池阪山(いけさかやま)171.7m 福山市北本庄町 2006/9/29(金)

JR福山駅から、福塩線に乗り最初の駅「JR備後本庄駅」から歩き 登りました。

西国街道 芦田川沿い 郷分町・山手町 一望に見えます。

水野勝成の水源事業 空中から見ました。

中津原に砂土手を設け二重堤防とし、洪水の氾濫に備えて水を溢れさせ,下流の城下町を救う構造としました。

水野勝成は備後福山藩主として移封を命じられ居城福山城の築造その城下町の形成に大いなる力をつくした
広大な干拓地の造成と共に城下を水源整備の事業はわが国最古の水道として
江戸神田・玉川上水と共に高く評価されている 
上流の高崎に取水口を設け本庄町二股より水を導き総延長2800mに及ぶ水路は年月を経てなお
大干ばつにも枯れることなく近代水道の敷設されるまで広い地域の農地をうるおし
人々の生活飲料水として豊かな恵みをもたらしてきた


行程
  約3時間5分
備後本庄駅→登山口→池阪山頂上→牧谷→坂田艮神社→登山口→備後本庄駅

池阪山ハイキング詳細行程

@JR備後本庄駅

 

A石鎚山61.9m

本庄村 艮 端(うしとらがばな)

B登山口

艮神社手前に縦走路「登山口」

C艮神社
福山城の築城に続いて、城下町の造成で要となる点。
@芦田川河口に開けた沼沢地の干拓である。
A造成された干拓地への水道の布設である。

本庄村 艮端から青木端(あおきばな)までの堤防9百間
(1620m)を造成し、芦田川の流れを仕切った。
これによって西町と古野上が市街地として誕生し、城下町
となる。後にこの堤防は、多治米との村境五本松まで
1224間(約2200m)延長されて、野上新田が開発された。

干拓が一段落すると、住民の農地の灌漑用水の調達。
沼沢地で井戸水に頼ることはできない。住民の飲料水は
芦田川から供給しなければならなかった。

D急な坂道の途中

お堂の手前からの眺望

神島橋 向うに熊ヶ峰(438m)

地王山・山手町見えます

E出原橋

水野勝成が送水した「久松用水

F福山山岳会 道しるべ

T字路を右 山頂へ

G池阪山頂(171.7m)

見通しは悪い

引き返しT字路に戻る

H2基の送電線鉄塔の下から

眺めは素晴らしい

郷分トンネルそばには赤い社

郷分八幡神社

H芦田川には

久松床止」「高崎止水堰跡
福山城が築かれ、城下町の家庭用水や、三吉・奈良津・
深津・市(蔵王)・引野・手城などの干拓地へ農業用水を
芦田川に「せき」をして取水していました。

沖野上・川口方面へは、今の山手橋上流約40mの
位置から取水(下井手といった)していました。

I牧谷の集落

左の山は石鎚山(273m)

J坂田艮神社
K北本庄の「四つ堂」
尾根道には白い「きのこ」
ススキ
ピンク色の花 名前?
コスモス
登山道はくもの巣だらけ

枝で払い落とした

枝の先は綿のような塊出来た


@元和8年造成 城下町 A元和9年開発 野上新開 B寛永18年開発 木之端新開 
C寛永19年 市村沼田新開 D寛永19年 吉田新開 E寛永19年 引野新開
F天保4年 深津沼田新開 G寛文6年 手城新開 H寛文7年 大津野新開 I寛文9年 多治米新開
J寛文10年 草戸新開 K寛文11年 川口新開 L延宝1年 大谷新開

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