歴史の舞台を訪ねて 伏見を歩く  2009/3/28(土) 2018/1/8(月)成人の日 京都市伏見区

2018/1/8(月)成人の日  伏見稲荷大社






月桂冠大倉記念館

寺田屋騒動址
薩摩藩志士粛清事件
文久2年(1862)4月尊王攘夷派の先鋒
であった薩摩藩士9名が殺傷されるという明治維新
史上有名な寺田屋騒動が起こった所である
当時、薩摩藩には藩主の父 島津久光を中心と
する公武合体を奉ずる温和派と、勤王討幕を主張
する急進派との二派があったが、久光は急進派の
動きを押さえようとして、兵士余名を率い京都へ入洛
せんとした。これを知った有馬新七ら30余名の
急進派同志は、文久2年(1862)4月23日
関白九条尚忠、所司代酒井忠義を殺害すべく、
薩摩藩の船宿であった寺田屋伊助方に集まった。
これを知った久光は藩士奈良良原ら八名を派遣し、
新七らの計画を断念さすべく説得に努めたが
失敗、遂に乱闘となり新七ら7名が斬られ、二人は
重傷を負い、翌日切腹した。

坂本龍馬襲撃事件
慶応2年1月23日(1866年3月9日)、京での薩長同盟の会談を斡旋した直後に
薩摩人として宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行の林肥後守忠交の捕り方が
捕縛ないしは暗殺しようとした事件。

2009/3/28(土)
行程  青春18きっぷ NHK大河ドラマ「天地人」の舞台地のひとつ、伏見城下を視察
JR桃山駅→松平筑前公園→御香宮(ごこうぐう)神社→桃山高校・基壇→伏見桃山城天守(構造)
海宝寺→栄春寺→景勝橋→薩摩島津伏見屋敷跡 →JR桃山駅 約4時間の探訪

NHK大河ドラマ「天地人」
上杉家・景勝の家臣でありながら、
豊臣秀吉、徳川家康らを魅了し、
また、最も恐れられた男
−ーーーその男は、直江兼続。
上杉謙信を師と仰ぎ、兜に「愛」の文字を掲げた兼続は、その波乱の生涯を通じて、
民・義・故郷への愛を貫きました。
「利」を求める戦国時代において、「愛」を信じた兼続の生き様は、弱者を切り捨て、
利益追求に邁進する現代人に鮮烈な印象を与えます。
大河ドラマは、失われつつある「日本人の義と愛」を描き出します!

直江兼続(なおえかねつぐ) 妻夫木 聡(つまぶき さとし)
主人公。明朗快活で義に厚く、その生涯を主君・上杉景勝のために尽くした。

上杉 景勝(うえすぎ かげかつ) 北村 一揮(きたむら かずき)
兼続の主君。越後国上田長尾家当主・長尾政景の次男として生まれ、
叔父である上杉謙信の養子となり、上杉家を継いだ。

お船(おせん) 常盤 貴子(ときわ たかこ)
与板城主の直江景綱の娘であり、兼続の従姉。男子のいない直江家の跡取りのため、
親の意向で一度は養子を取り結婚するが、謙信の死後に起こった跡目相続「御館の乱」で夫を亡くす。
その後、景勝の意向で直江家に兼続が婿入りした。

28日午前0時〜 ETC搭載車限定の高速道路の値下げ 全国で始まる。2年間限定。

27日(金)引越し 火の国→豊かな海、玄界灘を臨む町へ。

ブラタモリ
放送日:2016年5月7日(土)
#37 京都・伏見
伏見は“日本の首都”だった!?
今回の舞台は、京都市の南に位置する伏見。美しい千本鳥居が有名な伏見稲荷大社や、
日本有数の酒どころとして知られる伏見ですが、「日本の首都」だったって・・・一体どういう事?
“知られざる首都”伏見の謎に、タモリさんがブラブラ歩いて迫ります。実は伏見は、豊臣秀吉が愛し
その晩年を過ごした場所。街のいたるところに秀吉が残したまちづくりの痕跡が残っています。
住宅街に残るまっすぐな道路は、秀吉の情熱のたまもの?地名を見れば一目瞭然!
おなじみのあの武将もこの武将も、伏見に住んでいた!?そしてなぜかタモリさんがスイーツ作りに挑戦、
一体「首都」となんの関係が?

青春18きっぷ

京都駅乗換
JR奈良線 乗車

四つ目の桃山駅下車

JR桃山駅

10時5分着

 

大手筋通
「松平筑前公園」

前田利家邸跡でしょう

御香宮(ごこうぐう)神社表門

伏見城大手門を移築したもの

伏見城跡の残石 キケン遊ばないで
伏見の御香水

名水百選 昭和60年7月22日認定

桃山毛利長門東町

桃山高校に豊臣期に構築された基壇(きだん)
建物の基部に築いた石造や土造の壇)

毛利屋敷があった

桃山町治部小丸
治部小は石田三成です。

二の丸・古城山(本丸)の地名があります
治部池:堀跡のの一部がため池になって残っています

伏見桃山城天守

2003年に閉鎖されたキャッスルランドの施設
本来の天守の位置と異なります

イメージするによいかも。

 

海宝寺

伊達政宗の伏見屋敷

惣構(そうがまえ)の土塁の遺跡

構築は上杉景勝が行ったもの

 

栄春寺

栄春寺

墓地に惣構(そうがまえ)の土塁

直江兼続遺跡でしょう

上坂橋通を疎水見ながら南へ
景勝橋

上杉景勝屋敷跡と思われる
直江兼続が住んでいたか

篤姫 江戸にむかう途中
嘉永6年9月29日 伏見屋敷に入り
    10月6日 伏見をたちました
東堺町  松山酒造 入り口(東側) 

薩摩島津伏見屋敷跡 

碑文 2008年12月

旅行記忘備禄

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