七日市宿〜堀越宿(間宿)」西国街道を歩く 2005/5/8(日) 母の日。

  うす曇り 小田川沿いの旧山陽道 18人の旅人 歩きました。2度目の散策地 新たな発見・感動あります。

  井原駅 矢掛まで 自転車ツーリンググループ 井笠鉄道に自転車をのせて?・・・。RSK取材に来ていました。

    今年の国体は岡山です、幟が立っています。「晴れの国おかやま国体」 第60回目となる記念すべき大会

  新緑の季節  ツツジ・牡丹・すみれ など 庭先にキレイに咲いていました。

  行程  約7km。

  井原駅――七日市宿――小田川渡し場―― 一橋陣屋・江原役所跡――興譲館――神戸新町―

  田中誕生地――中堀城址・甲山八幡宮――今市宿(間宿)――青木一里塚跡――高越城址(北条氏)

  刀工女国重宅跡――堀越宿(間宿)――ふくふく地蔵――井原線小田駅 
 

 
にほん縦断こころ旅  
放送日:2017年4月18日(火)617日目 岡山県井原市

岡山の旅は満開の桜 神辺城跡から手紙を読み 
井原線・神辺駅に乗車、井原駅で降り 明治という里へ

     「井原駅」弓矢イメージの駅舎
   那須与一 ゆかり地

ジーンズと井原市
温暖な気候と豊富な水に恵まれたここ井原市では、今から340年前から綿花を栽培し、手つむぎと手機により衣服を織っていました。

江戸時代には参勤交代で行き来する人々の土産として、大いに人気があったそうです。明治時代から生産が始まった小倉服地は主として学生服などに使われ、第二次世界大戦まで「備中小倉」として、その製品は世界各国に送られました。

こうした厚地織物の技術とジーンズの素材になるデニム地の生産地であった井原では、昭和30年後半から米国製ジーンズが東京・大阪で若者に人気を博していることに着目し、全国に先駆けてジーンズの製造を開始しました。
そして昭和45年頃から若者を中心に爆発的なジーンズブームが訪れ、一時井原では年間1500万本、国内のおよそ70%にもあたる生産量を誇り日本を代表するジーンズ産地として今日に至っています。

七日市公園

井笠鉄道が昭和23年4月購入(ベルギー製)し、昭和24年12月まで主に井原・笠岡間を運転していました。

この機関車は二軸で動輪が4個のため重すぎて、(重量15トン)レールや枕木の破損が激しかったたため、1年9ヶ月の短期間の運転でした。

旧山陽街道は小田川の川越え渡し場へ

川越し上り場跡

明治維新の変革後、一橋藩の保障もなくなり参勤交代による諸大名の通行もみられなくなり、海岸沿いには新国道がつくられ、地元の反対もあり国鉄の布設は南部を通過する。
小田川の谷はまったく新しい時代の波に取り残され忘れられた感がある。

小田川(芳井川)

ここから街道は所々で小田川の流れを見て歩きます。

日芳橋碑

安政四年十一月七日
石畳として二十丈、幅十二尺の木橋を架設。
駅名の七日市と河川名芳井川とから「日芳橋」と命名。

川越は単に架橋技術の困難というより一朝有事の
際の戦略的な遠慮によるものであった。

丁男がでて通行者は肩車にのせ涼台のごときものを用いて東西の旅人を渡した。諸大名通行の時戸々の丁男が出て組を設けて出役しなかなか壮観なる川渡の光景があった。

詳しくは「井原市史」ある。

一橋府江原役所址

文政十年 西江原が一橋領になり代官所が置かれた。

一橋家のおこり
徳川八代将軍吉宗がその子宗武・宗尹を江戸城の田安・一橋門外に住まわした。九代将軍家重は次子重好を清水門外に住まわせた。
その門に因み田安家・一橋家・清水家という。
備中国において上房、小田、後月の三郡、64カ村、領地は三万三千石余である。

一橋家より入って将軍となったのは十一代将軍家斉と十五代慶喜の二人である。

興譲館 校門

興譲館は、庶民の子弟の教育を目的として、一橋家と郡内の有志が阪谷朗廬を招いて創設した郷校です。

地蔵堂

平櫛田中誕生地

うすなの八幡山の小松ひき
結びて植えしこの松の
百とせ生ふる今日にもあるかな


たくたろう しるす
   
百五歳誕生を記念してこれを建つ 昭和51年4月

 

二度も養子に行った 生まれてすぐ養子に出され 15歳まで居た地・・。
沼隈郡今津(福山市)平櫛家に養子に行く。
松は八幡山から(甲山八幡のこと)
かつて大きな松があった、今は小さいが松を植えてあった。
碑文の写しを頂きました 
碑のある家の方説明 有難うございました。

中堀城址

甲山八幡宮

小堀遠州の石灯篭

境内の隣に 「古い発動機」並べてあります

甲山八幡宮
鳥居のしめなわ 「龍の頭」見事に細工してありました

見事な「しめなわ」です。

今市宿(間宿)

本陣:難波又次郎

虫籠窓ある趣のある街並み

旧山陽道一里塚跡

「備後尾道より九里、備中板倉より八里」

「ちろり庵」で昼食しました。野菜炒め定食とビール。

道路沿い「めだか 一匹 百円」の看板ありました。

高越山城址
(北条早雲誕生の地)

戦国時代の扉を開いた武将、備中国(岡山県)で高越城主伊勢新左衛門盛定の子として生まれました。妹の嫁ぎ先の縁で駿河国(静岡県)へうつり、今川氏につかえたことをきっかけに伊豆国(静岡県)に攻め込み、さらに小田原城を攻めて落として駿河国(神奈川県)を手にして北条氏の関東制覇の礎を築きました。

道路の真ん中 血を出した ヘビが口を開けて通せんぼ
帰りは口閉じて 天国?

刀工女国重宅跡

欠けている 押延の里程標

押延(峠)旧山陽道

本陣・村役人など土下座をして出迎え場所も台場といって位置が定まっていた。
神代町押延と小田町の境には県道改修まで道の両側に長方形の道と同じ高さの四坪位宛の台場跡が残っていた。

押延の井笠鉄道沿い・小田川沿い 歩きます

食堂「小田川」に清酒「松乃操」の看板ある。

旧山陽道 堀越宿

小田の堀越は西江原とともに旧山陽道の矢掛・七日市間の「間の宿」として賑わいました。

江戸時代、宿場と宿場を結ぶ街道筋にある宿駅の補助をする所を「間の宿」と呼び、本宿で常備する人馬数の一部を負担したり、荷物の付け送りをする問屋などありました。
旧堀越宿には78軒の屋敷があったと伝えられています。いまでも虫籠窓を備えた町家が並び、当時の街道筋の賑わいを垣間見ることができます。

曹渓山(そうけいざん)禅源寺

御住職から ありがたい 講釈を聞きました。 宗教とは?

ふくふく地蔵
曹渓山(そうけいざん)禅源寺の境内に祀られたお地蔵さんで、昭和58年に同寺の境内を整地中に本堂裏より出土した首なし地蔵です。
「長寿円満大福幸福」を願って当時の住職により命名されました。

元々この地は江戸時代に六道地蔵の霊地のあった所と言われていました。

今では毎年4月に大祭が行われ、”ぼけ封じのお地蔵さん”として多くの信仰を集め、善男善女で賑わっています。

堀越宿

街道沿い趣きあります

小田駅  15時30分

室町時代の歌人 正徹(しょうてつ)の地。

 

七日市宿←/井原線小田駅/矢掛宿

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