千田街道を歩く 広島県福山市北吉津町〜神辺町 2005/9/12(月)

北吉津町の道標から神辺町川南丙谷池まで一里半。福山藩から京・大坂道に接続する街道。

現在、知る人ぞ知る 神辺から福山へ通じる最短コース道路。

行程
常夜燈・地蔵堂→両備軽便鉄道の名残り跡→千田大峠→一里木→湯坂の峠→西国街道接続

11日に行われた第44回総選挙(自民圧勝296議席)の翌日 歩きました。

藪路街道へ

北吉津町5丁目

道しるべ

従是東 京大坂道

奈良津町1丁目

奈良津:昔、近郷の物資が集まり船便にて都方面へ納め     ていたとか いわれる事からも奈良津の地名。

旭通りを左に入ります。

国道313号ガード下手前に五反田地蔵ありました

元和四年開眼

真言石造物
「光明真言字輪曼荼羅」という

背後の高台 昔、三郎山 今、南陽台住宅

国道313号は旧両備軽便鉄道をそっくり転用したもの

立体交差のガード
潜ると鉄道の名残り石組みありました。

1914年(大正3年) 両備軽便鉄道として
両備福山(現在の福山)〜府中町(現在の府中)間開業。
胡町駅:土橋の西、吉津駅:東保育所の西にありました。

1933年(昭和8年) 両備鉄道の両備福山〜府中町間が
国鉄に買収され、福塩線となる。
1935年(昭和10年) 福山〜横尾間を
新線に付け替え旧線は廃線

右側に艮神社
奈良津町3丁目

千田大峠(せんだおおたお)
江戸時代より神辺街道に位置し、
村の出入り口として重要な峠でした。

蔵王憩いの森」ハイキング登り口案内板あります


当時は村の出入り口に塞(さい)の神などを祀って
悪霊の進入を防ぐ風習
がありました。
ここ村境の峠という重要な場所でもあることから、
同じ意味に加え、先祖の霊を慰めるとともに、
もろもろの霊を祀り、より大きな功徳を願って、
三界萬霊塔(さんがいばんれいとう)、
法界塔(ぼっかいとう)、宝篋印塔(ほうきょういんとう)
を祀るなど地域の特別な霊域となっていました。
今も残るこれらの大きな石塔が、
当時の様子を物語っています。
千田町千田

一里木跡(いちりぎあと)
江戸時代、三街道の両側に江戸日本橋を起点として
一里(約4km)ごとに塚を築き、標識とした。
この一里塚はしだいに他の主要街道や脇街道にも
設置されるようになった。また、塚には
松や榎(えのき)を植えることが多かったため、
一里木などと呼ばれることもある。
ここ丸池のものは一里木と呼ばれ、
西国街道の脇街道である神辺街道沿いに設置され、
松が植えられていた。
なお、この一里木は京都三条大橋が起点となっている。

一里木跡

二本足の石は枝張りの松の支え石
馬繋ぎの穴の空いた石


五角形の石は田の神「社日様」
天照大神(太陽の神)・大己貴命(農耕の神)・倉稲魂命(食物の神)
・埴安媛命(土の神)・少彦名命(農耕の神)

常夜燈は天保六年刻んである

一里木の右に丸池 左の道へ歩きます。

振返って「千田大峠」

千田町千田

唐丸の坂 

掘られて坂はない

窯業工場入口に石碑がある

福山市から神辺町に入る

湯坂の峠
神辺町川南

右側に丙谷池(へどいけ)

左側 西国街道接続

菅茶山筆跡の道しるべ  神辺町川南の丙

「是より西九州道」

「是より南ふく山道」

是より東上方道

道路拡幅にともない福山に移設されていたものが
1997年に道標を移築。

菅茶山記念館(神辺町新湯野)にあります。

正面の山の上

吉野山公園は神辺城跡

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