御調八幡宮・佛通寺 散策  2003/8/23(土)

2019年11月13日 (水)
881日目広島県三原市 こころ旅 2019
佛通寺

府中市→市→御調郡八幡宮→佛通寺→本郷町 ドライブしました。

中国自然歩道(約1900km)の内 佛通寺・御調八幡宮ルート

御調八幡宮―龍王山―八坂峠の東コース(4.7km)と八坂峠―大峰山―佛通寺の西コース(6.1km)
に分かれ両コースともそれぞれ約3時間で歩けます。
丸太で作った木の階段が東コース約3000段、西コース約1300段あり、
急傾斜の道も多いため健脚者向きのコースといえましょう。

気候が良くなったら挑戦したい。

佛通寺では写生する人多く見ました、羨ましく感じました。 

御調八幡宮  

神護景雲3年(769)和気清麻呂が大隈に流されたとき、姉の和気広虫(法均尼)がこの地に流され
宇佐八幡をまつったのがはじまりと伝えられ、日本六所八幡の第4番目にあげられている。
由緒ある神社です。境内には国の重要文化財の木造狛犬一対などの文化財や豊臣秀吉が植えたしだれ桜もあり
西の吉野といわれた桜の名所です。

宮参りをすましたご家族に会いました。 
豊臣秀吉公お手植えの桜樹株

天正年間(1573〜1591)豊臣秀吉公が朝鮮出兵の途中に
今の三原城に滞在中武運長久を祈願するため当社に参拝
しその時ここに桜樹は枯死し今は大株の一部を残すのみと
なり盛時をしのばせている。 
 「椎の原生林入口」探索は次回にする。
 

中国観音霊場 第十二番札所

御許山 佛通寺(みきさん ぶっつうじ)臨済宗佛通寺派大本山

佛通寺のイヌマキ  県天然記念物 昭和36年11月1日指定
本堂に渡る木橋の手前左手にある大木で通常ラカンマキと呼ば
れている。根回り周囲4.5m、胸高幹回3.52m、眼通り幹回約5.0m
の高さで、東方の支幹は更に四大枝に、西方のものは五大枝に
分かれる、更に上方3.5mで両支幹は多数の小枝をわけてほうき
状に展開し、短だ円状の樹冠をつくっているイヌマキは、本州中部
以南の暖地に生育する高木で5,60年前に幹囲3.0m以上の大木は
諸所に生育していたようであったが現在はきわめて少ない。また
雌雄、異株の樹種であるが、佛通寺のこの雄株である。イヌマキ科、
学名podocarpus maerophylluD.Dou
佛通寺の開山、愚中禅師が植えたものであると伝えられ、県下
有数のイヌマキの巨木である。

  本堂に渡る木橋 
   川沿いの景色 秋には紅葉 最高の場所だ
佛通寺 三原市史跡・名勝  昭和38年12月17日指定
 三原市高坂町許山22
 
1397(応永4)小早川春平が愚中周及(ぐちょうしょうきゅう)禅寺を
迎えて建立した臨済宗の禅刹である。小早川一族の帰依を受けて
またたくまに寺勢は隆昌し、最盛期には山内の塔頭(たっちゅう)
88ヶ寺西日本に末寺約3千ヵ寺を数えるに至った。しかし応仁の乱
(1467〜1477)ののちに荒廃にむかい、小早川隆景の治世になって
やや再興したものの、福島、浅野と時移り、しだいに往時の面影を
失ったのである。近代に入ると一転して法灯はおおいに挽回され、
1905年(明治38)臨済宗佛通寺派として独立復旧し、参禅道場をもつ
西日本唯一の大本山として今日に至っている。境内全体の規模や
堂宇跡の配置などには見るべきものがあり、貴重な文化財も数多く
保存されている。特に含暉院(がんきいん)の開山堂および地蔵堂は
佛通寺創建当初のただづまいを偲ばせる現存最古の建物である。
30数年振りだ、江田島の自衛官に絞られた合宿、思い出す。
 水墨画
  石仏 
  多宝塔から

開山堂と地蔵堂  

  多宝塔 
   五百羅漢石像(ごひゃくらかんせきぞう)
文政・天保年間に造立された石仏羅漢像群。喜怒哀楽をおおらか
に表現する羅漢様はいろいろなポーズを取り長年の風雪に洗われ
た姿は、拝する者の心を和ませてくれる
   写生する女性
   写生する女性
   写生する男性

私にも絵心があれば・・。

行く道は 昔と変わらない狭い

紅葉の佛通寺

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