三和町の史跡散策  健康への道100選 広島県神石高原町 2003/12/1(月)

広島県神石郡三和町

三和町役場→亀岡八幡社→つつじが丘公園→固屋城跡公園→岩屋寺の山門

重い文学碑
「戦争はいやだ 勝敗はどちらでもいい はやく済みさえすればいい
いわゆる正義の戦争よりも 不正義の平和の方がいい」

広島駅貨物ヤード跡地計画白紙に・・。カープ新球場の期待なくなる。

地上デジタル放送開始。

やわらちゃん・谷選手 入籍。

敬宮(としのみや)愛子さま 2歳の誕生日。

11月29日 イラクで日本人外交官2人 射殺される。

「03新語・流行語大賞」発表
「なんでだろう」「毒まんじゅう」「マニフェスト」
トップテン
「勝ちたいんや」「バカの壁」「年収300万円」「ビフォーアフター」「へぇ〜」「こめ泥棒」「SARS」

足利銀行 一時国有化

 



水野家断絶時における所領分割
阿部時代は分割され、阿部藩(10万石)・肥後中津藩(2万石)・天領(3万石)

三和町役場

享保2年2月(1717年)
豊前国の中津藩(現在の大分県)のとび領
であった
神石22ヵ村甲奴12カ村安那2カ村36カ村2萬石余の
領地を治めるため小畠代官所を置いた跡である

明治2年6月藩跡奉還で中津藩小畠出張所同4年7月
廃藩置県で中津県出張所となった同11月深津県編入され
同5年6月には小田県(現在の岡山県に属し第7大区会議所
同11年2月広島県に編入が之になり郡制施行で同15年末で
神石郡郡役所が置かれたまた明治9年から同13年9月まで
福山警察署小畠分所も置かれた学制施行により明治6年7月
格致小学校が創立されて以来跡地の主たるものは学校用地
にあてられ幾多の変遷を経たが昭和30年3月来見小畠高蓋の
3カ村が合併したことにより同31年12月三和町役場庁舎が
竣工再び行政の要地として脚光を浴びるところとなった  
昭和54年3月 三和町

  亀山八幡神社の「ツガ」
大鳥居の右側にある巨木で推定樹齢300年以上、
根回り4.2m、高さ30mの巨木です。
「ツガ」は短命といわれ、
こうした大木は全国でも珍しく。
昭和56年4月広島県天然記念物に指定されました。

天然記念物  樹高41m、周囲5.6m、樹齢450年
 「モミ」の巨木ありました。 
亀山八幡神社
三つの間口を持つ三間社としては県内最大規模。
千鳥破風や唐破風など合掌形の装飾があり
重厚な構えを現在も見せています。
 
  町花「ツツジ」

4月から5月には15000本のつつじが公園全体をピンクに

井伏鱒二氏の書による碑があります。

つつじが丘公園にあります。
文学碑「黒い雨」
三和町で生まれ育った重松静馬さんの被爆日記や体験談を
もとにえがかれた、井伏鱒二氏の代表作「黒い雨」。
私たちに平和の尊さを教えてくれます。
小説「黒い雨」のモデル
重松静馬氏宅見ました。
第6回全国三和サミット 平成4年10月4日
04/1/19(月) 17年の歴史に幕。解散調印書に署名。
平成の大合併で町村名が消滅するため。
双三郡三和町は三次市、神石郡三和町は「神石高原町」。
各地の町の木ありました。
新潟県中頸郡三和村
京都府天田郡三和町
長崎県西彼杵郡三和町
広島県双三郡三和町
茨城県猿島郡三和町
  固屋城跡
元弘の乱(1332)から諸国の士の多くは、
山城を築いて参戦した。固屋城は、その頃(中世)の
山城の典型的なものである。当時馬屋原成宗は
馬屋原氏の隆盛発展を図り、固屋城を築造した。
その後、天正年間(1582年頃)山城廃止令によって
廃城となり山麓に屋敷を構えて移ったと伝えられている。 
 固屋城跡から三和の町を
   岩屋寺の山門
かつて中津藩の備後飛び領小畠代官所の表門であった。
明治4年(1871)に代官所が廃止され、
同6年ここに移築された門の桁上の蟇股の中に、
奥平家定紋の彫刻が見受けられる。

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