西国街道ぶらり旅 東広島市西条町上三永〜西条本町
4月14日(土) 2007/6/9(土)
約6km。
2007/6/9(土) 初夏の特別企画
一里塚がどんなもでであったか?復元された一里塚見ました。
しばし 往時の様子を思い巡らしました。
「○ ○ ○一里塚跡」と書いた石柱ではありません。
9時に西条駅集合、車で参加しました (80km、2時間)
前日は寒気に伴った低気圧 落雷 ひょうが降りました。
降水確率 午前50% 午後20% 雷注意報発令中。 雨を心配ましたが、晴れました。
ぬかるみも 思ったほどありませんでした。早朝、突然の雨で参加者18名ほどでした。
四日市宿の今むかし
西条盆地は、県内屈指の穀倉地帯で、三ッ城古墳や安芸国分寺が造営されるなど、古代安芸国
の政治・経済・文化の中心地として早くから栄えた。国府も此処の近くに位置したと推定され、
都と大宰府を結ぶ古代山陽道は、塔の岡あたりを通り、その西方に木綿駅家が置かれていた。
この地域は、高級品として広く知られた安芸木綿の産地であり、地名も木綿郷とされる。
また中世には、東西条と呼ばれ、周防の守護大名大内氏の所領であった。
大永3(1523)年に出雲尼子氏の攻撃を受けるまで、鏡山城が芸備両国の政治拠点となっていたのである。
東広島市の中央、四日市次郎丸村は、天正年間(1573〜91)に市が起こったと伝わる。
江戸初期に広島藩が西国街道の整備を行い、ここ四日市には、御茶屋と呼ばれる
藩内最大本陣・脇本陣がもうけられるなど、宿場町・市場町として大いに賑わった。
酒造りもこの頃から行われており、町中には延宝3(1675)年に建てられた酒蔵が伝存し、
発掘調査により醸造遺構も明らかとなっている。その後、近代には軟水醸造法が採用され、
山陽鉄道の開通によって飛躍的な発展を遂げた。現在では、わが国有数の名醸地の一つに数えられ
国際学術研究・先端技術開発の要地、東広島市の表玄関として伸暢の途にある。
(JR西条駅正面の壁 説明板)
西国街道・安芸の旅 西条駅周辺、西条酒蔵通り 広島県東広島市 2017/12/10(日)
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酒どころとなった秘密は!?
「酒どころ・西条をブラフミエ」
初回放送日: 2022年10月21日
小野文惠アナウンサーが広島県内をブラリしながら町の魅力を再発見する“ブラフミエ”。
今回は酒どころ、東広島市西条が舞台
▽半径500メートルの範囲に7つもの酒造会社が密集している理由とは何!?
▽秘密をひもとく鍵は、この地域に湧き出す全国的に珍しい水の特徴にあった
▽水源の山から訪ね歩いて分かった大自然がもたらした恵みの理由
▽更に、酒の力によっておいしい牛肉を作ろうとする高校生の最新研究にも注目だ!
9時10分:JR西条駅集合
西条駅9時24分発 「石門」バス停(9:50着) 駅前 綺麗に 変わっていました。 |
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西国街道 四日市
JR西条駅正面の壁に 表情豊かに表現している。 西条ロータリークラブが |
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10時20分「石門」出発
石立大明神社 |
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復元された
日向一里塚 全周が残る北塚をバックに |
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ぬかるんだ道 | |
松子山峠へ
木が茂り 昼でも薄暗い街道歩きです |
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ため池
段差がある道 脚立を用意してもらいました。 |
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かごまつの碑
巨大な老松があり、往来した藩主たちが休息した。 松は昭和18年枯死。 |
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今宮神社(牛宮神社)
牛満長者伝説が残る |
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歌謡坂(うたうたいさか)一里塚跡
街道は原比川沿いに 左の土手に碑があります 牛満長者が田植えを歌を歌いながら始めさせた事から |
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タチアオイ | |
賀茂鶴酒造
杜氏の食堂で遅い昼食 酒蔵を案内して貰い、そして、試飲しました |
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824円 ゲット | |
四日市本陣跡
石垣 |
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白牡丹酒造の蔵 2017/3/10 賀茂鶴・白牡丹の関連施設 国登録文化財へ 西条の全7社がそろう 今度は 酒蔵通り探検 巡りしたい 14時半 西条駅で散会 |
春の特別企画 07年4月22日(日) 集合:9時10分 9時24分発「竹原行き」9時50分「石門」バス停
雨、60%予報により、延期といたします。
全国的に前線が南下し、雷も予報される、午後は広い範囲で雨。
今回の行事については、後日、改めて日程を決めて、連絡したいと考えております。
楽しみにしていただいていたところですが、残念です。
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4月22日(日)下準備です。
4月14日(土)の道普請と復元された日向一里塚見ました。
前日の雨が上がり
このほど 復元され、発掘された所から移動、 道路沿いにあります。
復元された日向一里塚をみました。
ぬかるんだ街道の下見を兼ねて
地元の支援もあり ぬかるんだ道を整備しました。
日向一里塚跡 発掘調査の写真
東広島西条町上三永 発掘調査を行った。石列を巡らせた塚のようすが明らかになりました。
四日市宿(東広島市)から本郷宿に向って二つ目の塚にあたり谷沿いに峠を下る坂道の
両側に造られました。このうち全周が残る北塚は円形で直径6m高さ1.7mで
東海道の一里塚の約2/3の規模です。盛土の一部が流出し変形していると考えられます。
塚は石を貼るように並べたり2・3段に積んで巡らせた石列があり広島藩の指示により
松が植えられたことが知られています。塚の脇にテラス状の平坦面があり旅人はここで
ひと休みしたのでしょう。
発掘調査の写真 | |
全周が残る北塚は円形で直径6m高さ1.7m | |
2・3段に積んで巡らせた石列 | |
盛土の一部が流出 |
1時間40分(73km) かかりました。 街道の名所 三永の石門 ここで 9時30分待ち合わせしました |
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日向一里塚跡碑
東広島呉自動車道建設中 |
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復元された一里塚
右:北塚 左:南塚 道幅 2間半(4.5m) |
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全周が残る北塚は
円形で直径6m高さ1.7m |
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全周が残る北塚
雑草をみんなで刈りました 松が植えてあります。 |
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南塚
上に松が植えてあります |
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北塚から南塚を見る | |
ぬかるんだ道を整備しました
前日の雨で ズブズブな所あります 倒木を並べました 流水の溝 作りました |
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倒木あります | |
松子山峠に石積み | |
松子山峠に碑があります
頼山陽がここから 12時 |