西国街道を歩く備前一宮〜岡山城下町 2006/1/15(日)  岡山県岡山市

9時45分 備前一宮駅 集合  15時 京橋 そして岡山城見ました。

06年の初散策で、パワーを充電した。特別名勝 岡山後楽園

行程  7km  旅人16人。
   備前一宮駅――吉備津彦神社――矢坂大橋――富山城址――北向八幡宮――万成一里塚跡
   常福寺――国神社――奉還町商店街――旧万町(岡山駅北西)――西川二ノ橋(青柳橋)―― 
   金比羅神社――表町商店街―――オランダおいね修業の地――一里塚跡・本陣跡――京橋 

山越えて 電車は雪崩のため時間当てにならない 出席をあきらめて 急遽参加した。  

寒さ心配したが 全国的に3月の暖かさ。各地で雪崩など事故ありました。

お年玉つき年賀はがき 抽せん日。切手シート4枚当たる。

都道府県対抗女子駅伝が京都で行われ 京都逆転V2。

吉備津彦神社
安政の大石燈籠
六段造り、高さは11m、笠石は八畳敷の広さがあり、
まさに日本一といわれている。
文政13年と安政4年の二度にわたり、地元有志が発起し、
天下泰平、国家安全、万民豊楽、五穀成就などを念願して、
備前一円、浅口郡を中心に広い地域で寄進を募り、
奉納されたものである。
石に彫られた寄附者名は、実に1670余名で、
5676両(約1億3千万円相当)の浄財が寄せられている。
ちなみに、完成した年は江戸幕府がアメリカのハリスと
日米通商条約を結んだ年にあったている。
本殿
15日はとんど祭り 始まります。

無病息災祈願します


吉備中山 170m
八坂山

富田城址

八坂東町

地蔵堂

中に水準点ありました

笑塚に

芭蕉句碑「八、九間 空で雨ふる 柳かな 十瓢庵」

刻んである

集会所 「茶屋」 敷地内にありました

 

 

北向八幡宮

沢山の題目石

集会所の裏にあります

万成一里塚跡

 

真言宗 常福寺

 

国神社
三門の街並み

道標「岡山元標一里」ありました

奉還町

昼食はラーメン

中華そば「浅月」

昭和23年創業
岡山で一番うまい

西川
二の橋「青柳橋」
金毘羅神社
岡山は天正元年浮田直家築城以来栄えた
藩主が池田家になってからも歴代當社の崇敬あつく、
又社前は西国諸大名参勤交代に江戸に赴く道筋であり
社前通過の諸大名ひとしく拝礼した。
岡山の入口であり、博労町といっていたが、
金毘羅宮の崇敬ひろまるとともに丸亀町と改め、昭和に及んだ。
近頃市域拡大のため町名整理により野田屋町2丁目と改めた。
毎月9日が月次祭で、珠に正月9日10日の初縁日は終日
吉兆を求める人が社頭に群り霊験をうけている
岡山市内のみならず 各地から病気平癒 、
厄難消徐、縁結、家内安全、商売繁盛、海陸空路安全の
祈願をこめて参拝している
表町商店街
旧上之町(現 表1丁目・天神町)
宇喜多氏が備前福岡(現 長船町)の商人を城下によび寄せて
つくった町です。はじめ福岡町とよばれ、のちに上之町とかわりました。
江戸時代この町で山陽道と美作への道がわかれていました。
旧中之町(現 表町1〜2丁目)
脇本陣があった。現 県庁通りは備中に抜ける道であった。
旧下之町・伝馬町のちに栄町(現 表町2〜3丁目)
本陣があった。伝馬とは幕府・諸大名など公用の宿継馬のこと
一里塚あった栄町
町の真ん中 時の鐘つき堂、札場、町会所あった
庭瀬往来(別名 鴨方往来)の起点、
金毘羅往来は庭瀬往来から分かれた
オランダおいね医術修行の地
表町3丁目
西大寺町の由来
備前を制圧した宇喜多直家は、天正元年(1573)
亀山城(岡山市沼)から、石山城(岡山市)に移り、
城下町をつくるため備前福岡(邑久長船町)から有利な条件で
多くの商人をよびよせ、さらに会陽で栄えた西大寺の門前町
からも山口与左衛門ら27軒の有力商人が移りそこで
その町名を西大寺町と呼んだ。直家の死後その子秀家は父の
築いた石山城おりも拡張整備した岡山城を築き同時に(表町筋)
を通るようにした。城下町完成は慶長3年(1598)頃といえる。
尚、”表八ヶ町”の愛称が生まれたのは明治36年といわれ
後日橋本町(京橋町)が抜けて、千日前がこれに代わって加わり
現在に至る。
京橋
宇喜多秀家が岡山城の築城当時に操山の山麓を流れていた
旭川や市の北部を万成峠に向けて通っていた山陽道の
大改修工事を行い、文禄2年(1593)京橋−中橋−小橋を架け
新山陽道を約八ヵ年間かかって完成している。
京橋付近に当時の水陸交通の要地として栄えた。
京橋西詰に左記の石柱が現存している
岡山県里程標(明治9年設置・明治40年8月建替)
岡山市道路元標(大正9年建設)
迷子しるべ石柱(明治25年11月建設)
京橋の橋脚 延宝9年(1681)
世界で始めて空を飛んだ表具師幸吉之碑
里程元標
岡山城跡(伝旧本丸跡)
現存する岡山城跡は戦国乱世の備前国を統一した宇喜多直家
の子の秀家が天正18年(1590)から慶長2年(1597)にかけて築城した
城郭を中心にしてその後の城主の小早川秀秋・池田忠継・
池田忠雄の増改築を経て寛永年間初期(1620年代)に完成したもの
である。完成時の岡山城は本丸を中心にして二の丸、三の丸が南か
ら西に広がる梯郭式の縄張りであった、本丸と二の丸内屋敷の曲輪
の一部を潰して市街地に埋没してしまっている。この説明板を設置して
いる周りを石垣で固めた郭は二の丸屋敷の中心的な郭をなしているが、
絵図には櫓などの本格的な城郭建築物が描かれてなくどのように使わ
れていたのかは不明である。この郭は直家が元亀年間(1570−73)に
築城した石山城の本丸の位置にあたると伝えられ旧本丸と称されている。
明治維新後、この地に池田家の祖廟が設けられていたが先年移転された。
昭和63年3月
JR岡山駅

ももたろう

散策で見つけた

「つばき」でなく「山茶花(さざんか)」です。

くちなしの実 くちなしの実
かりん

板倉宿←/岡山宿/→藤井宿

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