旧魚屋萬蔵宅 改修起工式 2004/10/4(月)広島県福山市
龍馬「談判の間」は1階の8畳間であると推定した。
年代調査をした広島大大学院 三浦正幸教授
柱の鉋(かんな)跡から、1番古い母屋の建築年を「18世紀後半」とした上で、
増築を繰り返しながら大邸宅にしていった経緯を説明。
いろは丸事件で坂本龍馬と紀州藩が談判した 旧町役人・魚屋萬蔵宅 公開 04/7/3(土) 13時〜16時
そして 後山公園散策
NPO(特定非営利活動法人)「鞆まちづくり工房」
いろは丸事件
慶応3年(1867年)4月23日深夜、坂本龍馬と海援隊士34名を乗せ、
海援隊初の航海へと船出した「いろは丸」(45馬力・160t)瀬戸内海を大阪に向けて航行中、
現在の福山市宇治島沖で紀州藩の軍艦「明光丸(150馬力・870t)」と衝突事故をおこしました。
小さな蒸気船いろは丸は大破し、明光丸に鞆の浦に曳航される途中、沈没しました。
この海難事故の賠償交渉は万国公法(当時の国際法)にのっとり、この度の保存対象となっている
町役人・魚屋萬蔵宅で行われました。
天下の御三家・紀州和歌山藩を相手の交渉は困難を極めましたが、龍馬は決死の覚悟で世論操作を行ったり、
「万国公法」を持ち出すなどして紀州藩より七万両の賠償金を引き出し、龍馬の卓越した政治力、
したたかな交渉能力、
広範囲な人脈の駆使、傑出した戦略・戦術が天下に知れ渡るきっかけとなりました。
なお、この事件は日本初の蒸気船同士の衝突事故であり、
互いの航海日誌をもとにした談判は日本初の近代法による賠償交渉といわれ、
日本が近代国家に生まれ変わろうとする激動の時代を象徴する事件といえます。
07/11/17(土)
龍馬談判の町家修復 龍馬の誕生日である15日から一般公開
後山公園の野鳥
この付近には、
エナガ・ヤマガラ・ホウジロ・イカル・メジロ・コゲラ・キジバト・ウグイス・リンズイ・キジなどが生育しています。
また、冬季には日本で最小の鳥といわれるキクイタダキも見ることができます。
2010年
NHK大河ドラマ 龍馬伝
第42回 「いろは丸事件」2010.10.17放送される。
関連サイト
「平成いろは丸」就航式