別所砂留 (べっしょすなどめ)  2016/2/10(水)広島県福山市芦田町福田


2020年12月から2021年3月まで
福山市最大規模の砂留 “大谷砂留”大谷地区で195基もの福山藩による石造の砂留が発見された

“大谷砂留”の実態


 

 




2017/1/28(土)14時〜15時30分 ふくやま草戸千軒ミュージアム講堂
          「
わが国の砂防史における別所砂留の位置づけ」  

別所砂留の特徴
・地域住民による発見と整備
・一渓流(五入道川)に36基(うち、水通しを有する大型砂留14基)
・國頭家文書:宝暦14(1764)年には存在/天保11(1840)年の洪水で破損、修復
・様々な形式を採用(鎧積、アーチ、・・・)
・計測の実施(水準測量、3Dレーザースキャナ計測、ドローン空撮)

全国の主な砂防施設
年代・地域別…

別所砂留の価値評価
・構造物としての評価
@規模(大きさ):近世最大規模
A規模(築造数):短い距離に多数(12基)築造(堂々川6基、大谷6基)
B技術:地形、時代等に応じた様々な形式
・地域住民による保存と活用
@定期的な整備活動と修復
A啓蒙活動(見学会の実施、後継者の育成等)
B地域の活性化、まちづくり
→「別所砂留を守る会」の結成(2015年9月)
→土木学会「市民普請大賞」グランプリ受賞(2016年11月)

今後の課題
・実態の解明
3Dレーザースキャナー計測、ドロ―ン空撮の実施(四、八〜十番以外)
創設・崩壊・増改築の経緯解明(年代、箇所の特定)、形式選択の要因解明
・文化財への指定
国の文化財としての価値は十分にある
【砂防施設の文化財】
国重要文化財:2件(牛伏川フランシス式階段工、白岩堰堤)
国登録有形文化財:190件(福山市内:堂々川、鳶ヶ迫、内廣の計8件)
・維持管理の体制
民有地内の施設をどう維持管理するか?
・自然との共生
一定の管理は必要(生物的破壊):「災害は忘れた頃にやってくる」


2016/10/9(日)「全国砂留シンポジウム」聴講する。神辺文化会館

2016/5/12(木) 大谷山(401.3m)水系でも砂留を確認  「別所砂留」に続いて再発見 秋ごろ調査予定。

2016/3/26(土) 選奨土木遺産 認定後 初の見学会 芦田川の支流・有地川に注ぐ
          五入道川の谷約1kmに、36基の存在が確認されている。大規模が
          14、小規模が22ヶ所でいずれも石組み。江戸時代に、土砂災害から
          米や麦などを守り、藩の生産確保のため築かれたとも考えられている。
          一時期は山に埋もれた砂留群だが、有志で2009年から整備。やがて
          町内会の協力体制ができ、樹木伐採や林道整備、看板やトイレも設置
          してきた。「10番は技術的にも歴史的にも特Aクラスの価値」。
          鎧積みと呼ばれる4番砂留、両袖式の5番など見所も多い。
地域情報誌 ぷれすしーど 2016/3/25 掲載  福山初 選奨土木遺跡「別所砂留」 [電子書籍]



2016/3/29(火)

別所砂留は福山藩による江戸時代の大小様々な形態の砂留が、一渓流に30基以上、
良好な状態で現存している貴重な土木遺産であります。
竣工年:宝暦14(1764)年以前

福山のマチュピチュ!?
平成27年度 土木学会 選奨土木遺産  
福山初の選奨土木遺産に認定
  別所砂留を見に行こう!

約1qの谷筋に江戸時代の砂防ダム36基が現存
砂留とは災害時の土石流を防ぐために造られた砂防ダム。

福山リビング新聞社が運営する女性のための生活情報サイト載る 2016年1/30号
片手に持ち行きました。23km 車で30分程。

御婦人の二人ずれと会う。



第9回福山知っとる検定 1級
(10)
2015年度(平成27年度)、福山市のある史跡が本市で初めて土木学会の選奨土木遺産に認定されました。
地域住民の活発な保護活動が土木学会中国支部の目に留まったもので、2015年(平成27年)9月に選奨
土木遺産に認定され、12月6日には認定証の授与式が地元で行われました。では、その遺産とは次のうち
どれでしょうか。
@堂々川6番砂留 A金名の郷頭 B別所砂留 C草深の唐樋門


福山には藩政時代の砂防工事がある。
砂留工事は藩における重要な施策の一つであった。

神辺に堂々川6番砂留あります。

津之郷に親水公園(本谷川砂留) 、御趣法砂留(俄谷2番砂留)あります。



1番から14番から名付けられ砂留 堤の長さが16mから55mの大規模な石組み形式。

別所砂留
「小屋ヶ谷ひな浦山」あるいは「十三ヶ所」と呼ばれこの地には、
近くに比類ない「砂留」が原型に近い状態で残されている。
「ひな浦」は山の北側斜面を「十三」は砂留めの数を示すことばである。
また、「別所」は支配地内の保護地域、化粧領地・隠居地・庵の周辺など
を表し、池の近くの「垣手」の地字地名とともに中世初期の開発をうかがわ
せる。
この地方は江戸中期から干害、冷害、虫害など続いて農業の生産力が
低下する。生産力の確保のため取られた方法が土砂の流失を防ぐ「砂留」
工事である。
「ひな浦」の表面は粘土が多く含まれ土砂が滑りやすい。打ち続く土石
流を防ぐための谷間の石を集め「切り込み接ぎ」「石垣積み」の方法で大小
二十七ヶ所の「砂留」が作られ、工事中の享保七(一七二二)年の記録には
管理を担当する者の名が残された。
木々に埋もれる「別所砂留」は今も使命を担い続けており、福田史蹟探訪会
が始めた保護活動は、まちづくり推進委員会に引継がれ、今、学区民全体で
古人の叡智の復活と未来への伝達に取り組みを進めている。


                         二〇一三(平成二十五年)十一月
                             福山あしな商工会 青年部

坂は急です 杖持っていきます

10番砂留から北には 備後富士の別名 蛇円山(545.8m)を望める。

2016/2/21(日) 砂留整備に協力



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