益田歴史浪漫探訪 2007/9/15(土)〜16日(日)  島根県益田市

島根県と山口県の県境に位置し、地方豪族益田氏の本拠地であった益田には、
中世の城下町の町割りや由緒ある寺社が数多く残っている。

益田市の歴史的資源にふれ、語り合う探訪会に参加。

益田の土産品
柿・ぶどう・はまち・ゆず・めろん・あゆ・わさび・地酒

9月15日(土) 
9時30分 JR広島新幹線口 発
      中国自動車道〜戸河内IC〜国道191号

12時50分 益田市立市民学習センター 交流会
14時30分〜16時20分 
       歴史浪漫探訪

       行程
       グラントワ→三宅御土居跡→医光寺→歴史民俗資料館→多田温泉

16時30分〜18時30分 
       グループ検討・発表会 地元の方々と意見交換・益田のまちづくりの拠点づくり話し合った。
18時30分 懇親会

9月16日(日)  石州口の戦いに至る長州軍の辿った道を歩く

       行程
8時     多田温泉出発 益田川ダム視察

9時20分  横田 高津川堤防から漕の河原展望

9時50分  横田 舟橋 昔の山陰道の趣が残っている所

10時20分 岸静江の墓〜扇が原の関門 冷たい手作りの熊笹茶を頂く

11時35分 椎山〜万福寺 激戦地・万福寺を訪ね
       隣りの椎山に登り、益田の街を一望

12時〜13時 「島田家」昼食・意見交換会

13時    解散・帰路 道の駅「にちはら」「かきの木村」
       土産買う
        鮎うるか(白子)・わさび粕漬・葉わさび漬け

2日目、台風11号接近 予報では60%降水確率?晴れ男?
 蒸し暑かった。

自民党総裁選立候補した福田康夫・麻生太郎 両氏政権公約を発表。 (安倍首相 突然の辞任の為)

9月15日(土)

9時30分前
JR広島新幹線口 発

島根県芸術文化センター。  昼食はレストランで海鮮丼
屋根と外壁には 石州瓦を約23万枚使用している
釉薬ゆうやく(うわぐすり)鉄分を含む木待石(きまちいし
を原料にした釉薬を瓦の表面に塗って焼くと、赤くなる。
焼く温度が高いため、出来上がった瓦は雨や寒さなどに強い。

愛称グラントワ
フランス語で「グラン=大きい」、「トワ=屋根」の意味で
島根県が誇る石州瓦をもちいた切妻(きりづま)屋根
が特徴のひとつである
芸術文化センターをうまく表現しています。
同時に力強さ・雄大さ・広がりを感じさせる語感があり、
芸術文化の拠点にふさわしい愛称として選定しました。

島根県立石見美術館」と「島根県立いわみ芸術劇場」
の複合施設

大蛇のモニュメント「OROCHI(おろち)」
澄川喜一

鼻の穴に指を・・ 

ローマの休日
「ライオンの口」思い出しました。

ボックスアート
プラモデルパッケージ原画と戦後の日本文化

お父さんはこの箱に熱中したんだって
〜大和、スーパーカー、そしてガンダムまで〜

国指定史蹟
益田氏城館跡 三宅御土居跡(みやけおどいあと)」

益田氏の居館跡で、館の周囲は川や堀を巡らせ、
東西に土塁を築いていた。居館が七尾城から
益田川を隔てたこの地に建てられたのは、
水管理や舟運を掌握するためといわれている。
歴史民俗資料館に展示
七尾城想像模型

七尾城跡(ななおじょうあと)

益田氏が本拠とした居城です。南北朝時代にはすでに
築城され、全長600m以上の大規模な山城です。
戦国末期に毛利氏の攻撃に備えて大改修され、
関ヶ原の戦い後、益田氏が長門国須佐に移ると、
廃城になりました。大手にあった門は、
現在医光寺の総門として残っています。

医光寺

臨済宗東福寺派

福山藩の本陣

医光寺 総門

医光寺庭園

雪舟作

益田市立歴史民俗資料館
平成8年、国登録文化財に認定されました。
建物は大正10年(1921)、美濃郡役所として建てられ、
その後益田警察署、益田総合事務所となり、
昭和58年(1983)5月に益田市立歴史歴史民俗資料館として
開館した。
七尾城跡・三宅御土井跡の出土品や
明治・大正・昭和の生活用具、
益田出身の郷土の偉人などの資料を展示。
田畑修一郎 明治36年〜昭和18年 作家
徳川夢声   明治27年〜昭和46年 芸能文化人
岩本薫和   明治35年〜平成11年 棋士
若返りの間
懐かしい民具等を見て、人とお話しすると
脳が活性化すると言われます。
多田温泉

白龍館宿(泊) 

9月16日(日) 2日目

多田温泉出発 

益田川ダム視察

昭和58年の豪雨で大きな被害を受けました。
益田川ダムは河床部に常用洪水吐がある
平常時は貯水池に貯水しない国内初のダムです。

 

横田 高津川堤防から漕の河原展望
           
 (小木河原)

日本海に注ぐ高津川は、さかのぼって水源までダムのない
という全国でも珍しい一級河川で、鮎釣りで賑わい、
また7月には勇壮な筏流しが行われます。

石州口の戦いに至る長州軍の辿った道を歩く

司馬遼太郎「花神(中)」読みます。

石州横田の町並み

中心部に「畜魂碑」建っています

横田船橋から

河川水運盛んなころ130軒の家があったそうだ

古い門のある家があります

山陰道は梅月へ

「ナツメ」成っていました
稲刈り 終っている所あります

JR山口線沿いに行きます

扇が原の関門へ

廻りに杉の木立あります。

竹やぶあります
山陰道の細い道荒れています

長州軍が通った道は一部途切れ
草などが生い茂っています

岸静江(きししずえ)戦死之地

藩境石

右に「従是北濱田領

左に「従是南津和野領

扇原関門(おおぎはらかんもん)

慶応二年(1866)六月十六日朝
石州口の戦い」が開始された。
四境(しきょう)戦争と呼ばれた

芸州口の戦い

冷たい手作りの熊笹茶を頂く

益田家の家紋「丸に九枚笹」

笹はすなわち竹の葉で、竹の持つ性質である
長寿・瑞祥・武威・節度・猛々しさなどの意味が
込められています

岸静江の墓

津和野藩領から浜田藩領へ

鉤まがり跡
札場

正面の山は七尾城跡

大橋の袂に「札場の辻」紹介

親柱に家紋「丸に九枚笹」

右には万福寺総門

真直ぐに山陰道

激戦地・万福寺を訪ねる

浜田藩の本陣

 

柱に激戦地 鉄砲の弾穴跡
雪舟の作庭
雪舟の像

備中国・岡山県総社市に生まれ
宝福寺で涙のねずみを描いた話は有名

椎山から七尾城跡

益田小学校は運動会していました

 

 

益田散策チケット「雪舟小僧さん」

島根県立石見美術館・医光寺雪舟庭園・万福寺雪舟庭園・益田市立歴史民俗資料館
益田市立雪舟の郷記念館

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