松江カラコロ旅情 フォーゲルパークと堀川めぐり  2005/5/12(水)

新日本風土記 選「松江」
初回放送日: 2022年10月7日

水の都、松江。お堀の遊覧船で歴史の町を巡る。
神話の地・出雲ならではの信仰、江戸時代の武家文化、小泉八雲の怪談。
情緒漂う古都と伝統守る人々の物語(2022年放送)

堀沿いの武家屋敷や宍道湖に輝く夕日など、旅情誘う水の都、島根県松江市。
江戸時代の姿をとどめる貴重な現存天守・松江城の城下には、
大名茶人・松平不昧が広めた茶の湯の文化が根づく。
一方、古事記の神を祀る美保神社では、夏の夜中、神が宿る面をつけた巫女が暗闇の中を舞う。
小泉八雲が聞き書きした怪談の地を巡るゴーストツアーや、シジミ漁を守り抜いた漁師たちの物語も。
古くからの伝統が今も息づく古都・松江の夏を巡る旅


親孝行をしました。

宍道湖の北 一畑電車 頑張って残っていました。

秋鹿(あいか)の町に松江フォーゲルパーク

交通量が多くない時代

完走した宍道湖一周マラソン 思い出す

三中→秋鹿→平田→荘原→宍道→来待→玉湯→乃木→学校

かつてはどぶ川でよくフナ釣りした、堀川めぐり

松江大橋の北詰 皆美館 宿泊。
 

松江フォーゲルパーク  花と鳥の楽園

フォーゲル(vogel)とはドイツ語で鳥を意味します。

花の展示室は、世界最大級の規模で、年中満開の数千種のベコニア・フクシアを中心とする花の別天地。

2つの鳥の温室をはじめ園内各所でたくさんの鳥。

 
 
 
堀川めぐり

 堀には白鳥がおったが・・・見当たらない。
鷺が岩に 魚をねらっていた

亀がたくさんいました

鯉・鮒をよく釣ったところ。  

塩見縄手 日本の道100選

小泉八雲旧居・武家屋敷・知事公邸・田部美術館

並んでいる  

椿谷・・・椎の実・栗・くるみをよく取った所

県庁の辺りで絵を書く女性。  

京橋川

カラコロ工房  

米子橋

ハナショウブ・紫陽花が川岸にあります  

江戸時代の石組み 
お城見える

北堀町のどう行列の倉庫。  

松江城

「歴史秘話ヒストリア」すごいぞ!国宝 松江城  NHK放送 平成27年10月28日(水)

エピソード1 松江城 国宝の秘密
戦国武将・堀尾吉晴がつくった松江城は、戦うための工夫がいっぱい!でも、
それだけではありません。当時、日本中で木が不足し、
手持ちの木材を有効利用した“節約城”。
それが国宝指定の大きな理由にもなりました。

インターミッション 粋を愛したお殿さま
江戸時代に松江藩主だった松平不昧(ふまい)。殿様の不昧はすぐれた茶人で、
風流な趣味人でもありました。不昧が愛した品の数々は、今も松江の人々に
『不昧公好み』と呼ばれ、受け継がれています。
お茶にお菓子に…金魚?!お殿さまのお気に入りでつづる松江城下町の魅力!


エピソード2 国宝松江城の怨霊
松江城には、築城にまつわる数多くの伝説があります。突然崩れる石垣、
次々に亡くなる城主、天守に現れる女性の怨霊…立て続けに起こる
怪奇現象は何を意味するのか?!その解決の糸口は、
とある“魚”に…?松江城・神秘の物語。


2015年8月1日 ブラタモリ 放送
#14 松江
国宝 松江城の城下町は どうつくられた?

ブラタモリ、初の中国地方へ!舞台は島根県松江市。
7月に国宝となったばかりの松江城を訪ね、その城下町の秘密を解き明かします。
実は、城がつくられた江戸時代のはじめまで、湿地帯で人が住みにくい場所であったという松江。
では、どうしてそんな土地に城下町がつくられたのか?
「城と町づくり」をテーマに、水と戦い、
水と共存してきた松江の人々の知恵と工夫にタモリさんが迫ります。
町中に張り巡らされた堀にひそむ工夫を、
タモリさんが遊覧船で発見?名産のシジミとまちづくりの関係とは?

小泉八雲文学碑


ここは八雲の在松中、尋常中学校の運動場であった。

その模様を八雲は英語教師の日記の中にかき、
また通勤の近道であった。


学生の頃軟式テニスコートで練習したところ

変わっていました。

 
美しい・スケールの石垣 
石垣の記号

 

千鳥城 
一の門

三の門跡は石垣修理中。  

 興雲閣

 なんじゃもんじゃ きれいに咲いていました

国内では長崎対馬地方と、岐阜県東濃地方だけに
自生している大変珍しい樹木です。
最近は各地の公園や学校によく植えられていますが、
ここ城山公園内のなんじゃもんじゃは、
昭和15年に松江市奥谷町出身の、杉坂 治氏が寄贈されたものです。

5月には真っ白い花が、あたかも雪が降り積もったのように木一面
に咲きそろいます。

和名:ヒトツバタゴ
学名:Chionathus retusus
科 :モクセイ科


2015/12/29(火)  皆美館で偲ぶ会

皆美館

明治21年の創業

文豪の宿の由来
小泉八雲、島崎藤村、与謝野鉄幹・晶子、川端康成など
明治、大正、昭和そして平成と著名なる文人に親しまれた。

藤村が「―いっそ 松江の人にでもなってしまおうか―」と語った風情は今も往時の面影のまま
旅情あふれる時を・・・。藤村の間

庭園

夕日は曇り見えませんでした。  

 翌朝 雨でした。

シジミ取りの船は競争し一斉に出ました。

家伝・・・鯛めしは美味しい。

松平不味公好み  皆美家伝鯛めし

「鯛めし」は、長崎や平戸港などへ国内貿易で滞在中の
用人達が味わい見覚えたオランダ料理を持ち帰って
不味公に献じ

これにヒントを得て自ら愛好する
「そば具」と「汁かけ」を混用して

日本風の御殿料理に仕立てたのが始まりだといわれます。

夕食後 宿の下駄で カタカタと

カラコロ 大橋渡りました。  

小泉八雲ゆかりの地―10 

源助柱・大庭(おおば)の音のする石

堀尾吉晴公が初めて橋を架けようとした時、余りにも
難工事だったため一人の男を人身御供にした。
その源助の名をとって大橋の中央の柱を源助柱と呼んだ。
小泉八雲は著書「神国の首都」興味深く記している。

また打てば鐘のようにひびく大庭の石は、
一定の距離以上へ運び去ることは出来ないという伝説の通り、
松平公がその一個を松江城に運ばせようとした時、石が非常
に重くなってきて千人かかっても大橋から先へ動かすことが
出来なかった。  

小泉八雲ゆかりの地―2  

第一の宿・富田旅館跡  
から大橋を見る
明治23年8月30日午後4時、対岸の港に船で着いた小泉八雲は、
この地にあった富田旅館に泊まった。この宿で迎えた松江の
印象を、極めて鮮やかに感銘深く記している。

「松江の一日の物音の中で朝眠っている人に、まず聞こえてくる
物音は、丁度耳底で緩やかな大きい脈が搏つようにひびいてくる。
それは柔らかい鈍い衝撃音だ。

(中略)日本人の生活に伴うあらゆる音の中で、私には最も哀れ
に思れる。米つきの音は日本という国土の脈搏だ。」
著書 知られぬ日本の面影より

 
  2016/6/27(月)偲ぶ宴
2017/4/16(日)供養の宴

大橋館

                               松江カラコロ旅情  

                          ぐるっと松江レイクライン  09/12/19(土)
                        
北堀小学校跡地・千鳥南公園・白潟公園 09/10/31(土)
                                        「松江城・城山稲荷神社・加賀の潜戸」    09/08/14(金)
                                        月照寺・嫁が島・一畑薬師・出雲大社      08/08/10(日)〜11(月) 
                                        「石橋町・北堀町 辺り」                        06/8/7(月) 
                                       史跡 田和山遺跡                             06/3/11(土)
                                        フォーゲルパークと堀川めぐり              05/5/12(水)
                                       八重垣神社                                       04/5/5(水)
                  ホーランエンヤ                2019年5月18日(土)

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