草津宿場町から近江八景「矢橋(やばせ)の帰帆(きはん)」へ
2008/4/3(木) 滋賀県草津市
青春18きっぷ
相生乗換→網干で6分停車・8両から12両編成→9時50分JR草津駅
【本陣が残る宿場町から近江八景「矢橋の帰帆」へ】
駅の向うに広がる豊かな自然と歴史文化。マップ片手歩きました。
行程 約8.0km
JR草津駅→追分(おいわけ)道標→草津宿(くさつじゅく)本陣→草津市観光物産館脇本陣→草津宿街道交流館→
立木(たちき)神社→矢倉(やぐら)道標→若宮(わかみや)八幡宮→猿田彦(さるたひこ)神社→
芦浦道(あしうらどう)道標→鞭崎(むちさき)八幡宮→矢橋(やばせ)港跡→JR南草津駅
14時02分JR南草津駅→京都乗換→相生乗換→岡山乗換
広島市中区が4月中旬並みの陽気となった3日、平和記念公園のソメイヨシノが満開の見ごろを迎えた。
第80回記念選抜高校野球大会は4日、決勝戦が行われ、初出場の聖望学園(埼玉)と3年ぶり4回目出場の
沖縄尚学(沖縄)が対戦。
沖縄尚学が9−0で聖望学園を降し、99年以来9年ぶり2回目の優勝を果たした。
9時50分JR草津駅
草津宿場まつり 旗があります |
|
追分(おいわけ)道標
東海道と中山道との分岐点に立つ道標は、飛脚など、 |
中山道の川越なくなる ずい道
高札場あります |
|
東海道 いせみち |
大福帳には、 嘉永6年 10月6日 伏見立 薩州御姫君様 御泊 九蔵 |
|
草津宿(くさつじゅく)本陣 現存するものとしては全国最大級の本陣。 関札や、吉良上野介などの名前も残っている 大福帳(宿帳)など、貴重な資料が数多く保存されています。 嘉永6年(1853) 13代将軍家定の御台所となった篤姫が、 薩摩から江戸へ向う途中、草津宿に二つあった本陣の一つ 九蔵本陣に泊まったとされる大福帳(宿帳)が展示されています 嘉永6年(1853)8月21日に薩摩を出立した篤姫は、 10月2日京都の近衛家に挨拶ののち、伏見の薩摩藩邸を 10月6日に出立、夕刻草津に到着したと思われます。 江戸芝の薩摩藩邸に着いたのは10月29日、 当時篤姫は19歳でした。 |
大河ドラマ「青天を衝け」
第10回「滋賀県草津市/埼玉県深谷市」
2021年4月18日
滋賀県草津市。草津宿は、東海道と中山道が分岐・合流する宿場町として、
大いににぎわいました。
京を出発した和宮(かずのみや)一行は、3,000人に及んだといいます。
本陣では、和宮を迎え入れるために大規模な改修が行われました。
土間は板張りとなり、荷物置きとして使用されました。
和宮は上段の間で昼食をとり、中山道を通って江戸へ向かいました。
一行が草津宿を抜けるのに、4日を要したと伝わっています。
埼玉県深谷市。深谷宿も、和宮が立ち寄った場所の一つです。
本陣には和宮が休んだ部屋と、使ったといわれる草履が残されています。
公武合体の要となった和宮。江戸城にたどりついたのは、深谷宿を出て3日後のことでした。
上段の間 |
草津宿街道交流館 東海道と中山道の分岐点であった草津の宿場町の 歴史がわかる資料館。町の復元模型や浮世絵などの 資料を展示しています。 |
江戸時代の「街道や旅に関するQ&A」
Q:江戸時代の交通手段は?
A:「歩く」ことが基本、これに加えて駕籠+馬+船がありましたが
「車」(馬車など)は原則として街道では使えませんでした。
(人力車が登場したのは明治に入ってからです)
Q:旅人は一日どれくらいの距離歩いたの?
A:平均して一日約10里(40km)東海道の江戸から京都間(約500km)を12日間ほどで歩きました。
Q:旅の費用はどれくらいかかったの?
A:これは、旅の日数や行程などにより様々ですが河内国(大阪府)茨田郡の久右衛門という人が
天保10年(1839)に江戸に下った際の費用を紹介すると、12月5日出発、
18日に到着までの14日間(大阪から東京までの片道)で16貫148文+小遣い1貫805文=17貫953文
銭1貫=1000文 1文=約13円として 総費用は約23万円
Q:旅籠賃(宿泊代)は?
A:宿場や旅籠によって違うが、1泊2食付で300文から100文
Q:草履はどれくらい持つの?
A:歩く距離によりますが、長くて3日、短い場合1日で履き替え 一足約16文
常善寺
関ヶ原合戦の後、 |
|
立木(たちき)神社 創建は神護景雲元年(767)と伝えられ、 境内には県内最古の石造道標(旧追分道標) が移築されています。 |
|
境内には県内最古の石造道標(旧追分道標) |
矢倉(やぐら)道標 東海道と矢橋道の分岐点にあった 姥ヶ餅屋の軒下に建てられた道標で、 東海道を往来する旅人を矢橋の渡しに導きました。 |
|
近江之国 草津之宿 |
若宮(わかみや)八幡宮 応神天皇を祭神とし、 社殿は古墳時代後期の古墳の上にあります。 |
猿田彦(さるたひこ)神社 大津への近道として旅人の往来で賑わった 矢橋道沿いの神社にふさわしく、 道の神猿田彦を祭神としています。 |
|
芦浦道(あしうらどう)道標 「山田あしうら道」「あなむら道」と刻字、 矢橋から山田、穴村、芦浦、金森(現守山市)を経て 守山宿に達する古道の起点でした。 |
|
鞭崎(むちさき)八幡宮 社名は、 源頼朝が馬上から鞭をもって神名を尋ねたことに由来。 重要文化財に指定される表門は旧膳所城の南大手門を 移築したものです。 |
|
矢橋道 | |
矢橋(やばせ)港跡 矢橋港は近江八景「矢橋帰帆」として有名でした。 現在は、発掘された三本の石積突堤一帯が 公園となっています。 |
|
常夜燈 |
「急がばまわれ」の深い意味は?
【意味】
急がば回れとは、急ぐときには危険な近道より、遠くても安全な本道を通るほうが結局早い。
安全で着実な方法を取れという戒め。
【急がば回れの語源・由来】
急がば回れの語源は、宗長(室町時代の連歌師)の歌「もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋」である。
「もののふ」とは武士、「やばせの舟」とは矢橋の渡しを意味する。
「矢橋の渡し」とは、東海道五十三次草津宿(滋賀県草津市矢橋港)〜大津宿(大津市石場港)を結んだ湖上水運で、
「瀬田の長橋」とは、日本三大名橋のひとつ「瀬田の唐橋」である。
当時、京都へ向かうには、矢橋から琵琶湖を横断する海路の方が瀬田の唐橋経由の陸路よりも近くて速いのだが、
比叡山から吹き下ろされる突風(比叡おろし)により危険な航路だったため、このような歌が歌われた。