長門国 清末藩探訪 小月〜毛利清末藩〜長府  2012/3/7(水) 山口県下関市


行程 約6km 約3時間
小月駅→小月一里塚→明円寺→清末藩邸跡→内藤家の表門→高林寺→清末八幡宮
→橋本家長屋門→神田橋→宇部一里塚→白石正一郎邸浜門→長府駅

2012/3/7  死亡:15,854人 行方不明:3,271人 東日本大震災 1年前に特集番組・記事多い。
2012/3/10 死亡:15,854人 行方不明:3,155人 避難者:34万3935人。

青春18きっぷの旅 小月駅 12時15分

下関市小月本町

道しるべ
右 かみがた道  左 とよた道
吉田を経て江戸へ向い 左は萩へ通じる分岐点
小月一里塚跡 
平成23年9月 解説銘板新たに改修されていた
 
清末藩邸を移したもの
御殿玄関と書院が明円寺
小月茶屋
見廻り通り
道幅は2間半(約4.5m)、一車線で 
右側の歩道は黄色く表示されている。

街道は遠見遮断された緩やかなカーブ続きます。
下関市小月鞍馬
孝行塚
文政年間に実在した角屋 政の孝行の美談を後世に伝えるため、
明治7年3月の建立された。
当時の教育理念を伺わせる由緒ある石碑です。
毛利家紋
上に横棒があって、下に三つ丸がある一文字三星紋
長州毛利家は皇室の流れをくむ家
平安時代 平城(へいぜい)天皇の第一皇子だった阿保(あぼ)親王の
ご落胤が大江という家を興す。その末裔で、
鎌倉幕府の頼朝のブレーンとなった大江広元の四男・季光(すえみつ)が
神奈川県厚木市にあった毛利荘に任され毛利と名乗ったのが毛利の初代。
阿保親王が一品(いっぽん)親王の称号を受けていて、
その一品の二字をデザイン化した家紋
皇室の出だということをアピールしている。
兵庫県芦屋市には平城天皇第四皇子 阿保親王塚廟がある。

清末藩

萩本藩

徳山藩

長府藩 
清末陣屋  清末藩邸跡
長府藩初代藩主であった毛利秀元の二男毛利元知が、その領地の一部を
与えられ、長府の支藩として清末藩を始めることを許されました。
関が原の戦いから約五十年後の承応二年(一六五三)のことです。
神田川と木屋川を東西の境として奥に広がる地域で、現在の清末・小月
と菊川町の大部分を含んだ石高一万石の領地でした。
いま国道二号線の沖側に見える広大な農地はその後に干拓されたもので、
当時はこの高台のすぐ下まで海が迫っていました。清末は藩内では交通の便
がよく、中でも後ろは山、前は海、東西を川に囲まれている。
この地は、敵に攻められにくいという点で居城に最適の土地であることから、
ここに藩邸が築かれていました。以来、明治維新に至るまで二百年間、
清末は城下町として繁栄を続けてきました。
陣屋の池
清末西町
内藤家の表門
 内藤家は代々清末藩の首席家老でした。藩邸に近いこの屋敷は
開藩当時のままのものです。母屋は改築されましたが、
邸内の庭や棟塀及び表門は昔の風格を保っています。
尚、表門は下関市指定の有形文化財に指定されています。
高林寺
延宝6年(1678年)清末初代藩主毛利元知が、父秀元を祀るために建て、
智門寺と称していました。後に高林寺と改め、
清末毛利家代々の菩提寺とされました。 
山門以外は火災で焼失しましたが、山門は天和2年(1682年)建立時の
姿で残り、当時の威容を示しています。
毛利家墓地

高林寺境内の背後にあり、清末毛利藩主の初代元知から明治に至る
までの歴代藩主とその一族の墓があります。
 
清末本町
清末八幡宮
建武年間に建てられたが荒廃していた。寛文2年(1662年)に
清末初代藩主毛利元知が、
藩の守護神として再建したものです。
社域は安政4年(1857年)に8代藩主毛利元純(もとづみ)によって、
現在のように整えられました。
清末千房1丁目
橋本家長屋門
この門は、藩邸の第一裏門だったと伝えられています。
明治6年の藩邸処分の折に買い取られ移築されました。
多少の改修はされていますが、
鬼瓦をはじめ本体はそのままで数少ない旧藩邸の遺物です。
鬼瓦 毛利家紋
 上に横棒があって、下に三つ丸がある一文字三星紋
神田川
長屋門から300m歩きます

豊穣の大地 山口県知事の碑あります
神田橋

国道491号渡ります
王司神田、王司川端
王司上町4丁目の交差点左角

宇部一里塚 赤間関まで三里の地
宇部

JR山陽線踏切を渡り やがて国道の高架下には
駕籠立場跡
長府松小田本町  白石正一郎邸浜門
下関竹崎町にあった白石邸の浜門がこの地に移築されている、
海に面したこの門を多くの志士達が出入りした。
正一郎は, 回船問屋小倉屋の主人として家業にたずさわるかたわら,
国学に深い関心を持ち, 43歳の頃国学者鈴木重胤の門下に入って,
尊皇攘夷論の熱心な信奉者となった。また「橘園」の号をもつ歌人でもある。
彼の残した日記は, 明治維新研究にとって第一級の貴重な資料といわれる。
その中には, 西郷隆盛, 大久保利通, 木戸孝允(桂小五郎) のいわゆる維新の
三傑をはじめ, また, 坂本龍馬, 梅田雲浜など志士400人余の名を数えることが
できる。明治天皇の叔父中山忠光卿, 三条実美卿ら七卿も白石家に滞在している。
文久3年(1863)6月, 白石家で奇兵隊が結成されたことは, あまりにも有名であり,
以来, 彼も奇兵隊員として, また商人として高杉晋作と親交を深めるとともに
奇兵隊を援助した。このあたりに白石家の浜門があって, 海へ通じており,
志士たちはここから出入した。白石家の海へ降りる門は新しい時代へ
向う黎明の門だったといえる。
14時50分 JR長府駅

15時23分 乗車

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