中山道を江戸へ下る旅 第4回 (守山~近江八幡)15km 守山宿から武佐宿
滋賀県守山市・野洲市・蒲生郡竜王町・近江八幡市 令和5年4月15日(土)
行程 7人の旅人 一日中雨降る
集合:10時 JR守山駅→東門院→本陣跡→石部道道標→市境(守山市から野洲市)→野洲川に架かる野洲川橋・雨風強まる
→野洲川と三上山→石仏群→東海道本線くぐる→宇野酒造→背くらべ地蔵→行事神社
→朝鮮人街道との分岐→東海道新幹線くぐる→12時すぎ昼食・まいどおおきに食堂→
桜生(さくらばさみ)史跡公園→東海道新幹線そば→家棟川隧道跡→西池→東池→
村田製作所野洲事業所→平宗盛・清宗胴塚→明治天皇聖蹟→道の駅「竜王かがみの里」→
国道8号→鏡神社→鏡の宿・本陣跡→若宮神社→西横関イノシシ防護用柵→日野川渡る・横関橋→
横関渡し場跡・安藤広重舟渡し→近江八幡市に入る→八幡社→近江鉄道八日市線・武佐駅乗車17時50分→
JR近江八幡駅・懇親会18時30分~・千年の宴→ホテル宿泊
守山宿から武佐宿 |
東門院守山寺(とうもういんもりやまでら)
延暦7年(788年)に伝教大師最澄が、比叡山寺(後の延暦寺)を建立した時、四境にそれぞれ門を構えることにした。
そのひとつとして、比叡山の東門として設けられた。
その後延暦13年9月3日に、比叡山の根本中堂開闢(かいびゃく)供養が行われ、湖上に舟橋を渡し、
東門まで「善の綱(白布の綱)」を引渡して桓武天皇が、湖上をお渡りになってこられた。
このとき、桓武天皇により比叡山東門院守山寺(比叡山を守る寺)と名号され、
地名も守山と賜ったと伝えられている。
高札場跡(こうさつばあと)
本道標が立てられているこの地点は、かつて掟書などが掲げられた高札場の一角であった。
道標は、高さ約1.55m、一辺30㎝角の四角柱の花崗岩製の石造品で、中山道側の側面には、
「右 中山道 并 美濃路」、その左側面には、「左 錦織寺四十五丁 こ乃者満ミち」の文字が刻まれている。
本陣跡
小宮山九右衛門本陣があったと推定される場所で江戸時代には問屋・脇本陣・本陣などの役割を果たした。
すぐいしべ道
吉身西交差点を渡ると最初の左路地角に道標が建っている。道標には
「高野郷新善光寺道是ヨリ二十五丁 すぐいしべ道」 と刻まれており、新善光寺への道標である。
守山宿を抜けると、大きな川となる近江最大の川、野洲(やす)川である
右の形の良い山は近江富士と呼ばれている三上山(みかみやま、標高432m)だ
野洲川に架かる野洲川橋・雨風強まる
背比べ地蔵
鎌倉時代からこの地にあり、旅行く人たちの道中を見守っていた。
また、昔の親たちが子どもの背の高さが、背の低いほうのお地蔵様と同じ位なれば、
「わが子ももう一人前」と背比べをしたことから、背比べ地蔵と呼ばれるようになった。
朝鮮人街道
ぶーめらん通りを30分程歩き小幡交差点を右折すると右手に朝鮮人街道の道標が建っている。
江戸時代、将軍が交代するたびに朝鮮国より国王の親書を持って来日する 「朝鮮通信使」 は、
役人の他にも文人や学者など、多い時には500人規模で組織され、
往復で約1年もの歳月を費やしたと言われている。ソウルから江戸までの約2000㎞の行程の中で、
近江八幡を含む彦根から野洲までの一部地域で 「朝鮮人街道」 と呼ばれている。
野洲市小篠原国道8号沿い 12時すぎ昼食・まいどおおきに食堂
桜生(さくらばさみ)史跡公園→東海道新幹線そば→家棟川隧道跡
元服池
源義経が東下りの途(承安4年3月3日)、当鏡の宿にて元服加冠の儀を行なった。
その時に使った水がこの池の水である。
道の駅「竜王かがみの里」
マスコットキャラクターは「近江うし丸」という。元服した源義経の幼名「牛若丸」と、滋賀県の
特産品である「近江牛」を関連付けたもの。
道の駅でトイレ休憩 衆院和歌山1区補選の応援演説に訪れた岸田文雄首相に爆発物が投げられた
事件をTV中継していた。
中山道六十九次の内・武佐
中山道は別名「木曽海(街)道」とも呼ばれていた。その中山道六十九次の第六十七番目が武佐宿である。
この絵は浮世絵師安藤広重が武佐の西にある日野川(横関川)の舟渡しの様子を描いたものである。
文化3年(1806)幕府が作成した「中山道文間延絵図」には
「平常渡し場、小水之節ハ舟二艘ツナギ合セ舟橋とナシ往来ヲ通ス」と注記されていることから平常旅人はこの舟で渡り、
水量が減ると川に杭を打って止めた二艘の舟の上に板を渡して作った舟橋を渡っていたことになる。
そうして、広重は大助郷の東横関村をあえて武佐としたと考えられる。日野川のこの場所に、
橋が架かったのは明治8年(1875)のことであり、明治19年(1886)には無賃通行となり、それから明治26年(1893)に
新調されたが、道路は中山道から国道8号となり、その新道として昭和12年(1937)近代的な横関橋が、この上流に
架橋され、旧い橋はその2年後に撤去された。現在も、ここから日野川をはさむ両側には、かつての中山道の道筋が
旧道として残っている。また、河原に下りれば、かつての旧道の橋の名残も確認できるので、往古の情景を思い
浮かべていただきたい。
鏡神社
主祭神は、天日槍尊(あめのひぼこのみこと)である。
当神社の創始年代は不詳であるが、主祭神天日槍尊は日本書紀による新羅国の王子にして、
垂仁天皇の御世(BC31)来朝し多くの技術集団(陶物師、医師、薬師など)を供に、
近江の国へ入り集落を成し吾国を育み文化を広めた祖神を祀る古社である。
鏡宿本陣跡
元祖を林惣上門右衛門則之と称し、新羅三郎義光の御裔である。
西横関イノシシ防護用柵→日野川渡る・横関橋→横関渡し場跡・安藤広重舟渡し→近江八幡市に入る
八幡社
ここ八幡社本殿は国指定重要文化財になっている。
祭神は応神天皇で、その始まりの時期について正確な年代はわかっていない。
一説に源義家が開いたといい、また、この地の守護職で、馬淵氏を称した佐々木広綱が、
当社を崇敬し社殿を建立したと伝えられる。
17時50分武佐駅(近江鉄道八日市線) 万歩計36,113歩 新記録
JR近江八幡駅・懇親会18時30分~・千年の宴
翌日 特別史跡 安土城跡 登城した。
八幡山城 登城 滋賀県近江八幡市 2023・9・7(木)
JR草津駅~JR守山駅←守山~近江八幡→武佐宿・愛知川宿・高宮宿
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