西国街道 播磨国を歩く 明石〜塩屋 兵庫県明石市〜神戸市垂水区 2012/4/7(土)
行程 約9km
JR明石駅(集合)→道しるべ→東経135度子午線→大蔵谷の宿場→大蔵海岸→六神社→舞子延命地蔵→舞子公園→
海神社→福田橋→JR塩屋駅(解散)
4/6(金)広島 前田健太 ノーヒットノーランを達成。
JR明石駅 10時集合 10人の旅人 「ひだり大坂道 みぎひめぢ道」と刻まれた道標 ここから出発です、全体写真撮り 明石市鍛冶屋町 かつて京口門があった。 「柿本神社」「従是人丸山三丁」と書かれた大きな石標がある。 |
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天文町 T字路手前南側 高札場 官庁街 裁判所、交番あります。 ユニークな「子午線交番」の角に 明治43年(1910) 明石郡小学校教員一同が建てた 「大日本中央標準時子午線通過地標識」がある。 設立100年の花壇ありました。 記念の集合写真撮り |
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大蔵町 江戸期には山陽道屈指の宿場町として栄え 宝永元年(1704)には屋敷294軒、人口1781人、 本陣・旅籠61軒、馬46匹、駕籠仲間80人の記録があり、 その繁栄は明治時代末まで続いた 大蔵八幡町 左手に八幡神社がある。 電柱 「この場所は標高2.7m津波注意」 標識貼ってありました。 |
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題目石 国道2号へ |
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朝霧橋 渡ります | |
JR朝霧駅 大蔵海岸へ繋がる事故があった歩道橋 国道渡る 「乱横断はやめましょう。明石市」と看板あります。 大蔵海岸へアクセス よくない。 大蔵海岸は、古来から白砂青松の海岸として有名 |
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大蔵海岸 明石海峡大橋の眺望 ここで全員集合写真撮り。 |
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神戸市垂水区 山田橋渡ります。 |
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西舞子 国道沿いから右の路地入りますやがて 左側には 舞子六神社 元禄二年(西暦1689年)、播州明石郡山田村において創建 |
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東橋と書かれていますが 川?見えません。 向こうには明石海峡大橋。 |
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国道2号 北側に 舞子延命地蔵 | |
国史跡 明石藩舞子台場跡(舞子砲台跡) 幕末に外国船の侵攻に備えて、文久3年(1863)に幕府の命を受けて、 勝麟太郎(海舟)の指導のもと、明石藩が築造した砲台場です。 対岸の淡路島にある徳島藩松帆場(国指定)と協力して、 明石海峡を通過する外国船をはさみ撃ちにしたと考えられています。 |
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気温が10℃ 風強く 「橋の科学館」で昼食 11:45〜12:30 明石海峡大橋 兵庫県神戸市垂水区東舞子町と淡路市岩屋とを結ぶ、 明石海峡を横断して架けられた世界最長の吊り橋である。 愛称はパールブリッジ。 建設当初は全長3,910m、中央支間1,990mであったが、 1995年(平成7年)1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)で 地盤がずれ、1m伸びた。 1998年(平成10年)4月5日に供用が開始された。 建設費は約5,000億円。 |
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舞子から須磨に至る街道筋には街道松がびっしり肩を並べている。 舞子公園の松は姿が舞子に見えるから地名に 東舞子町舞子公園 孫文記念館 八角形の中国式楼閣『移情閣』は1915年築の現存する 日本最古のコンクリートブロック造建造物で、 国の重要文化財に指定されている。 明治天皇は舞子の地がお気に入り、行幸は7回にも 明治天皇歌碑 「はりまがた 舞子の浜に 旅寝して 見し夜こひしき 月の影かな」 「あしたつの 舞子の浜の 松原は 千代をやしなう 処なりけり」 |
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垂水駅前の街道沿いに海神社がある。 赤い大鳥居は国道2号の南側にあります。 神功皇后が三韓からの帰途、垂水沖で暴風に遭い、 斎戒して海神三座を祀ったところ波風がおさまり 無事に都に帰ることができたと伝えられており、 これが海神社の由来と言われています。 |
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平磯 福田橋で渡る。 大正時代に出来た橋で、大正ロマンを感じる橋だ。 |
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直線の国道2号 ひたすら歩きます。 右側は平磯海づり公園 度々電車通過します。山陽電鉄とJR鉄道 並行してます。 |
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塩屋町 遠くなります。明石海峡大橋。 塩屋川の橋は工事中、手前の信号渡ります。 13:55 JR塩屋駅 解散 |
魚住・明石〜明石城下〜明石・塩屋〜JR塩屋駅→JR神戸駅
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