストーリーづくりのため
進める歴史文化基本構想策定事業の一環。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

有田公民館と金浦中入口バス停近く

 

 菅原神社

吉浜村の氏神として水野勝慶が創建したと伝えられる。
県下では例を見ないアーチ型の石橋(眼鏡橋)がかかり
5月上旬に参道の池には数千株のカキツバタが咲く。

 

西浜(ようすな)

 

 

 


光明院辺り 海が見える 

ここで海産物が人の背に負われ行き交った?

 
 

  
 

ひったか」 市重要無形民族文化財
源平合戦が起源とされ約800年の歴史を持つ風物詩。
「火を高くたく」事から名付けられたという。
吉田川を挟んだ二つの山に300〜400個の提灯の明かりで
山肌に10m四方の絵を描く。
05/6/11(土)岡山国体のマスコット「ももっち」

 

 

おしぐらんこ
源平合戦を起源とする金浦地区に伝わる伝統行事で、
旧暦の5月5日頃の日曜日に金浦湾で行われる。
源平方、平家方の2隻の和船に別れ6人ずつが乗船し
スピードを競う。

 

金浦の国道2号線沿いにあった

 

 しゃこ丼の店

瀬戸内海、特に笠岡沖で捕れた

シャコは味が良い。

営業時間
11時〜17時30分 日曜日休み






シャコのむき身をフライにして

ごはんの上にのせ、卵とじにした

だし汁をかければ、シャコ丼の出来上がり。

750円。


 



 

笠岡港の力石















 

 

郷土資料館
市内各所の遺跡からの出土品を中心に展示している。
縄文時代の大島津雲貝塚、奈良から平安時代に
かけての大飛島洲の南遺跡は全国的にも有名。前庭には
沖仲仕が給金を決めるために、
力比べをするのに用いた力石が展示されている。

 





 

代官 井戸平衛門の墓





 

 

 

 

 

 

 


威徳寺
曹洞宗笠岡山威徳寺。元臨済宗の寺で鎌倉時代に
陶山義高が開基したとされる。
笠岡山は陶山氏が居城を金浦から移し
笠岡山城を置いた所である。
「いも代官」として親しまれた笠岡で没した
井戸平左衛門の墓があり、
今でも徳を偲んで参拝する人が後を絶たない。

 



代官所跡・小田県庁跡
現在の笠岡小学校一帯は代官所として
使われていたが、
廃藩置県により県庁が置かれることとなった。
犬飼木堂や、森田思軒の父森田左平らも出仕した。

 

笠岡代官所跡→鴨方藩


鴨方往来で岡山藩へ通じる

 

 

 

 

 

 

 
カブトガニの標本

 

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関連サイト

備中笠岡 散策