世界文化遺産 国宝 姫路城 2004/5/1(土)  新緑の季節。 2010/4/17(土) 2013/1/10(木)2015/4/6(月)

2015/4/6(月)天守保存修理工事終了 いま白鷺の”天守閣”がよみがえる

2013/1/10(木)姫路城大天守保存修理見学

10/4/17(土) 西国街道 兵庫を歩く 播磨高岡〜御着  昼食場所。 平成の大修理 見おさめです。

2014年(平成26年)のNHK大河ドラマは「軍師官兵衛

Sさんと姫路まで一緒。3時間ほど登城した。そして大阪心斎橋でコンサート会場へ。終わって新幹線で帰る。

1993年12月、姫路城は法隆寺地域の仏教建築物とともに

ユネスコの世界遺産委員会で我が国で初めて世界文化遺産に登録されました。

これは姫路城が、我が国の築城技術が昂揚期を迎えた江戸時代初期に造営された最も完成された城郭建築であり、

壮麗な連立式の天守閣群をはじめ数多くの建物が築城当時のままの美しい姿で今日まで残る唯一の城として

その普遍的価値が認められたものですが、

姫路城が長い歴史の中で一度も戦や大きな災害に遭うことなく奇跡的に生き残り、

多くの人々の努力と熱意によって保存・整備されてきた結果であります

彦根城姫路城犬山城
2015/5/15(金)
松江城天守 国宝に  国宝五つになる

築城     1601年 池田輝政(徳川家康の女婿) 築城の工 を起こす           
           1609年 天守閣竣工
           1618年 本田忠政 嫡子忠刻とその室千姫
           (徳川秀忠長女)のために西の丸を造営し、
             今日に残る城郭の全容が整う

敷地         内濠以内 約7万坪(23f)外濠以内約70万坪
文化財       国宝8棟(天守閣群) 重要文化財74棟(その他の建築物)
天守閣     高さ 46m(石垣14.5m 建物31.5m 海抜92m)
              面積 約2400m2 重量 約5700t
天守閣の鯱 高さ 1.9m 重さ 275kg 
 入城券 600円

菱の門から入城。

   登城した

2019/12/14 ブラタモリ#151
ブラタモリ「姫路城〜姫路城で江戸城のロケをするのはあり!?〜
 転用石


はの門右隣の柱の基礎石は燈籠の台石です。

築城のとき石が不足したのか五輪塔や宝きょう印塔、

さらに石棺までも石垣などにたくさん転用されております。

 「はの門」下の石段

敵を滑らすための丸い石段

 油壁

姫路城の壁は殆んど白漆喰で塗り込んでありますが、ほの門

の内側にある油壁は粘土に豆砂利を混ぜ、米のとぎ汁で

固めたものといわれており、

秀吉築城の名残りの壁と思われます。

姥が石


羽柴秀吉築城のとき、貧しい老婆が石うすを寄付しました。

この噂が町中に広まって、

多くの石が集まり、城の石垣が完成したと伝えられています。  

 武具掛け 

弾薬袋・火縄銃 戦に備えた。

  天守閣の心柱


天守閣は、外観5層、内部は地上6階地下1階です。

天守閣は直径1m近い2本の柱で支えています。

東の心柱は、

昭和の大修理で地階部分だけ取り替えましたが、

築城当時のまま残っています。  

天守閣からの眺望


=広い大手前通の正面がJR姫路駅で、

外濠はその辺りでした。瀬戸内海の島々も遠望できます。

天守閣の鯱 高さ 1.9m 重さ 275kg  

 長壁神社


天守閣最上階の長壁神社は、

この天守の丘にあった地主神で、

築城の際城外へ移されたのが、

神のたたりがあると城内に戻されたもので、

宮本武蔵の妖怪退治の伝説も有名です。

 天守閣からの眺望

=眼下に赤レンガの市立美術館、

その左に県立歴史博物館があります。

釘隠し 
備前丸から 
 腹切丸


構造が切腹の場、検視役の席、

首洗いの井戸に見えるところから、腹切丸と呼ばれています。

ここは帯郭櫓といい、搦手を守る大切な場所です。

   お菊井戸


「播州皿屋敷」は、お家のっとりの企てを女中お菊が知り、

城主の難を救ったが、

家老はそれをうらみ家宝の皿一枚を隠してお菊を責め、

井戸に投げ込んだという有名なお話です。

 ぬの門
   扇の勾配


石垣を見上げると扇を開いたように

美しい曲線美を見せています。

この石垣は野面積ですが、

角石は大きな長方形の石を左右交互に


積む算木積みになっています。

   埋門

戦時には埋められ通れない

西の丸から 
 化粧櫓

千姫が本多忠刻(ただとき)に嫁いで将軍家よりもらった

10万石の化粧料で建てたといわれる。

千姫
織田信長の妹 お市の方の三女「お江」は
徳川二代将軍秀忠の夫人
となって千姫を生んだ。


  西の丸 
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