特別史跡 彦根城跡 滋賀県彦根市 2024・4・14(日)

国宝彦根城
江戸時代初めに築かれた彦根城は、譜代大名井伊家を城主とし、日本を開国に導いた
大老井伊直弼もここを居城とした。明治になり、多くの城が壊されたが、彦根城の天守は
大隈重信の上奏があり、明治天皇の勅命により奇跡的に残った。彦根城は、昭和19年に
井伊家から彦根市に寄付され、昭和27年に天守 附櫓及び多門櫓が国宝となった。

彦根藩主 井伊家  井伊直政  徳川四天王
井伊家は、遠見国井伊谷(静岡県)の出身で、初代井伊直政は「井伊の赤備え」と称された
勇猛な部隊を率い、徳川家康の筆頭家臣として活躍、関ケ原合戦(1600年)の勝利に尽くした。
その功により石田三成の居城佐和山城を賜った。直政の没後井伊家は新たに彦根城を築き、
以来14代江戸時代を通じて一度の国替えもなく当地を治めた。藩領は30万石(幕府預かり米を
加えて35万石の格式ともいう)。徳川譜代大名の筆頭として、時には幕府の大老を務めて、
歴代将軍の治世を支えた。中でも13代井伊直弼は、日本を開国に導いた人物として広く知られる。

石田三成
石田三成(1560~1600)は、近江国坂田郡石田村(長浜市石田町)の出身で、豊臣秀吉に仕え、
太閤検地や刀狩などの政策を推進した一人である。また、五奉行の一人として秀吉没後の
豊臣政権を支えた。彦根にもゆかりがあり、1591年に秀吉直轄地を管理する代官として
佐和山城に入り、1595年には19万4千国を与えられ佐和山城主となった。しかし、関ケ原の戦い(1600)
に敗れて処刑された。そして、井伊直政が佐和山城主となった。

旧彦根町
彦根町は、彦根城下の親町の一つで、城下町建設以前にこの辺りに彦根村があったことから、
その名を受け継いだといわれている。「彦根」という名は江戸時代以前に彦根山(現在の城山)
に祀られていた活津日子根命(いきつひこねのみこと)に由来するという。彦根町は、明治22年に
彦根町大字彦根となり、昭和12年に彦根市彦根町となったが、昭和44年に、佐和町と元町に分かれた。



JR彦根駅→彦根市役所→いろは松(中堀)→佐和口→表御門跡(内堀)→
表門券売所→大堀切→天秤櫓→太鼓丸→本丸→天守・附櫓及び多門櫓→西の丸
→三重櫓及び続櫓→井戸曲輪→黒御門跡→楽々園→玄宮園→開国記念館→いろは松
→京橋口→夢京橋キャッスルロード→四番町スクエア→JR彦根駅

14日 イラン、イスラエル直接攻撃 大使館空爆への報復

 彦根城天守
 









オオトックリイチゴ【学名:Rubusxhiraseanus Makino】
オオトックリイチゴはバラ科のキイチゴ属の一種で、彦根城以外には
知られていない彦根城に固有の植物です。自生の「ナワシロイチゴ」
と中国・朝鮮半島原産の「トックリイチゴ」が、自然交配して生まれた
雑種と考えられています。6月に開花し、紅紫色の5枚の小さな花弁をつけます。
そして7月になると、淡紅色に熟した果実が実ります。
日本の植物学の父である牧野富太郎が明治27年に発見。その後、イチョウの
精子発見者として世界的に知られる平瀬作五郎(ひらせさくごろう)が
牧野の依頼で標本を作製し、牧野が学会誌に発表しました。学名には牧野と
平瀬の名が配されています。

天守に向かう途中にある天秤櫓の廊下橋のそば



17年前(2007年)に行った 「国宝・彦根城築城400年祭」


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日本百名城

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