潮騒と杏と民具のまちめぐり 広島県福山市田尻町

2005/3/13菜の花まつり・2005/3/27第13回あんず祭り・2005/4/1王ヶ峰遊歩道

05/3/13(日)

菜の花まつり

喫茶「花茎」に駐車しました。  

餅つき

 ヨモギ餅

 250円買いました  

 菜の花畑の向うには 
瀬戸内海 鞆ノ浦

         05/3/27(日) 第13回 たじり杏まつり

       春の絵巻・・・杏の里たじりへようこそ!!

         うららかな春の日。かつて唐桃と言われた色香のうつろう杏の花の下、絵ハガキのような春の瀬戸内 

         海を見おろしながら

         花の小径を楽しく詩的に散策いただけるようなコースを用意しました。

 
          杏の木約3000本。今年は一分咲きとのこと  見頃は1週間から10日遅い。

高島小学校の校庭 駐車しました。
JA田尻支店で焼きそばと餅買いました。
 スタンプラリー スタート。田尻民族資料館(杏のさと/先人館)
半農半漁に生きた田尻村に伝わる民俗資料を 公民館活動や
明るい町づくり運動の一環として 町ぐるみで数千点以上の民具
収集活動が行 われた。 昭和51年1月開館。 スタンプラリー
ゴール地点 ささやかな(本当に)記念品 ボールペンでした。 
前明寺から左の山「拝山」  右は「風呂ヶ端」

抹茶席。

杏の花は、遠くから眺めれば桜と桃のあいだく 
らいの艶やかさで、一足早く春を田尻に告げる
花です。

 
杏試験地  杏の木の下 弁当を食べる家族ずれ。 田尻の杏の
品種
には、 広島大杏・平和・ゴールドコット などがあり、品種によ
って咲く時期は 多少ずれ ますが、 花の見頃は1週間から10日
程度の短い 期間です。 今年は一分咲きでした。 6月の上旬の
梅雨の頃、実がなります。 

円明寺  田尻杏発祥の地 由来 天和元年(1661)豊後国
(大分県)から円明寺住職阿闍梨尊意(あじゃりそんい) 種子を持参
しこの地に植える 花もきれいで実もなり健康によく、風邪・セ  キ止め
によい
ので次第に植える人が多くなり、村一円に広がった歴史があり
ます入植300年を記念しこの碑を建てる

 
 杏の木仙酔島
 杏の丘コンサート(十三仏イベント会場)

  和太鼓の演奏  雨が気になり早くしました。

      05/4/1(金) 王ヶ峰遊歩道   

      ハイキングしました。杏の花は見頃でした。燧灘の眺め 鞆の浦の眺望 楽しみました。

王ヶ峰遊歩道

公園に駐車王ヶ峰1号古墳・2号古墳登りは少しキツイです明治の初め頃、
少しでも田畑をふやそうと努力が続けられて、山の頂上までが畑になりました。
その時にこの辺りの古墳の石は割られて、畑の石垣になりました。今もこの
時に造られた石垣を見ることができます。「耕して天に到る」勤勉であった
村人達の姿が偲ばれます。 
金鶏古墳(遺跡)    沼隈郡誌に 沼隈半島には古墳(昔の豪族の墓)が数多
く存在していましたが、その多くは塚穴という種類のもので、 それより大 きな
高塚という種類のものは、福山市赤坂早戸と、ここ田尻町の王ヶ峰(おうがみ
ね)の 金鶏古墳のほかにはありません。この金鶏古墳は昔から金の鶏の物
語を伝えていま したが、明治10年頃には村人達によって掘られて、今は昔の
様子を知ることはできなくなりました。江戸時代が終り明治時代になった頃まで
は ここに男松と女松が根本をひとつにして生えて いました。 村人達はこの
松を一本松と呼んで、 遠くからの目印にしていました。 
尾根の境道ここから南の峰(神楽台)まで「底幅約1m、高さ約80cm〜40cmの
細い尾根の筋」が続きます。これは、かっての山の分水嶺で「境の道」だったの
です。明治初年に両側を開墾して畑としたため線状に残りました。耕して天に到
ったわけで、段畑の石段がこれを証明しています。昭和25年頃まで作られました
が、荒れて山となりました。田尻の祖先たちが精いっぱい生きた勤勉努力がしの
ばれます。 
燧灘は源平合戦の地でした。源氏 氵とれば原漁港 平氏平漁港名残りの地名
あります。平氏は敗れ能登原へ逃 れた。「600〜700年前の古地図」田尻町は吉
備海部田尻村。「高島」という島であった。東隣には「箕ノ島」拝み山 初日の出
を拝みます。 
拝み山から

     仙酔島鞆の浦  

見晴台から

       仙酔島と鞆の浦  

 高浜海岸から

      仙酔島と鞆の浦

田尻八幡神社から

        仙酔島と鞆の浦  

 風呂神社から

       仙酔島と鞆の浦

        寛永20年に水野勝成も眺めた。

田尻八幡神社 鞆軽便鉄道廃線ウォーク 2013/11/10(日)の昼食場所王ヶ峰の
山腹ににあり、神武天皇、仲哀、応神天皇、神功皇后の4柱を祀る。永禄3年(1561)
の再興以前は未詳とされている。その後、何度か焼失するも町民の努力により現在
の宮は昭和4年に再建されたものです。 
田尻八幡神社の境内にあります。

杏入植三百年記念碑  

 風呂が鼻 昔は樟(やす)の茂る三角形の小島で屏風嶽(びょうぶたけ)と呼ばれ、
崖下はすぐれた網代(あじろ)となり、一文渡しがあったという。寛永20年水野勝成
(宗休)が疝(せん)を病み、東西の崖下に唐風呂を設けて治療した。今も当時の
柱穴、梁穴など風浪にたえて残り、黒く焦げた崖膚とともに往時を追懐させる。
その時頂上に風呂明神がまつられ,それ以来風呂が鼻と呼ばれれるようになった。
頂上東の平坦地は宗休の寓居あとかといわれるが、つまびらかでない。
 風呂明神
新四国八十八ヶ所霊場
第68番 神恵院(じんねいん)
笛の音も松吹く風も琴弾くも 歌う舞うも法のこえごえ 
見晴台から
田尻町 
杏並木通り
あんずの花は見頃です。 
 杏の花
 杏の花
登った拝み山 

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