本郷〜三原 西国街道散策 2004/5/30(日) 2023・5・21(日)
本郷駅〜三原駅周辺 15人の旅人 2023・5・21(日)
3月26日(日)降水確率80%中止となり再開。
集合:10時10分 JR本郷駅 解散:16時50分 JR三原駅
万歩計:31,849歩 広島: 曇り 気温26.6℃ 湿度 50%
コンビニで水分補給 ペットボトルにアイスクリーム
行程
JR本郷駅→西念寺→三太刀山→道開発され一部無くなる→米山寺道標→納所橋→
米山寺(昼食)→(推定)長堤一里塚跡→長谷神社→伯母ヶ崎→木之浜(このはま)一里塚跡→
安芸・備後国境碑→八坂神社→三原八幡神社→西之宮一里塚跡・三原常西惣門跡→
→JR三原駅
昼食場所:小早川隆景ゆかり米山寺・宝物館拝観 拝観料200円
三永の石門〜田万里〜新庄 散策 2003/6/15(日)
20年ぶりに行きました。
G7広島サミット閉会
ウクライナのゼレンスキー大統領電撃来日、討議に参加。
小早川隆景は、天文2年(1533)毛利元就の三男に生まれ、天文13年(1544)
安芸の豪族竹原小早川家に養子に入った。天文19年(1550)には沼田小早川家
をつぎ、兄の吉川元春とともに父元就を助けて毛利氏の中国統一を成就させた。
隆景は、天文21年(1552)に新高山城を修築し、永禄10年(1567)に三原城を
築城している。
豊臣秀吉の五大老の一人となった。
慶長2年(1597)65歳で没した。
重要文化財
絹本著色小早川隆景像 一幅
この隆景像は、隆景が朝鮮に出兵して帰還した翌年の文禄3年(1594)、
京都大徳寺の塔頭、黄梅院の玉仲宗eが寿像に賛をしたものである。
中啓を持ち、黒の袍をつけて座した衣冠の像である。
三原市重要文化財
木造小早川隆景像 1対
木造行道面 八面
木造狛犬 二対
米山寺文書 七通
国重要文化財
米山寺宝篋印塔
広島県史跡
小早川隆景墓
菅茶山文学碑 茶山ポエム
広島県三原市沼田東町 米山寺 「米山寺拝謁小早川中納言肖像」
「米山寺拝謁小早川中納言肖像」
一戦奇功仝列屯 想君軍隊立伝■
画中冠帯英風在 馬上光陰華髪繁
先覩無愆援覇主 予防有計保宗藩
当時諸将争驍勇 興学誰知文徳尊
一戦奇功 列屯を全す
想う君の軍隊は 立(とどま)りて■(そん)を伝へしを
画中の冠帯 英風在り
馬上の光陰 華髪繁し
先覩(せんと)愆(あやま)り無く 覇主を授け
予防計有り 宗藩を保つ
当時の諸将 驍勇(きゅうゆう)を争う
興学 誰か文徳の尊きを知らん
【大意】
一戦(文禄の役)の策略は一団となって任務をまっとうした。君(小早川隆景)はひとり隊を立ち小飯の時を告げる。
画中の冠と帯には立派な徳がみなぎり、戦場での歳月によって頭には白髪が増えている。
隆景公を覇主としたことに過ちはなかっただろう。その予防策によって毛利の藩をまもったのだから。
当時の多くの武将らは勇猛であることを競ったが、学校を興し学問による徳の尊さに誰か気づかなかったものか。
残念なことである。
平成30年7月豪雨
2018年7月6日(金)〜7月9日(月)西日本豪雨 土砂崩れ氾濫相次ぐ。平成で最悪の被害に。
倉敷市真備町で小田川など堤防が崩れ、大規模な冠水、2階まで水。
愛媛県宇和島市、西予市 大洲で肱川が氾濫。
広島県内では大規模な土砂崩れや集落の孤立。
広島県呉市、東広島市安芸津町、熊野町、広島市北区口田、広島市安芸区矢野東 多数の住宅が倒壊。
三原市本郷町 沼田川氾濫。
沼田川沿いを11km。5月16日雨天中止。延期となりました。
降水確率予想 午前中30% 午後70%。 が しかし
昼からは 外れた。
南から湿った風で蒸し暑い 雨傘が日傘に変わりました。
JR本郷駅から出発 | |
JR本郷駅北側
月庭山 円光寺 非常時の待避所に供された。 本尊 薬師如来像 脇仏 日光菩薩・月光菩薩 元禄の頃に曹洞宗として再興され、 当時ご禁制であったキリスト教を説く若僧が 住み着いた事も在ったという。 |
|
本郷本陣跡 T邸。 | |
本郷本陣跡 | |
恵美須神社
手水鉢 鯛の形してました |
|
恵美須神社
匠のこだわりであろう。 境内に鯛の2枚合わせの鳥居 手洗いの鉢の水溜めも鯛の形 本郷の中心地に祀られ、高札が立ったという。 |
|
町並みは面影あります。 | |
古代の山陽道 通っていた道 仏通寺への道しるべ。 |
|
西念寺
中国行程記の絵図のとおり同じ位置にある |
|
古高山城跡 | |
三太刀神社
沼田小早川発祥の地 |
|
三太刀山の西側に「みたち第3号古墳」 復元したものあります。 |
|
三原市に入ります
仏通寺川・JR山陽本線沿い歩きます |
|
八重垣神社で余りの暑さで小休止。 | |
「木ノ浜」の地名。
JR山陽本線からよく見える円墳があります。 |
|
公園になっている 河川防災ステーション |
|
沼田川
かつて、川の流れで木がよく集まる所 木ノ浜バス停辺りに一里塚跡か位置は不明です。 |
|
仏ヶ峠は国境
安芸国から備後国にはいります。 皆さんで万歳しました。 |
|
県立保健福祉短大のところ
「従是 東備後国 西安芸国」国境碑
車社会 道標折られて補強されています。 |
|
頼兼町
西宮町に入ります。 西宮八幡神社に 余りの暑さ 木陰で休みました |
|
三原城跡 天主台は日本一の広さ 広島城の天守閣なら六つは入る規模 「軍師官兵衛」紀行 2014/11/2 放送 広島県三原市はかつて、戦国随一の智将として知られた小早川隆景が 治めていました。瀬戸内海を制するために隆景が築いた三原城は、 海に浮かんでいるような姿から「浮城(うきしろ)」と呼ばれました。 生涯毛利家を支えた隆景。初めは如水と敵対関係にありましたが、 やがて互いを認め合うようになります。聡明で即座に決断する如水 に対して、思慮を尽くすよう助言したこともあったといいます。 1597(慶長2)年、隆景は三原城で息を引き取りました。如水は「これで 日本に賢人はいなくなった」と嘆いたと伝わっています。 にっぽん縦断 こころ旅 2017年春の旅 615日目 4月14日(金)放送 久井(くい)の岩海(がんかい) ここから手紙を読み出発。 |