かもがた町家公園 2004/2/1(日)  岡山県浅口郡鴨方町

JR鴨方駅より北へ約2km。徒歩でぶらり二人で散策いたしました。

江戸時代 鴨方藩あった所。鴨方往来は参勤交代の主要道路でなかったが、一帯は干拓による新田開発あり 人の往来、
情報がもたらされ文化も育った。学者・芸術家育った。

鴨方往来岡山の栄町から庭瀬・倉敷北部・長尾など経由して鴨方に至り、笠岡から備後との国境の大門に通じる街道。



大阪府知事選 大田房江氏(52)再選。
イラクの復興支援にあたる陸上自衛隊の本隊への隊旗授与式(旭川駐屯地)
12球団一斉にキャンプイン。

かもがた町家公園  
江戸へ百八十二里(728km)

平成10年10月22日オープン、
総事業費約10億五千万円。
江戸時代の町家を復元整備し、
公園として一般に開放している。
歴史と文化を生かした生涯学習のまちづくり・・・
学ぶ・遊ぶ・憩うが自然な形で楽しく。  

鴨方往来
江戸時代、鴨方藩は岡山藩の支藩であったため、
本藩との間を結ぶ連絡道「鴨方往来」が設けられました。
鴨方往来は岡山城下の栄町千阿弥橋を起点として、
庭瀬・撫川・浜ノ茶屋・長尾・占見・地頭下などを通って
鴨方に入り、川手・本町・西町から里庄町高岡を経て笠岡
の小田県庁(現在の笠岡小学校)に達する街道。
海岸線に近い、浜街道とも呼ばれた。そして
備後の国境の大門に、福山へ通じている。
往来の道筋には今でも道標など残っており、
当時の面影をしのばせています。 
  鴨神社の参道にある。

 

宮の石橋


鴨神社の随身門下にある石橋で、「鴨方に過ぎたるものが
三つある拙斎、索我、宮の石橋」と謡われた鴨方三奇の一つ。
長い板状の石6枚を反らせて整えた太鼓橋で、鴨方の町筋から
の参道を上ってくる参拝者のために造られたものであろう。
石橋がまたぐ小道付近の小字名が「鴨之下通」であることから、
この小道がかつての古道であり、本来の参拝口はこの
石橋辺りにあったことを思わせる。

 

   田中索我(さくが)

江戸中期の画家。名は守貫、号は索我。

   西山拙斎(せっさい)

江戸中期の儒学者。名は正、号は拙斎。

西山処士の碑
撰文は幕府の儒官柴野栗山、篆額は頼春水、
書が頼杏平で、「三絶の碑」といわれている。
建立には菅茶山が尽力した。


文人たちにとって梅は特別なものであったのか、
身近な場所だけではなく遠方まで梅を求めて足を運びました。
13歳年上の友、西山拙齋が神辺を訪れて、
初めて顔を合わせた際も三原まで梅を見に行っています。
 西山拙齋は茶山に先駆け、鴨方に私塾「欽塾」を開いた儒学者です。
京都で同じ師に学んでいますが、知り合ったのは郷里に帰ってからのことです。
拙齋は茶山にとっては最も交遊を深めた人物で、師のような存在でした。
神辺を訪れた拙齋は茶山とたびたび西福寺に遊び、詩を詠んでいます。
1798(寛政10)年に拙齋が亡くなるまで交流は続きました。

歴史散歩 菅茶山の足跡を訪ねて(11)西福寺の梅

  西山拙斎の居宅「至楽居」・私塾「欽塾」跡

淨光寺の駐車場になっている  

 鴨方藩


鴨方藩は、江戸時代寛文12(1672)年、岡山藩の支藩として
備中浅口、窪屋、小田三郡の地25,000石を与えられた
新田藩として成立しました。初代藩主は池田光政の次子政言
で藩主は代々岡山城下の鴨方藩邸(天神山)に住み、
領内の重要な政務、財政は本藩に依存していました。
九代政詮は明治元(1868)年、明治維新に際し本藩を継ぐこと
になり、章政と改名して最後の岡山藩主となりました。
明治4(1871)年に廃藩となり鴨方藩は200年の歴史を
閉じました。藩領は鴨方県、深津県、小田県を経て
明治8年岡山県に編入されました。

   陣屋跡の井戸
 陣屋跡の石垣

城郭」と「陣屋」の相違はどこにあるでしょうか。
双方とも有するものは堀です。
享保2年(1717)の『武家諸法度』には、
「城主は石塁・石壁の壊れたときは奉行所に達し、
その指図を受ける。
櫓・塀・門以下は(届許可の上)先規のごとき補修してよい」
とあり、
塀と櫓が城郭と陣屋を分かつものだということが分ります。
つまり石垣の上に
塀と櫓があればそれは城、
なければまず陣屋といっていいのです。

   鴨方往来

「かさおか道」

   右 かさおか道  道しるべ
   伝承館(旧高戸家住宅)
発見された棟札から、貞亨4年(1687)に修理をした県下で
最も古い貴重な町家です。

交流館(東側の母屋)
棟札から延享5年(1748)に建てられたもので、
分家の母屋です。

 ふれあいの館(西倉)
 伝承館の北側にある土蔵。棟札から、安政3年(1856)に
建てられたもので、近隣にはない立派な土蔵です。
当時の重要な生活用具や什器などを収蔵していた建物です。

化石展していました。子供達、石を割り化石発見の体験
していました。親も石を叩き楽しんでいました。

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