〜歴史と文化のまち・今津を歩こう〜 2011/11/20(日)広島県福山市今津町
西国街道の宿場町・今津町 見所いっぱい。6kmほど歩きました。
出来事
プロ野球 8年ぶり ホークス日本一。提言型政策仕分け もんじゅ「抜本見直しを」
@ 集合場所 今津小学校グランド 受付 9:00〜 開会 9:30 スタート 9:45 あいさつ 最も大事なもの 1、健康 2、家族の絆 3、地域の絆 |
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A 平櫛田中記念碑 平成3年(1991)4月除幕式 |
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B 太多理河(たたりがわ)井戸 寛文の頃までは、現在の高諸神社のあたりまで干潟であり 人々が通る街道は山際にあった。その街道沿いにおいしい 多量の水を湧出する泉があって、旅人や土地の人々によく 利用されていた。その泉の背後は丘陵地で特に池もないので 東村に通ずる鳥越付近から伏流水がその泉の源となっている らしい。この泉を太多理河という。 その後高諸神社のすぐ北に西国街道が通り、街道筋には段々 人家も増え宿場町として発展してきた。天保年間に蓮華寺の住職 の発起で太多理河の堀を大きく溝も深くし上屋もつくり、宿場町の 飲料水の確保に努めた。 |
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C蓮華寺「新熊野山 西方院 蓮華寺」 真言宗の古刹 大同2年(807)弘法大師の開山と伝えるが、文明3年(1471) 6月16日の「西国寺文書」に「今津蓮華寺 栄尊」と見えるのが 最古の記録である。 参勤交代の制度が確立し、今津宿の本陣は河本家、脇本陣は 蓮華寺と定められた。 本堂の西側には、書院造りの上段の間が残されている。 蓮華寺の裏には新羅の王子の御殿があったとされ王子山 |
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D 高諸(たかもろ)神社 宮司さんの説明を聞きました。 今津の産土神(うぶすなかみ)で、古くから町民をはじめ近隣の信仰 を集めてきた旧県社である。祭神は須佐之男神、剣比古神。 近世までは剣大明神として尊崇され、現在でも「お剣さん」として 親しまれている。 夏の大祭には、遠く瀬戸内海の島々から船での参詣も多かった。 満ち潮に乗ってお参りし、引き潮に乗って帰っていくので「潮間の市」 とも言われた。 |
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ハク(柏)の木 神殿の西南、国道側岩盤上にある大きな自生木である。 イブキ、イブキビャクシとも云われ、海岸地方に多く分布し庭木に多い。 県下有数の巨樹で、 周囲は3.7m、高さ10mで、樹齢は約250年になる。 |
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E今津本陣 今津宿の本陣は、代々河本家が勤めた。 「剣大明神の神主を勤める河本家は、新羅の帝を助けた田盛の庄司の後裔で 代々今津村の庄官であり、住所は昔からの屋敷で、町家より一丈余り高い山屋敷」 とある。 本陣跡には、薩摩藩や久留米藩の宿札が残っていて、九州各藩の定宿として利用 されていたことがわかる。 福山藩において幕末から明治への流れの中で起こった農民一揆により、 今津・松永両村の戸長であった河本家が襲撃を受け、建物が焼失した。 現在は、表門と屋敷地 を取り囲む豪荘な石垣に本陣の面影が残るのみである。 |
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F平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)旧居跡 明治5年(1872)6月30日 井原市西江原町で出生。 本名は田中倬太郎。 明治15年に今津町平櫛家の養子となる。明治18〜19年までと、明治27〜28年の 期間今津町で暮らす。 21歳のとき高村光雲へ入門。明治41年には岡倉天心に弟子入りし、日本彫刻会へ 入会。昭和37年(1962)、文化勲章を授与される。 昭和54年(1979)108歳で逝去。 |
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H 薬師寺 「新熊野山 東方院 薬師寺」真言宗の古刹であり、本尊の薬師如来は、開山の 弘法大師が自ら彫刻して安置したと伝える。蓮華寺・薬師寺のほかに 「南方院 金剛寺」が記されている。三寺とも新熊野山と号し、蓮華寺を本宮、 薬師寺を那智、金剛寺を新宮に充てていたが、 寛永の頃(1624〜1644)には金剛寺の名は見えないという。 参勤交代の大分県中津藩奥平家の指定宿であり、多くの文人墨客が集まる 場所であった。寺の茶会では詩や俳句の会が盛んに催され、頼山陽もここで観月の 詩会を開いている。山門をくぐった境内の右手にある円形の芭蕉句碑は、松永の 俳人たちが建立した。彫刻家の平櫛田中は、養家が寺のすぐ近くだったこともあり、 幼い時寺でよく遊んだという。寄贈された薬師如来など、田中の遺品が大切に 守られている。 |
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今津の町には新旧の二本の山陽道があり、両者を結ぶ 路地が縦横につながっている 薬師寺の前の道が秀吉時代の山陽道であり、 江戸初期の尾道の高須の埋立により、蓮華寺・本陣前 の道が山陽道となっている。 宝暦年間(1750年代)に書かれた「中国行程記」には 「此辺(このあたり)昔海にて汐入て潟(がた)の所寛文年中 (1660年代)開作と成、往古は往還当所の山麓に有之由、 開作巳後(いご)令の新道往還となり」 境内でご住職の説明 |
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I 今津公民館 旧今津小学校の校舎を公民館として利用。 |
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本郷川の河川敷を歩き 吾妻橋に向かいます。 もどそうよホタルやメダカのすむ川に |
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J 善性寺 今津では唯一の浄土宗本願寺派の寺院。 |
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L 長波(おさば)の常夜燈 横に安政五年戊午十一月(1858)の年号がある |
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M 村上家住宅 2010年7月 登録有形文化財として答申を受けた古民家。 かつて「竹本屋」と呼ばれ、塩関係や廻船業などを営み栄えたと伝えられる。 もと接客用の建物として 建てられた主屋は、城郭のような風情の石垣上に建ち、松永湾を見下ろす。 |
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11時55分 今津小学校 到着 参加者には今津町特産品 記念品としてプレゼント 長い間地元で支持されたきた「おかず味噌」を復活させ「しあわせみそ」 製造販売している。 おかずみそ NPO法人 けやき工房 |
旧山陽道を歩く 「今津宿」松永の史跡を訪ねて 09/10/3(土)広島県福山市
行程 6.7km 60名近い参加者
JR松永駅北口→松本古墳→神村八幡神社→薬師寺→今津本陣跡→蓮華寺→高諸神社(昼食)
→塩商社跡→承天寺→本庄神社→上之町集会所(共同井戸)→JR松永駅南口
09/10/03(土) IOCは2016年夏季五輪開催地はリオデジャネイロを選んだ。東京、2回目で落選。
09/10/1(木) 鞆の浦 埋め立て認めず 景観は「国民の財産」 県市への免許差し止め・・・広島地裁
9時40分 JR松永駅北口 出発 前日の雨、上がり暑いです。
国道2号線 赤壁交差点には 福原麟太郎(ふくはらりんたろう)生誕地
長年日本の英文学をリードし、英国風の随筆文学を日本に開花させた学者。
神村町松本693 | |
祠がありました |
神村八幡神社 |
薬師寺 真言宗御室派の古刹。 弘法大師が渡唐の時この地を訪れ、 海上安全を祈願して新熊野三山を勧進し 、東方院薬師寺、南方院金剛寺、 西方院蓮華寺を建立。 金剛寺は廃寺となる。 |
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副住職 お話し聞きました。
豊後中津藩主本尊を拝んだ。 かつての今津灘が一望に |
今津本陣跡 | |
蓮華寺 新熊野三山の一つと伝える真言宗の古刹。 本陣河本家の菩提寺で脇本陣を務めた。 裏には新羅の王子の館があったという伝説 |
高諸神社 (11時40分〜12時20分昼食) 境内には句碑多い。 |
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塩商社跡
福山市役所松永市所の西隣に残っている。 明治維新後塩田組合を結成、販売元 |
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クリーク | |
承天寺
本庄家の菩提寺。 |
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県史跡 本荘重政墓 | |
上之町観音堂 | |
本荘神社 |
上之町共同井戸 | |
羽原川
ゲタの木材を運ぶ仕組みあります |
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ゲタ積み上げ乾燥中 |
JR松永駅南口
入浜式塩田を再現 14、000歩 歩きました。 14時10分発に乗車 今晩 中秋の名月だ。
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