出雲街道 津山城東むかし町  岡山県津山市 2006/3/19(日)

鉄文化(たたら)の道。商業文化の道。出雲松平藩参勤交代の道。
大陸から出雲大社・宍道・松江・安来・日野・新庄・勝山・久世・落合・津山・・・京・大阪を結ぶ

初期の参勤交代は、津山まで陸路、津山からは吉井川を高瀬舟で下った。

古代から津山盆地は出雲と大和を結ぶ交通路の結節点であり、人と物と文化の交流が
盛んであった。江戸時代に出雲街道と呼ばれるようになって、参勤交代路としてもにぎわった。
津山城東むかし町は、津山城跡の東に位置し、大橋を渡って橋本町から東新町の荒神曲がり
あたりまでの地域。
出雲街道が、城防備のために作られた鍵曲がりで屈折しながら東西に通り、
岡山県の町並み保存地区に指定されている。武家地・寺町・町人地など城下町の構造が
よく残っており、往時のまちの風情を今に伝えている。

出雲街道から13本の小路でつながる北の武家地は水墨画のような世界。

夢街道ルネサンス推進会議により「夢街道」に認定されました。

行程  青春18きっぷの旅
JR津山駅(9時50分)→今津屋橋→京町→津山城跡・鶴山(かくざん)公園(昼食)→
出雲街道津山城東むかし町→大橋・橋本町→作州城東屋敷→津山洋学資料館→
箕作阮甫旧宅(みつくりげんほ)→城東むかし町家(旧梶村家住宅)→作州鎌工房
大隈神社→上之町→旧岡山県津山中学校本館(津山高校)「あぐり」ロケ地→JR津山駅(13時30分)

リコール成立に伴う出直し 津山市長選挙投票日。
WBC 日本、韓国破り(6−0)決勝へ 21日キューバと対戦

津山城東むかし町入口

東大番所跡
大橋
城下町の東の出入り口

「男はつらいよ」ロケ地

橋本町

城の防御上大きく鍵形に曲折した道

京御門

城主 森氏の家紋 鶴丸ありました

作州城東屋敷

男はつらいよ「紅の花」48作ロケ地

寅さんが津山祭りに露店を出すシーン

西新町

出雲街道

箕作阮甫旧宅(みつくり げんほ)

幕末を代表する蘭学者 箕作 阮甫は、
津山藩医箕作貞固の三男として
西新町に生まれた。文政2年(1819)津山藩医となる。

江戸末期の風格ある商家の風情をただよわす。

城東むかし町家(旧梶村家住宅)

 

城東むかし町家

NHKのテレビ小説「あぐり」で紹介された

城東むかし町家

江戸時代に建てられた母屋

から昭和初期の蔵まで

強さで知られた作州鎌 今は2軒

 

大隈神社神門
津山城内にあった門で、明治初年修道館
(現在の鶴山館)の表門に使われていた
ものを、いく多の変遷をたどって大隈神社の
神門として使用されるようになったものです。
用材も太く工法も粗野ですが、津山城の遺構
のひとつとして珍しいものです。
建築様式としては、薬医門様式と呼ばれるもので、
主柱二本(角柱)と控柱(角柱)二本で切妻屋根を支え、屋根の重心は本柱に寄りかかっている
様式であります。
上之町

男はつらいよ「紅の花」48作ロケ地

満男が結婚式に向う花嫁の一行を車で
妨害しようとするシーン

千代稲荷神社
県立津山高校
修理中でした、「あぐり」ロケ地
岡山高等女学校のシーン

旧岡山県津山中学校本館
1900(明治33)年に岡山県津山中学校本館として、
建てられたものである。
建物は東面し、平面は正面23間(41.83m)、
側面5間(9.09m)を主体とする。
構造は木造2階建ての洋風建築で屋根は寄棟造。
壁面は下見板張りとして上げ下げ窓に
ルネサンス様式の窓飾をつける。
基礎は煉瓦造、イギリス積である。
外観は、イタリア盛期ルネサンスをモデルとし、
調和と比例に優れ、特に、軒下・窓の構成
意匠は注目に値する。内部は改修はあるが旧講堂の
天井・階段・建築枠などに原形が残り、意匠と
技術は高く評価される。なお、軒下・玄関・内部の
階段の手すりには、シンボルマークが
彫りこまれている

美作国 津山城跡

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