神明市と沼田川河川敷 散策 広島県三原市 2004/2/7(土)
備後路に春を告げる神明市 視察。
立春過ぎても 時々小雪舞い ダルマさんもブルブル。
健康への道100選、沼田川河川敷を歩きました。
帝人通り・・ガレージ閉じてました。
並木通り・・官庁街・商店街ありました。
行程
三原駅→舟入櫓跡→神明市を視察→三原歴史民俗資料館→沼田川河川敷→宗光寺→三原駅
三原歴史民俗資料館には・・・文化遺産「のぞきからくり」ありました。庶民の芸能・昔のTV・紙芝居です。
神明御山
JR三原駅 駅では大正琴・路上ミュージシャン 発表会場となっていた。 |
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舟入櫓跡
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城町公園から舟入櫓跡 | |
備後国三原城絵図 | |
神明大橋から和久原川
右側 本陣跡(東町) 左側 お城側(館町)
洪水あったとき町家に影響あるようにしてある。 |
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水刎(みずはね) | |
水刎(みずはね) | |
東町は露店がいっぱい
「神明祭」とは、伊勢神宮を祀る祭りのことを言います。 この信仰が全国にひろまったのは、室町末期で、 三原もその頃、この地方の港町として栄え始めたのが 祭りの起こりと言われております。 毎年2月の第2日曜日を含む前3日間、東町・館町・本町一帯 で行われる神明祭りは、往時には旧暦1月14日に、とんどをまき、 神棚を飾り、伊勢神宮の幣を勧請し、あちらこちらの店先に 翁人形やだるまを飾りつけ、東町・館町一帯に数百の露店が 立って、身動きならない程の人出で賑わいました。 三原城を築いた小早川隆景は、この祭りを大切なものとし、 瓶子一対を寄進し、近郷より繰り出す景気人出の模様を見て、 その年の豊凶を考量されたと言われております。 備後地方の春祭りのさきがけとして、その遺風は現在まで、 受け継がれております。植木市 三原の神明祭は、古式をそのまま残した行事として近郷近在の 人達が、われもわれもとお詣りする「賑やかしの市場祭」として 独特の雰囲気をかもし出す面白さがあり、もとは農具、苗木、 種子物などが売られたことにより植木市に発展したと思われ、 参詣者の楽しみの一つとなっております。 |
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日本一ダルマ
値段は500円から2万円・・色々ありました。 |
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神明本殿
東町 |
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神明本殿
老若男女 一家円満・開運願っています。 |
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天主台石垣
にっぽん縦断 こころ旅 |
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小早川隆景像 「軍師官兵衛」紀行 2014/11/2 放送 広島県三原市はかつて、戦国随一の智将として知られた 小早川隆景が治めていました。 瀬戸内海を制するために隆景が築いた三原城は、 海に浮かんでいるような姿から「浮城(うきしろ)」と呼ばれました。 生涯毛利家を支えた隆景。初めは如水と敵対関係にありましたが、 やがて互いを認め合うようになります。 聡明で即座に決断する如水に対して、 思慮を尽くすよう助言したこともあったといいます。 1597(慶長2)年、隆景は三原城で息を引き取りました。如水は 「これで日本に賢人はいなくなった」と嘆いたと伝わっています。 偉大な盟友を失った如水に波乱のときが近づいていました。 |
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神明市
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本町にある ダルマ供養塔 ダルマ市 |
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沼田川の河口 | |
瀬戸内さざなみ線(JR呉線) 背後は筆影山。 河川敷には桜・藤棚・・・ありました。 沼田川トリムコース(1200m) |
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三原港から
筆影山(左) 竜王山(右) |
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本町3丁目 宗光寺の山門(新高山城の城門) 福島正之の墓(福島正則の養子)などある。 |
関連サイト