神辺は歴史の息吹がいっぱい2002/5/16(木)  2006/3/1 神辺町と福山市が合併 2011/1/6(木)

第1回福山知っとる検定 神辺町の関係した問題

(1)かんなべ ウッドフェステバルの名物となった巨大な食べ物といえば何か。

  答え=お好み焼き

(2)福山市神辺町にある江戸時代に参勤交代の大名が休泊した施設で、県の重要文化財に指定されている
  建物はどれか。

  答え=神辺本陣

(3)神辺城跡北側に広がる公園で、春には1000本の桜、梅雨の時期には600本のアジサイが咲くことで
  知られる公園はどれか。

  答え=吉野山公園

(4)江戸時代に渓流砂防工事で実施され国内最大級の砂留がある福山市神辺町の河の名前は何か。

  答え=堂々川

(5)神辺平野を一望する標高120mの黄葉山に築かれた山城で1335(健武2)年に築城されたと
  伝えられる神辺城の別名は何か。

  答え=道ノ上城

(6)「ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む」で始まる童謡「夕日」を作詩した神辺町出身の作詞家は誰か。

  答え=葛原しげる

(7)福山市神辺町の廉塾は国の特別史跡に指定されているが、江戸時代後期にこの塾を開いた
  朱子学者は誰か。

  答え=菅茶山


福山藩の砂留

 別所砂留を見に行こう!福山のマチュピチュ!?2015/12/6福山初の選奨土木遺産に認定

大谷砂留
2020年12月から2021年3月まで 福山市最大規模の砂留 大谷地区で
 195基もの福山藩による石造の砂留が発見された

普段は水量の少ない天井川。しかし、大雨が降ると暴れ川となり、
”どうどうどうどう”と土砂を押し流し、何度も洪水を引き起こしてきました。
堂々川の砂留
江戸時代に築造され現存。
土石流災害を防ぐ砂留
堂々川6番砂留」現存する砂留の中で最大。
正面をゆるやかなアーチ型。
鎧積(よろいずみ)法
表面を大型の割石で階段状に積み上げ、
背後に栗石や割石を詰めて固定させる。
階段状の石積みが鎧に似ていることからこの名が付けられた。
福山市津之郷町には本谷川砂留
2011/7/2(土)
ホタルがよみがえる美化活動

堂々川ホタル同好会」 桜の植樹や彼岸花の植栽といった、花と緑に対し
て顕著な緑化推進活動の功績が評価された。
2014/3/24 「みどりの愛護」功労で国土交通大臣表彰

日本一の6番砂留は、堤高13・2m 堤長55・8m
06/3/17
堂々川2番砂留ほか
国の登録有形文化財に新たに指定するよう答申した。
06/3/4(土)

6番砂留 

現存するもので国内最大級

2011/7/2 5番砂留
5番砂留
1835年頃の築造で、数度のかさ上げがされたことが石組みの違いでわかる。
4番砂留

江戸時代後期の築造。
3番砂留

天保3年(1832)に施工した。
積石に特徴があって層工したことがよくわかる

 2011/7/2 3番砂留

幅(堤長)30.2m。江戸時代後期から3回にわたってかさ上げした形跡がある。
最後は大正時代
2番砂留

2番・4番は、中央が凹んだ形をしている
1番砂留  
江戸時代の遺構である
提体は盛土で築造されていたため盛土部分
が左右岸とも流出
建造時は水の流れが違ったと推測され、現在の川と違う場所にある。
砂留の中で最も古い、1773年以前の築造と推定。両側が欠損しているが、
堆積した土砂の量から過去の功績を伺うことができる
砂留の目的
1.備後の穀倉地帯で藩財政の柱である神辺平野を守る
2.高屋川を経て芦田川に堆積する土砂が城下を巻き込む
 二次災害を起こすのを防ぐ。
寒水寺(かんすいじ)

山号=明尾山(あけおさん)
宗派=真言宗大覚寺派
本尊=十一面千手観音
四面地蔵

東西南北拝何 第23回 茶山ポエムハイク 2012/4/21(土)

 

蓮乗院(れんじょういん) 隣りは 二宮神宮寺

山号=恵日山(えにちざん)
宗派=真言宗大覚寺派
本尊=聖観音

第23回 茶山ポエムハイク 2012/4/21(土)
葛原匂当・しげる旧宅 06/3/4(土)

第23回 茶山ポエムハイク 2012/4/21(土)
葛原しげる生誕125年記念祭 2011/6/25(土)
 
葛原邸にて茶席 10:00〜12:00
葛原しげる生誕125年記念祭 2011/6/25(土)13:30〜福山市神辺文化会館

♪キューピーさん  キューピーさん  何にそんなに驚いて 大きなお目をみんな♪
♪ぱっとあけて  白黒させて立っているの♪
 
 文化会館ロビー展示
葛原しげるの思い出(写真・絵本・キューピーさんなど)

6月25日(同じ月 同じ日生まれ)
1884〜1961 葛原しげる    
童謡「キューピーさん」作詞 

1874〜1944 ローズオニール
キューピー生みの親
   
第一部 よみがえったオルガン
1、「しげるの体験」
輪読 小説「戦死」 

しげるは日露戦争で兄を失った家族の悲しみを描いた小説「戦死」入選して
賞金30円得たしげるは6歳年下の妹、照さんを元気づけようとその賞金で
オルガンを買ってあげたという。
オルガンは照さんの次女が譲り受け大切に保管。葛原文化保存会に寄贈された。
一部の鍵盤の音が出なくなっていたため修復再び音が出るようになった。

100年の時をこえてオルガンは再び語りかける
懐かしい、優しい音色だった。

2、歌声はオルガンの調べにのせて
とんび・キューピーさん・村祭・高屋第二小学校校歌・福塩線の黄色い電車・猿蟹合戦・

しげるは高屋小学校長の依頼で校歌を作詞した。塩飽姉妹は当時の校長の孫
八丈岩の鬼伝説 権と八
   
菅茶山記念館

菅茶山筆跡の道しるべ は川南の丙の道標を移築

「是より西九州道」「是より南ふく山道」「是より東上方道
菅茶山記念館
菅茶山像
伊能忠敬第七次測量 内弟子として尽力
大日本沿海與地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)
完成に尽力した

箱田良助 誕生之地にある碑 

神辺町箱田の旧細川邸の前に立っている
榎本武揚(えのもとたけあき)の父・伊能忠敬 筆頭内弟子)

  

箱田道中 菅茶山

箱田良助の略歴
1790年:箱田村庄屋細川家の次男に生まれた
1807年:兄と一緒に伊能忠敬に入門
1809年:第七次測量に参加
1812年〜第八次測量
1815年〜第九次測量
1816年:内弟子筆頭となった第十次測量を任された
1821年:「大日本沿海與地全図」幕府に提出
1822年:御徒士(おかち)榎本株を買い入籍
1823年:幕府天文方に出仕します
1844年:御勘定、旗本になりした
1860年:8月に没しました
同年の桜田門外の変を伝えた書簡で
「次男釜次郎は御軍艦操練教授方出役」と記しています
この次男が函館の五稜郭にたてこもり、のちに明治政府の
大臣を歴任した榎本武楊(1836〜1908)にあたります。

 

 
2011年1月6日(木) 広報ふくやま「歴史散歩」に掲載 訪ねる。
 曹洞宗新宮山龍泉寺 山門

神辺城跡の東の帰谷(かえりだに)
帰谷には龍興寺という寺がありましたが、水野勝成が福山城北
の吉津へ移転すると、その跡地へ龍泉寺が丁谷(ようろだに)から
移されます。
山門の入り口 左手に地蔵さん 
  右手には灯篭あります。 
  本堂
山門のとなりに鐘楼 
  鐘楼のとなりに 龍泉寺桜・・・菅茶山の碑
  龍泉寺境内の東の山裾にある墓地の中に目黒新左衛門秋光のものと
伝えられる墓があります。戦国時代、周防の大内氏と出雲の尼子氏による
中国地方の覇権争いが各地で始まり、神辺城を巡る攻防戦が1548(天文17)
年になると本格化します。尼子氏方であった当時の神辺城主・山名理興
(ただおき)は、大内氏方の先鋒の毛利氏などによって攻められて苦戦を
強いられます。この知らせを聞いた月山富田(がっさんとだ)城主・尼子晴久は、
家臣の秋光を救援に向かわせますが、天文18年9月になると毛利氏方の攻撃
に耐え切れなくなった理興は夜陰に乗じて城を脱出します。秋光が備後へ来援し
てみると、時すでに遅く、出雲へ逃げ延びる途中の理興に遭遇します。主君の命
を果たせなかった秋光は、面目がたたないとして、この地で自刃して果てます。
神辺城下の人たちは城を守るため出雲からはるばる来援した戦国時代の死を
悼み、自刃の日とされる10月15日を命日として供養しました。この墓は今も地元
の人たちによって祭り続けられています。
  廻りには臣下とされる五輪塔の墓があります。
 西福寺(さいふくじ)   山号=普門山(ふもんざん)

宗派=高野山真言宗
現在の場所に慶長年間(1596〜1614年)に奴可郡(ぬかぐん)中野村
(現庄原市西城町)から「胎蔵寺(たいぞうじ)」というお寺が移されますが、
元和5(1619)年、福山藩主・水野勝成が福山に拠点を移し始めるのに
伴い、福山城の鬼門鎮護のために城北の吉津(よしづ=現福山市北吉津)
へと移されました。そして、その跡地へ川南の岩田から「平等寺(びょうどうじ)」
というお寺を移し、その後「西福寺」と改称したといわれています。
   西福寺梅・・・・菅茶山の碑
寶泉寺(ほうせんじ)  山号=亀居山(かめいざん)

宗派=高野山真言宗
本尊=聖観音   
天長年間(824〜833年)の草創


「天明の義民」 顕彰碑
 天明の一揆の指導者とされる徳田村の庄屋、徳永徳右衛門の墓が境内にある。
   境内を電車が通り抜ける光景が見られる。
 1786(天明6)年12月16日 福山藩天明の一揆が勃発。
悲願の老中就任を控えていた、4代目藩主 阿部正倫(まさとも)は農民の要求を
丸のみし、犠牲者は出なかった。

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