阿伏兎観音広島県福山市沼隈町 2003/8/17(日) 05/9/17(土) 2013/10/27(日) 11/17(日)拝観しました。

沼隈半島の南端  阿伏兎岬の岩上に建つ。1956年国重文に指定された。

2013/10/27(日)
健康ウォーク[鞆の浦の町並み散策と阿伏兎観音]

 2013/11/17(日)
第11回健康ウォーキング大会
〜潮風と歴史の香る能登原・阿伏兎〜

ご神木(福山市指定保護樹木)備長炭になる
幹の周囲3.13m
高さ 11.0m
ウバメガシの大木には、おみくじが結ばれています。

05/9/17(土) 朱の観音堂 再び映える、拝観しました。

04年、16・18号の台風で被害を受けた
「阿伏兎の観音さん」 05/8月末 復旧工事が終了。

総額3800万円。

修理工事で、金箔で塗られためずらしい軒丸瓦や、
「天正17年」(1589年)などと書かれた豪華な瓦も
屋根から見つかった。

 
 
 
 
 



健康への道100選にある、前に 魚釣り 近くで釣ったところだ。

雨が降り蒸し暑い、霧が出て見通し悪い。駐車場に車止め 散策する。4km。

阿伏兎山森林自然公園は次回に。

展望台へは倒木あり、虫・長い物出る・・。秋か それともツツジの季節に行くことにする。

八十八カ所巡りの地蔵様見ながら・・。旅館ある「あぶと館」「みかど別館」。

参道の文学碑を鑑賞する・・・・ 沼隈町山南町出身 江戸時代後期狂歌師の第一人者として活躍した
                   桑田抱臍(ほうさい)の狂歌碑が石碑に刻まれている。
                   「梓弓(あずさゆみ)ひくしほどに矢の島の あたりは誰も興(きょう)にのりつね」

                   十返舎十九(じっぺんしゃいっく)の文学碑。『東海道膝栗毛』で知られる弥次郎兵衛
                   と北八が、阿伏兎観音に参拝した時の様子を書いた『厳島参詣膝栗毛』から
                   「観音堂より見おろせば、白波足元に湧きかえりて、目も眩(くるめ)き足の骨も
                   かゆきばかりに、石垣はさながら蜂の巣にも似て 光明のさす阿伏兎観音」

                   宮城道雄昭和23年墓参のため鞆を訪れています、その時の随筆『鞆の津』の石碑。

 「青年の父 山本龍之介」 沼隈町出身

明治6(1873)年 沼隈町草深に農家の長男として生まれ。

明治29年 青年運動のバイブルと評価される「田舎青年」を自費出版しました。

地方に住む青年の奮起を促し、青年会(団)を組織 全国へ広がりました

明治44年、雑誌「良民(りょうみん)」を創刊。

「青年の父」と慕われました。

 

臨済宗妙心派 阿伏兎観音 磐台寺    

けわしい海食崖が続く沼隈半島の南端
阿伏兎岬は奇勝と知られ
岬の突端の断崖に建つ磐台寺観音堂は
阿伏兎観音と呼ばれ、昔から海上交通の人々の信仰を多く集めてきた。

観音堂は、寛和頃(986)
花山法皇(968〜1008)がこのあたり一帯の海上を
往来する船の航海安全を祈願して岬の
岩上に十一面観音石仏を安置して以来
今日まで千年余りも航海安全の
祈願所として、また子授け観音、安産の
守護として人々の厚い信仰にささえ
られてきている。


観音堂は、元亀年中(1570)
毛利輝元(1553〜1625)が再建、寛永寛文年間に福山城主
水野・阿部公などの修補によって現在に
至っている。
浮世絵師 歌川広重は六十余州名所図鑑の
中でその絶景な様を描いている。透明な海の輝きと荒々しい岩肌に、不思議に
調和した朱塗りの観音堂瀬戸内海の中でも特に素晴らしい景観として広く知られている。

 

阿伏兎の瀬戸 幅500m 古くから尾道と鞆港を結ぶ海上交通の要衝

鞆公園

沼隈半島の南東・阿伏兎から、福山市鞆町に至る海岸と、仙酔島を中心とした大小の島々である。ここ

阿伏兎岬は、険しい海蝕崖から成り、南方ひうち灘の展望は壮大で、西方芸予の多島海風景もすばらし

い。前方、田島との間にある幅500mの海峡は、阿伏兎の瀬戸とよばれ、潮流が激しく、古くから尾

道と鞆港を結ぶ海上交通の要衝となっている。
岬の突端に位置する磐台寺観音堂(国重文)は、航海安

全の祈願所として、また、子授け観音として深い信仰を集めている。

「口無しの海」 「梔子(くちなし)の海」

海の幅が狭い上に地形が複雑で、潮流の微妙な変化に進路を誤り、座礁する船が多かったため
海の難所として知られていました。

船人からは、行く手を遮られる「出口の見えない海」として恐れられ、いつしか、「出口無しの海」から
「口無しの海」とも「梔子(くちなし)の海」とも呼ばれるようになりました。

 口無(くちなし)の泊

道すがらには

 第11回健康ウォーキング大会  内海大橋 矢ノ島 田島を展望する。
                             阿伏兎山森林自然公園 遊歩道(北口) 急な階段を上がる

江戸時代(寛政年間、1796年の創設)、鞆を起点と終点にした、

能登原地区、田尻地区をまたぐ「鞆の新四国八十八カ所」があった。

四国の霊場八十八カ所を模した 広島県内でも古いものとされいる。

一番札所 鞆町の大観寺境内にある霊山寺→十六番札所 観音寺→三十八番札所 金剛福寺→

田尻町にある六十八番札所 神恵院→八十八番札所 大窪寺

全体で約21kmのコース

 

 

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