「尾道〜糸崎」西国街道を歩く  05/1/16(日)

駅前で観光パンフレット配っているお父さん、ジャンパーLLでも前のボタン大丈夫?パンフレット貰いました。

16人の旅人。

行程

JR尾道駅――三軒家町――済法寺(拳骨和尚の寺)――日比崎七曲坂――吉和茶堂橋――

大人峠一里塚跡――福地鳴滝城山――鉢が峯観音寺――六本松一里塚跡――糸碕神社――

神功皇后船繋之松――JR糸崎駅           全行程 10km弱

大学入試センター試験2日目。降水確率50%、降りませんでした。風が強く 頬に冷たい風です。

明日は、 阪神・淡路島大震災から10年となる。年賀ハガキ抽選日・・切手シート4枚当り。

9時半 JR尾道駅 集合

三軒家町には 大林監督の映画撮影場所ありました。

1985「さびしんぼう」  1991「ふたり」

3階建ての木造建物。  

三軒家町

安政元年(1854)創業

吉源酒造場

毎日1本づつ酒を呑みほし、
空き瓶を看板に飾りつけた。

酒蔵も尾道で1軒となった。  

 

栗原町

幕末の頃、尾道の西、

済法寺に「拳骨和尚」の名で知られた

物外(もつがい)和尚がいました。

 
   物外和尚が抱えたという手水鉢
   尾道石工の妙技。

済法寺

裏山の十六羅漢のひとつです。

   栗原川を渡る

日比崎七曲坂

日比崎小学校の北側グランド 七曲の坂を超える。

子供会 ソフトボール練習中でした。

昔の海岸線あった。

 

吉浦町
街道は裏道路 進みました

  手崎町

吉和町

吉和川の茶堂橋 渡ります。

のぼり坂を登ると尾道バイパスの 陸橋渡ります。

大助峠(応助峠)いわれている。  

   大入(おおいり)一里塚跡

広島札場より18里。

陸橋を渡ると尾道市から三原市福地町に入ります。

右側の山

鳴滝城山  山火事の跡 残っています。

わけぎの栽培盛んな土地です。

尾道名産 デベラ 干していました。

ミカン熟れ残り 小鳥のエサになっていました。

 
   JR山陽線・国道2号線 渡ります

厳島神社

街道は 工場敷地の中 一部 通っています。

   木原町

観音寺への参道

国道2号線、JR山陽本線を横切ります。

   観音寺から大鯨島・小鯨島

その向うに岩子島(鰯島)

  観音寺

境内で昼食。  

  観音寺の境内に田坂頼賀の墓

沼田小早川家 家臣 田坂善慶の子頼賀の墓

小早川隆景が沼田小早川家に入ることに反対したのが
田坂善慶であった。

戦国の世 毛利元就は

反対派の重臣を抹殺し隆景の沼田小早川家入りを実現。

 
虚空地蔵への道しるべ ここから1500m。

今から1200年前の昔「万慶上人」という学徳兼備の高僧が風光
にすぐれた霊地である観音寺奥の院鉢ヶ峰に「虚空蔵菩薩」を安置
上人の持する鉄の鉢は法力によって自ら空を飛び下の「梅が鼻」の
沖を通る船に至り供養の米などの喜捨を受けて山に帰ったと言われ
ています。

このことからこの山が「鉢が峰」と呼ばれることになりました。  

  古志清左衛門豊長公の供養塔

天正20年8月25日没  

  六本松一里塚跡

東側約50m 鉄路内  

   糸崎町

糸碕神社

神社の神門・・三原築城当時の遺構

万葉集に歌われる地。

都に美しい船旅の様子を知らせてやりたいと思うほど

大小の島々が重なる 景勝地。

「…って言うじゃない…残念!…斬り!」、

前の海は埋立て工事中です。

  樹齢500年以上の楠木

昨年の台風の影響 傷み 木の色目 悪かった。

樹高30m 樹囲15m

 
  御調(みつぎ)の井戸

神功皇后が西征の帰途、船を寄せられた際に水を献じた。

ここの水を長井の水、この地を長井の浦、又は

井戸崎(後に糸崎)といい、郡を水調(後に御調)と称した。

 
    神功皇后船繋之松

子供の夜泣きが止まるという松。

  糸崎(井戸崎

井戸がありました。

JR糸崎駅 14時46分 乗車。

 

三原宿←/JR糸崎駅/→尾道宿

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