長浜・彦根/「功名が辻」ゆかり地を歩く 
                                 滋賀県長浜市・彦根市 2006/4/1(土)

大河ドラマ「功名が辻」 原作:司馬遼太郎
主な登場人物
山内一豊:上川隆也  千代:仲間由紀恵  織田信長:舘ひろし  浅井長政:榎木孝明
豊臣秀吉:柄本明  徳川家康:西田敏行 明智光秀:坂東三津五郎

行程  
青春18キップ・15時間の旅
JR長浜駅(10時38分着)→一豊屋敷跡→長浜城歴史博物館→長浜八幡宮→舎那院→
大通寺→曳山博物館→黒壁スクエア→豊国神社→JR長浜駅(13時38分乗車)→
JR彦根駅(13時57分着)→彦根城(表門→天秤櫓→天守→黒門→玄宮園)→JR彦根駅(15時26分乗車)

「今浜」と呼ばれた町を「長浜」と改名し発展させたのは秀吉だ。
「織田治世が」長く続くように願って」という説、
「信長公の名前から取った」という説が有力とされている。

近江支配を行う秀吉の甥、秀次家臣団の一人として琵琶湖湖畔の町を統治
山内一豊は、二度長浜城主に就いている。
天正13年(1585)11月29日「天正の長浜大地震」一人娘の与禰姫が亡くなっている。

土産:内助の幸物語 ごまだれ餅   近江銘菓 びわ湖 こまんじゅう

土佐20万石の国主にまで上りつめた 一豊と千代
岐阜・関ヶ原古戦場 慶長5年(1600)9月15日 徳川家康(東軍)×石田三成(西軍)

秀吉亡き後、天下取りに動き出したのが家康だ。奉行の1人、石田三成を佐和山城に蟄居(ちっきょ)させ、
会津攻めを名目に大坂を出る。
一方で、三成は反家康派に檄文(げきぶん)を送り、また、家康に同行した諸将の妻子を人質に取るなどして対決姿勢を露わにした。家康は小山(栃木)で軍議を開く。
席上、一豊は掛川城明け渡しを献策。それをきっかけに諸将の心を一つにした家康は進路を反転する。

東軍と西軍合わせて約16万のつわものが激突した地が『関ヶ原』だ。合戦開始は午前8時頃。
一豊は西軍の吉川氏、毛利氏が陣取る南宮山の北麓に2000の兵とともに布陣した。

主戦場の後方とはいえ、両氏に采配一つで一豊にとって死地となる場所だった。だが、
両氏に動く気配はない。戦況次第で寝返ろうとする隊、中立を決めこむ隊など、西軍各隊の思惑はさまざまだった。勝敗を決定づけたのは主戦場の南、松尾山にいた西軍・小早川隊の寝返りだ。

開戦から約4時間、西軍は陣形を崩す。遅れて一豊隊も主戦場へ駆けつけた。戦功をあげることはできなかったが、一豊はこの合戦の後、家康へ忠誠ぶりが評価され、土佐国主に任じられる。


備中高松城 「功名が辻」ゆかり地


番組名:にっぽん百低山「伊吹山・滋賀」
シリーズ:にっぽん百低山, 吉田類のにっぽん百低山
放送予定日:2022年08月31日(水)12時20分〜12時43分
放送局:NHK総合

伊吹山(1377m)
にっぽん百低山 山高きが故に尊からず
「伊吹山・滋賀」

滋賀県の最高峰の伊吹山。そこはほとんどが草原という一風変わった山。
歩き始めるとすぐ草原が広がり、多様な花々が。
その数なんと1300種類以上!山野草から高山植物まで、
中にはここにしか咲かない貴重な花もあるという。
なぜそれだけの種類の花がこの山には咲くのだろう?
それには太平洋と日本海に挟まれた特異な地理的条件、
そしてこの山の独特な地質、さらに驚きの歴史が隠されていた…
 
【出演】吉田類,安蘭けい 【語り】浅野里香

山内伊右衛門屋敷跡
長浜城の内掘と外堀の間にあたり、当時は家臣団の
屋敷があったと伝わる。
一豊とその妻・千代が仲むつまじく「夫婦円満」に
「立身出世」していった事に
因み一豊と千代の夫婦像をイメージし建立。
長浜城 戦国合戦パノラマ展望台

伊吹山(1377m)関ヶ原古戦場・小掘遠州出生地
  姉川合戦城・鉄砲の里(国友町)

:佐和山城址・彦根城

西:琵琶湖・安土城址・比良山地

:竹生島・小谷城址・賤ヶ岳合戦場

秀吉出世城:長浜城
古くは今浜城といい、南北朝時代、足利尊氏の重臣で
「バサラ大名」として有名な京極道誉の家臣
今浜六郎左衛門が創築し、その後、
上坂氏が守将として在城したといわれている。
天正の初め、一国一城の主となった羽柴秀吉がこの地に
城を築き、地名を長浜と改め、城下町を経営して約7年間居城した。
天正11年(1583)4月の賤ヶ岳の戦いには、
ここを根拠地として大勝し、威名を天下にとどろかせた。
天正13年から同18年まで山内一豊が在城、慶長11年(1606)、
内藤信成が入城し、その子信正が元和元年(1615)摂津の
高槻城に移された。
市内大通寺の台所門、知善院の表門、彦根城天秤櫓は、
長浜城の遺構と伝えられる。
現在の長浜城は昭和58年(1983)に再興された
天守閣であり、長浜城歴史博物館となっている。
長浜鉄道スクエア
船板塀
長浜曳山祭の山車

孔雀山(神戸町組)

妙法寺

豊臣秀勝の墓

長浜八幡神社
”八幡さん”の名で親しまれる長浜の氏神様。
舎那院
弘仁5年(814)弘法大師が開いたと伝わる古刹。
曳山蔵 「御堂組」
大通寺
天正時代のはじめ、町の寄合道場として開かれた
のが最初といわれる。
大通寺

脇門として「台所門」があり、
扉金具裏には天正16年の銘がある。

大通寺

正面の下にお椀型をしたまんじゅう金具がある。

曳山博物館
秀吉が始めたという「長浜曳山まつり」は
日本三大山車祭りの一つ。
祭りは毎年4月9日に始まり、14日長浜八幡神社へ向い、
15日にクライマックスを迎える
黒壁スクエア
北国街道を中心に、
江戸時代の面影を残す町並みを生かしたガラスの町。
豊国神社
長浜城主を務め、町の発展にも尽くした秀吉を祀る
JR長浜駅

秀吉公と石田三成公 出会いの像

彦根に行きました

近江八景

彦根城
二重の濠に囲まれた城郭がほぼ400年前の
姿をとどめる天下の名城です。
初代藩主井伊直政(1601)より14代藩主井伊直憲(1860)
に至るまでの260年間一度も国替えや城攻めもなく、
いまなお彦根の象徴とし35万石の気高い雄姿を誇ります。

天秤櫓(重要文化財)
表門から坂を上がって行くと廊下橋
(非常時には落とし橋となる)が見える。
この橋を中央として左右対称に
建てられているのが天秤櫓である。

長浜城の遺構と伝えられる。

天守
いくつもの屋根様式を巧みに組み合わせた美しい曲線
の調和をみせ、どっしりとした牛蒡積と呼ばれる石垣の
上に三層三階の天守がそびえている。

 

天守
京極高次が築いた大津城から移築されたといわれ、
慶長11年(1606)に完成した。
天守の中に入れば、通柱をさけた造りや隠狭間など
内部の細かな配慮が見学できる。
昭和27年国宝に指定。姫路城松本城犬山城とともに
国宝四城の一つである。
また、築城以来5回目の大改修が平成8年に完了。
現代に美しく蘇った。

2015/5/15(金)
松江城天守 国宝に
天守の梁
天守より東には 伊吹山(1377m)
西の丸
黒門
玄宮園

楽々園の東隣に造られた井伊家の旧下屋敷の大名庭園。

名の起こりは、唐(中国)の玄宗皇帝の離宮
にならったもので、その造りは近江八景を取り入れた
ということから八景亭ともいわれる。
池泉回遊式の優雅な庭園で、四季折々の風情があり、
池越しに眺める彦根城は一幅の絵を見ているようだ。
すばらしい
訪れた甲斐がありました
いろは松

松並木で、47本あったのでこの名が付けられた。

中濠ぞいの桜が美しい、でも ツボミでした。

JR彦根駅

15時26分乗車

国宝・彦根城築城400年祭  07/4/5(木) 10時40分〜13時30分

2024/4/14(日)特別史跡 彦根城跡  

JR発足20周年・青春きっぷ

8,000円

 

表門に向う中濠の沿道の松並木

47本あった「いろは松」

馬屋

天守

井伊家ゆかりの御好屋形船

お堀めぐり

大人1200円

天守 

登城 待ち時間60分

マスコット「ひこにゃん

 

特別展

「ワダエミの衣装展」

西の丸三重櫓

屋形船乗場

玄宮園前船着場

屋形船
井伊直弼が青春時代をすごした館埋木舎(うもれぎのや)

2015/4/5 「花燃ゆ」紀行
井伊直弼は、
彦根藩11代藩主・井伊直中の14男として生まれました。
若き日の直弼は、埋木舎(うもれぎのや)と名付けた屋敷に
ひっそりと暮らしていましたが、
その境遇にめげることなく、茶の湯や居合などに打ち込み、
自らの流派を立ち上げるほどでした。
JR彦根駅

井伊直政公銅像

48年ぶりの同窓会 京都御所 06/4/5(水)

10時 JR京都駅 集合(10分電車遅れ)→市電にて「今出川」→御所→護王神社・「源氏ものがたり・2006現時展」
→レストラン→東本願寺→JR京都駅15時15分乗車 青春18きっぷの同窓会  土産 京の味 おたべ

2015/7/7
米国の有名旅行雑誌「Travel+Leisure(トラベル・アンド・レジャー)」は
2015年の世界人気都市ランキングで、京都市が昨年に続いて1位になったと発表した。



2019/9/7ブラタモリ#142
ブラタモリ「京都御所〜天皇の住まいはなぜこの場所だった?〜

一般公開
4/5(水)〜4/9(日)

京都御所 雨の中 

玉砂利を踏みしめて歩み始めました
傘が小さい 相合傘もいい。

御車寄(しんみくるまよせ)

松の木 
雨粒がかかって 風情でした

承明門から紫震殿

紫震殿(ししんでん)
即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の
高い正殿である。大正天皇・昭和天皇の即位礼
もここで行われた。
小御所(こごしょ)
御池庭

しだれ桜 綺麗でした


しだれ桜をバックに
同窓会の全体写真撮りました

御所の外にもくれん

蛤御門から出ました
普段は閉ざされていました。「天明8年(1788)
の大火によって開門されたことから、「焼けて
口開くはまぐり」にたとえて「蛤御門」と
呼ばれるようになった。
「蛤御門の変」の、戦闘の名残りである弾痕が
残っている。

護王神社「さざれ石」

足腰の守護神として有名

イノシシ 祭ってあります

護王神社 神社会館

企画展
源氏ものがたり・2006現時展」開催中

京都を中心として工芸家や源氏物語を愛する
文化人が集まり源氏物語を五感でとらえ、多面的
に追求する実験としての作品展 企画した。

レストラン
アルバム懐かしい写真紹介しあいました

青春18きっぷ 使い切りました。

再会を約束し 
名残り惜しみながら分かれました

旅行備忘録

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