「小田〜矢掛宿」西国街道を歩く 2005/6/12(日) 2011/11/13(日)
第36回矢掛の宿場まつり(毎年11月第2日曜日)
大名行列
平成23年11月13日(日)岡山県矢掛町 矢掛商店街
矢掛小学校13:00出発→田町→西町→本陣(休憩)中町→脇本陣15:30着…解散
「下に―、下に―」の声とともに、江戸時代へとタイムスリップさせてくれます。
今も本陣と脇本陣の両建築物が現存し、昔の面影を残している矢掛商店街に醸し出す歴史劇の一大絵巻
参勤交代―大名行列
大名、小名は領地と江戸に交代で住み毎年4月中に参勤せよ
統制のために諸大名を江戸に参勤させ、在府、在国を一年交代とし、その妻子を江戸に事実上の
人質としたのです。参勤交代は、道中の費用、江戸屋敷の維持費に出費させ、離反を防ぐ巧妙な
手段でした。一方で参勤交代は地方の経済、交通機関の整備や文化の交流につながり、江戸はもとより
街道や宿場の繁栄につながりました。
参勤交代は1670年代までは海路瀬戸内海を通行するのがほとんどで、陸路はごくわずかでした。
1700年代に駅制の整備が進み陸路の通行が安全で簡便なものとなり増加しました。
1770年代に入ってさらに増え、幕府御用が年平均六通行、参勤交代が年平均十五通行あり、その後
幕末までこのペースが続きました。
井原鉄道乗車します | |
矢掛小学校13:00出発 | |
奥方 腰元 | |
姫君 | |
石井家 本陣(休憩) | |
殿様 本陣へ入ります | |
岡山県指定名勝 大通寺庭園 江戸時代末期 矢掛の中西源兵衛が築いた 池泉鑑賞式庭 高峰山を借景にし、釈迦三尊石、 須弥山(しゅみせん)石などを配した 躍動感のある庭 |
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禅堂衆寮より西方池をのぞむ | |
高峰山 大通寺 開山 天平15年(743) |
2005/6/11日 中国地方平年より5日遅く梅雨入り。
街道沿い 小田川の水を引き 田植えの真っ最中。薄日が差す梅雨の一日でした。
コース 総行程 6km
井原線小田駅前―――毎度一里塚跡―――毎度池―――大鳥居・大曲―――高通川徒歩渡し跡
矢掛宿―石井家本陣―高草家脇本陣―――矢掛一里塚跡
毎戸一里塚跡 尾道より十里、備中板倉より七里。 平成16年に建てた石碑。 |
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古代山陽道 小田駅家跡の遺跡がある
毎戸池の畔「光明真言供養塔」が二基 後方の山「田鶴山」 |
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阿部山
平安の昔 現在「美星の天文台」「遥照山の天文台」 |
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貴布祢神社道標
南へ十丁 |
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鵜江神社の大鳥居 | |
大曲り | |
常夜燈 右隣の五角形の石は田の神「社日様」 五角柱の地神広島県東部・岡山県南部には五角柱の地神 があります。社日(秋分、春分の日に最も近い前後の戊(つちえ) の日の行事として、往来の道端に五角形の木を立てて、子(ね) 「北」の方向に天照大神(あまてらすおおみのかみ)、寅卯(とらう) 「東北東」に大己貴命(おおなむちのみこと)、巳(み)「南南東」に 少彦名命(すくなひこのみこと)、未申(ひつじさる)「南西」に埴安 姫命(はにやすひめのみこと)、戌(いぬ)「西北西」に倉稲魂命 (うかのみたまのみこと)の五神を書いて竹を立て注連(しめ)を 引き、五穀を供え、社稷(しゃしょく)『土地の神(社)と五穀の神 (稷)』を祀る事。秋の社日も同じで村中が半日休息する。 天照大神(太陽の神)・大己貴命(農耕の神)・倉稲魂命 (食物の神)・埴安媛命(土の神)・少彦名命(農耕の神) |
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先祖供養地蔵 | |
もうすぐ黄色の橋渡れば
矢掛宿です |
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旧山陽道 矢掛宿矢掛が山陽道の宿場としてその名をみせるの は室町時代になってからです。今川貞世が九州探題に任命されて、 九州に赴任する際に記した「道ゆきふり」の中に「屋陰」という里で 一夜の宿をとったと記されています。一説によれば、貞世が宿泊した 「屋陰」は江戸時代の矢掛宿とは異なり、茶臼山西麓の古市だった と言われています。その後、江戸時代初期に諸大名の参勤交代が 制度化されると、矢掛においても当時の領主によって古市から現在 の場所へ人家を移転し、宿場としての整備が行われたと伝えられて います。元禄二(1689)年に作成された「矢掛町地子御免間数 絵図」 (石井家文書)によると、矢掛は山陽道に沿って東西約800mの町並み を形成しており、北側に95軒、南側に102軒の地子”うなぎの寝床”と 呼ばれる矩形の地割りで、基本的には大きな変化はなく、今日に至っ ています。本陣や脇本陣をはじめ江戸時代の旧姿をとどめた町並み は岡山県町並み保存地区に選定されています。 |
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「のこぎり・ジクザグ地取」 「のこ」の目のように入ったり出たりしている。遠くまで見通せない工夫、 プライバシーを守る?身を隠すため都合のよい家並みとなっている。 「旧山陽道 矢掛宿」の案内板 本陣前にあります。 昼食場所 矢掛町胡町「寳来」で すし定食と生ビール |
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矢掛宿本陣(石井家)ボランテアガイド おじさんの説明聞きました 08/11/8 08年の大河ドラマ「篤姫」のモデルとなった天璋院篤姫 (1836―83年)が、岡山県矢掛町矢掛の旧矢掛本陣石井家に宿 泊したと思われる記述が、同本陣に伝わる古文書から見つかった。 篤姫が徳川13代将軍家定に嫁ぐため、薩摩から陸路江戸に向かっ たとされる1853(嘉永6)年8月から同10月の本陣の宿帳(岡山県 立博物館寄託)を解読し、発見した。薩摩藩主を示す中将様が入っ た「中将様御娘也」や「薩州御姫君様」という記述のほか、女中や 警護の武士ら本陣に宿泊した人数(52人)、食事の手配も記載。 日付はないが宿帳の前後の記述から9月とみられ、時期や規模から 篤姫の一行である可能性が高い、としている。 |
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上段の間には
桃山末期のものといわれる欄間には「ブドウとリス」 |
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欄間 | |
上段の間 大名や公卿の休泊したところである |
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裏口には重りで閉まる裏門 | |
南側 小田川沿い国道486号から裏門を見ました | |
裏門座敷長屋 この長屋は 宝永3年(1706)備中・森家の西江原陣屋(井原市)から 移築した由緒あるもの |
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矢掛脇本陣(高草家) | |
矢掛一里塚跡 | 南北とも黒松で、北側の松は明治16年頃に積雪で倒れ、 南側は昭和16年に省営バス路線工事のため伐採されました。 |