西国街道 摂津国を歩く JR神戸駅〜住吉駅まで
兵庫県神戸市中央区〜神戸市灘区・東灘区 2013/3/17(日)
彼岸の入り 朝は寒く冬支度で出発。
行程 11km 4時間30分 10人の旅人。
JR神戸駅→兵庫県里程元票→元町1.2km→走水神社→南京町広場→三宮神社→生田神社→西国橋
→一里塚橋→街道松→本住吉神社→JR住吉駅
10時25分 集合出発 JR神戸駅 JR高架下をくぐります。機関車SLが置かれています。 兵庫縣里程元標あります。 |
元町1.2km アーケードにはすずらん灯 それぞれ趣がちがっていることに気がついていましたか?
スライドショー楽しみ下さい。
連続テレビ小説べっぴんさん
放送:平成28年10月3日〜平成29年4月1日
異国情緒あふれる架空の 神戸・港町商店街
脚本家・渡辺千穂さんのオリジナル作品です。本作は実在の人物をモデルとしますが、
激動の時代を生きた女性たちの人生の物語として大胆に再構成し、フィクションとして放送。
登場人物
坂東すみれ役 芳根京子
キアリス社長 永山絢斗
すみれの姉 蓮佛美沙子
坂東さくら 井頭愛海
中央区 元町商店街アーケード 神戸開港後 貨物の集散と船客の往来でにぎわい、 元町商店街を生み、銀行・商社・官庁これに 付随するサービス業を誘引して、 神戸一の繁華街を形成することとなる。 元町商店街は、ガラスアートのアーチが目印。開港当時、 神戸に移り住んだ外国人たちの御用達だった老舗が 今も軒を連ねます。 |
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走水神社 旧走水村の氏神で、祭神は天照大神、応神天皇、菅原道真の三座。 大名行列や旅人の往来が多く、幕府の高札場(こうさつば)が 設けられていた。また、走水(はしうど)の村名は、昔、再度谷に 大水が出ると、この村めがけて水が流れ水害を受けたため、付 いたといわれている。 |
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南京町広場 豚まん屋 老祥記(ろうしょうき) 大正4年創業。「ぶたまん」という呼び名の発祥のお店。 |
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日本三大チャイナタウンの一つに数えられる「南京町」。 |
三宮神社 旧神戸村の氏神で、祭神は湍津姫命(たきつひめのみこと)。 かつては深い木々におおわれ旅人の憩いの地となっており、 また、神戸港開港後は境内から湧き出る清水を神戸に入港す る船が汲んでいったという。なお、境内には神戸事件発祥地の 碑のほか、源平合戦で生田の森で戦死した河原(かわら)兄弟 をまつる「河原霊社」とその碑が建っている。 |
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本街道・浜街道 合流地点 三宮センター街 神戸ショッピングのメインストリート。 明るいアーケードの大通りが、三宮と元町を結びます。 |
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いくたロード 歩きます。 生田神社 祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)。震災で倒壊した本殿 は平成8年(1996)再建された。境内には源平合戦の際、梶原 景季(かげすえ)が梅の枝を箙(えびら)にさしたという「えび らの梅」をはじめ、平敦盛の遺児が父の墓所を訪れる途中で休 息したという「子敦盛の萩」や、「神功皇后釣竿の竹」 「弁慶の竹」などがある。 西国街道の古い道標が門右手に建っている。 現在、本殿の奥に森があるが、もとは旧生田川(現在の税関線) まで一帯を「生田の森」と称した。 |
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JR三ノ宮駅 | |
西国街道の案内板・道標 神戸市内ではこうした説明板や石碑が よく整備されていています。大変 助かります。 フラワーロードが旧生田川 |
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新生田川 旧生田川を付け替えられた。 1871年(明治4年)、生田川下流に築かれた居留地を洪水から守るため 3ヵ月の短期間で、蛇行していた川をまっすぐに付け替えられた 神戸の川の特色といえば「天井川」であるが、これは六甲山が 海に迫る地形の為、急流となり土地が山から運ばれたことに 起因している。 江戸時代は橋でなく「徒歩渡り(かちわたり)」といって 土手をつたって飛び石づたいに川を渡ったといわれている。 |
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雲井橋 新生田川 渡ります。 |
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12:40〜13:05 脇浜公園で昼食 灘区 灘のタカバシ 明治7年、大阪〜神戸間に鉄道が開通し、同40年、現在のJR灘駅の 約300m東にあった旧灘駅から中央区の小野浜にかけて臨港線のレールが敷かれました。 その時岩屋村(今のJR灘駅周辺)と原田村(今の阪急王子公園駅南側一帯)とを結ぶ道筋 に設けられた鉄道を跨ぐ橋として建設されました。 「タカバシ」の名で親しまれ、近くの交差点名にもなっています。当時は赤レンガで作られ、 震災前までは橋脚部分にその一部その面影が残っていました。 西郷川 岩屋中橋 架かっています |
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都賀川西灘橋から上流を見る 2008年7月28日14時44分から神戸市に突発的、 局所的な集中豪雨が発生した。 水遊びなどで都賀川や河川敷にいた16人が急激な 水位上昇により流され、 うち11人は消防団員や他の民間人によって救助されたが、 小学生2人、 保育園児1人を含む5人が死亡した。 |
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阪神電鉄本線沿い歩きます 処女塚道標 正面に「兎原遠(うはらお)とめ塚」・左右に「小山田健雄戦死碑」 の文字が刻まれている 小山田建雄は延元元年(1336)五月湊川の戦いで敗れて東へ逃れる 新田義貞の身代わりとなって忠死した義貞の重臣小山田太郎高家のことです。 |
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西国橋 灘区から東灘区へ 全員の写真撮影 |
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徳川道起点の案内板 神戸の港は江戸時代幕末の慶応3年12月7日(1868) に開港しました。幕府が外国人 との衝突を避けるため、「徳川道」という本街道付替 え工事を突貫で完成させた 昼から気温あがりセーター脱ぎます。 |
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天神川に一里塚橋 | |
御影中学校に街道松 旅人は日陰として休みに使った松 |
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太鼓の音 山車の練習していました。 本住吉神社 |
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有馬道の道標 有馬温泉まで12.4km。 有馬温泉 太閤秀吉、湯治のために、 たびたび有馬に足を運び、千利休らとともに盛大な茶会を催しました。 |
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JR住吉駅 15時ここで別れました。 |
JR塩屋駅〜JR神戸駅←JR神戸駅〜住吉駅→西宮宿
→JR住吉駅〜西宮