石見街道ウォーキング「本地〜蔵迫」 
                             2004/10/11(月) 広島県山県郡千代田町

第2回千代田町町制施行50周年記念 体育の日記念行事  旧石見街道ウォーキング

江戸時代、旧石見街道は広島と浜田を結ぶ重要路でした。

昨年から、体育の日記念行事として3年に分けて、

町内を縦断している旧石見街道を南原峡から中山(大朝境)までウォーキングします。

今年は、本地から蔵迫までウォーキング!初秋の自然を満喫し、時代の流れを体験してみませんか?


平成16年10月11日(祝)蔵迫地区公民館 9:00開会

歴史街道探索に広島・島根・安芸高田から80歳から小学生まで80名の参加。

スタッフは体育指導員が世話してくれました。参加費300円、参加賞はタオル。

JR広島駅新幹線口 7時5分 乗車、蔵迫に 8時13分到着。

女性二人一緒になりました 蔵迫公民館少し分かりづらい 土地の人教えてもらいました。

女性二人づれ 後で 歴史・山詳しい方達だとわかる。

 南原から本地(ほんじ)まで歩きませんか誘われる

街道は稲刈り終り 柿が熟していました。所々に地蔵さん・祠がありました。

地元の人に 歴史 解説してもらいました。

安佐南区の女性 山と川を歩く人 話しはずみました 「来年もご一緒にと」

帰りは蔵迫のバス停で待っていたら スタッフの世話で千代田ICまで車で送って貰う


蔵迫地区公民館 9:00開会

80歳から小学生まで80名の参加。

スタッフは体育指導員  

本地にバスで移動 

浄楽寺で準備体操 出発しました。

 
胡神社 

町の上にあります。

高札場あった  

   胡神社に道しるべ

「右 大田おくすじ道」

「左 かべ ひろしま道」

安政4年刻銘

本地の家並み 石州瓦

本陣跡でないと地元の人  

 乃木将軍が泊まった古い家

05/2/10 中国新聞記事
武田家住宅「本陣」だった。 
木造2階建て延べ420m2。
1840年に建てられたという。床の間があり、
床が他の部屋より12cm高い八畳の「上段の間
などから。史跡を調べている建築家が調べ
裏面に墨で「本地驛 本陣」と書かれた木製
の風呂おけ
と刀架けをみつけた。
持ち主「ぜひ公開へ」

 本地の家並み 
  関所跡あった所に地蔵さん 
下本地に一里塚跡
楠苑 三島食品資料館 

ふりかけの歴史わかります  

古戦場  有田城跡又打川
☆毛利元就の初陣 〜有田合戦〜☆ 
幼少の幸松丸が家督をついだので、そのすきをついて
武田元繁が、永正14年(1517年)の10月3日に武田元繁
は有田城への攻撃を開始して落城まで追い込んだ。
10月21日には毛利元就の居城猿掛城近辺で、武田勢が
放火を行った。この後毛利元就は直ちに迎撃し、初陣を
飾った。毛利元就はこの時21歳という遅い初陣である。 
  有田城(ありたじょう) 

毛利元就が武田元繁を破った

「有田合戦」の舞台として有名である。

地元の人に 歴史 解説してもらいました。  

   近くには地蔵さん
旧庄屋跡 (立川家)

武一騒動の話しを聞く  

旧庄屋跡(立川家)

300年前、享保の時代建てられた  

義人吉左衛門の碑


壬生へ行く三叉路にある


享保の百姓一揆 首謀者とされる  

 大福寺で昼食 西本屋武一の墓があります
明治4年(1871)8月廃藩置県により広島藩主
浅野長訓(ながこと)が東京移転の際、県下百姓
の代表として嘆願書を起草して提出したことが、
百姓一揆の首謀者とみなされ、その罪を問われて
処刑された。(享年48歳・武一騒動ともいう)
武一は文政7年(1824年)千代田町十日市に生ま
れた。本名は森脇武一郎、幼少の頃から学問を好み、
心学を学び剣術に優れて寺子屋の師匠でもあった。
十日市の町並み 
   五日市の胡神社
  有馬に一里塚跡  祠の下に

塚水もあります。

この行事のため建てられた。  

 祠がありました
  祠の所から街道は荒れてジャングル 
   浜田広島街道と呼ばれます。

浜田、今市、市木、中山、本地、可部、広島に宿駅

道は 山沿いあります 田んぼ その下にあります 

 蔵迫の町並み
千代田の里。標高400m〜600m

老亀(おいがめ) 元禄十年創業

酒作り工程 説明聞きました

蔵迫のバス停で待っていたら 

スタッフの世話で千代田ICまで車で送って貰う  

関連サイト

可部峠(650m)は石州街道の峠道

雲石街道(緑井〜可部まで)

雲石街道を歩く 堺町から緑井まで

可部雲石街道散策コース

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