西国街道(矢掛宿〜真備〜川辺宿〜清音)  2003/11/15(土)

やじきた道中の記録。一里塚で三里 6時間の散策でした。

小田川沿い そして 高梁川を越えました。

吉備公邸跡」が矢掛町と真備町に同じものが競うようにあった。
それにしても1250年前のこと・・・・・既に霧の中・・・分からない話しである。

高梁川の川辺に 川辺宿

天候を気にしながら・・・・。

前線が西から接近、降水確率予想 10% 午後から60%  高梁川の橋でパラパラ程度でした。

矢掛町 三成に ソラマメより大きな豆 「なたまめ」 ありました。それと「枝豆」も。

七五三の日。

地元最終戦 鳥栖に2対1勝利 サンフレッチェJ1復帰の日。

土佐ノ海に敗れ4敗 横綱「武蔵丸」引退の日。

   由加神社

児島にある、同じようにご利益ある。
矢掛脇本陣過ぎてありました。
スナックのママの名前でありません。

由加(ゆが)神社
江戸時代後半、当時の物見遊山はもっぱら
神社仏閣もうでだった。
児島に瑜伽大権現があり、その対岸の讃岐琴平に
金毘羅大権現がまつられている。両者セットになって
人気を呼んでいた。「一生に一度は伊勢参りと
由加・金毘羅参りをしたい」というのが庶民の願望だった。
由加・金毘羅参拝は両参りといわれ、
片方だけではご利益がないと、とされていた。
安芸の宮島とともに大いに賑わった。

   矢掛一里塚跡

一つ目

   矢掛神社
   矢掛神社前 「一等水準点」ありました
  茶臼山の麓に「清水地蔵尊

地元の人 御世話 綺麗にされていました。  

  国道486号線沿いに「道しるべ
「右 玉しま道」  「左 大坂道」

玉島・・・備中松山藩の貿易港
江戸時代、玉島港は高梁川と運河で結ばれ、
備中松山藩の外港として重要な役割を担っていた。
港の近くに蔵屋敷が並び、盛時には多数の問屋が
軒を連ね、仲買人の町もあった。  

 折坂にあった

十七番「井戸寺」

地蔵尊 所々ありました

   小田川の川原にありました。

安政六年の常夜灯

   福頼神社 1km

天保十年 常夜灯

  吉備大臣宮(吉備真備公園)  岡山県小田郡矢掛町
旧山陽道の北側の平地三万平方メートルは、古代の布目瓦
を出土すること等により古来から「壇の内」と呼ばれ、
正二位右大臣吉備真備公の居館跡と伝承され、遺跡に指定されています。
遣唐留学生の吉備公が天平七年(735)当時世界最高といわれた貴重な
文物をもって帰国して以来1250年になるのを記念して、県民有志により
中国西安市へ日中友交のしるしの記念碑を建立しました。これを承けて
吉備公の地元矢掛町ではこの館跡に記念公園を建設いたしました。
公園は80mの石敷参道の正面に、上下二段になった基壇を造り、
古代中国で皇帝が五穀豊穣を祈った天壇の形式とし、上壇中央に総高
6.45mの吉備公の銅像を安置し、周囲に絵巻石屏風、大碁盤、
日時計を配置し、広場に館跡亭、産湯の井戸を整備しました。
また背後の林地を古代の丘として前方後円墳を形どった広場に
環状列石風にオブジェを建て、四方を守る方位石、古代風俗を示す風物石、
吉備公の功績を示す歴史石を配置、周囲は森林浴を満喫できる
憩いの場とし、県下唯一の古代オブジェ公園を造成いたしました。

岡山県吉備郡真備町





真備町
県下最大のたけのこの産地である真備町。「マービーちゃん」は,
たけのこのふるさととして有名な真備町のシンボルマークとしてつくられた。
真備町は,岡山県の南西部に位置し,東を高梁川,
ほぼ中央を小田川が流れる緑豊かな地域である。   
   吉備真備公

   吉備大臣産湯の井戸
吉備大臣ご誕生の前夜、東の空から明るい光りの尾をひいて一つの
星が流れ御館の西の井戸に落ちました。そして次の夜輝くばかりの玉
のような男子が誕生し御館は歓びにわき、この井戸を「星の井」と呼び、
この水で産湯を使われましたので、それからこの井戸が「吉備大臣産湯
の井戸」と言い伝えられています。
   吉備真備公産湯の井戸
この地は、昔天原といい、吉備公の御館があった所で、真備が生まれる
前夜この井戸へ星が落ちたので星の井と言われるようになった。
この井戸の水が公の産湯に使われ子洒川(またの名を子洗川)
と名づけられた。公は生まれつきそう明であったで神童と呼ばれ、
特に学問を好み一を聞いて十を知るという才人であったと伝えられている。
公の遺徳を偲んで、産湯の井戸を整備したのを記念しこの碑を建立した
ものである。平成2年3月 真備町
   矢掛町と真備町の境に一里塚跡

二つ目

   箭田(やた)の一里塚跡

三つ目

   大曲

近くに御稲荷さんありました

   川辺脇本陣跡

真備町消防団第六分団

  川辺本陣跡

植村歯科にあった  

   川辺宿辺り

川越で賑わった。

 高梁川の土手に

山陽道一里塚 江戸より180里(720km)

平成30年7月豪雨
2018年7月6日(金)〜7月9日(月)西日本豪雨 土砂崩れ氾濫相次ぐ。
平成で最悪の被害に。
倉敷市真備町で小田川など堤防が崩れ、大規模な冠水、2階まで水。

  高梁川 古来いくたびも氾濫した。

現在の川越え

船がありました

 
   「清音駅」 JR と 井原線 並行している。

ここで皆さんと別れました。

矢掛宿←/川辺宿/→板倉宿

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