中国自然歩道(山野峡・加茂ルート)30.5km 2006/11/8(水)
広島県福山市加茂町・駅家町
上岩成バス停0.6km四ツ角1.8km四つ堂0.3km倉神社0.5km猪の子古墳0.7km大田石バス停1.0km天神山1.4km
古墳群1.6km百谷開墾地1.6km大谷池3.0km姫谷バス停1.2km菅野のしだれ桜0.8km照専寺1.6km岩室観音1.2km
楠田バス停2.4km高野甲左衛門の墓1.5km岩屋権現1.4km馬乗観音1.1km岩屋権現2.9km龍頭峡入口0.4km
光明寺五繁松1.1km聖嶽2.3km島串1.6km県境
加茂ルート(猪の子古墳〜1.7km〜天神山〜4.6km〜大谷池)〜四川ダム 歩きました。
中国自然歩道
弥高山とカルスト地形をたどるみち
@法光寺
9時35分:福山市加茂支所へ駐車しました。 JA加茂支所の横 法光寺の参道から入る |
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A中国自然歩道の標識があります
加茂ハイツの登り口階段 |
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B木野山宮 | |
B休憩用のベンチからの展望
国道182号 加茂の町 |
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C天神山 標高188mです。 南側小尾根に木野山神社、東側 法光寺が在り、 山頂は賀茂神社の背山に続きます。 |
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C戦国時代の山城跡です。 | |
C南端にある大きな岩が八畳岩です。 |
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D道標の地蔵さんと木柱 | |
E土留の丸太 アップダウン続きます
アカマツ林 「入山禁止」の木柱。 |
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古墳が数多く(この尾根の東斜面に約40基ある) 築かれたことは、この山すその平野部で豊かな 農耕生活が営まれていたことを物語っています。 |
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F百谷石切場 | |
G百谷
何が出来る |
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H中国自然歩道
道幅狭い 下は断崖 大丈夫か? 四川への細い道が見えます 突然の落石・・・猿が威嚇の鳴き声した。 |
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I大谷池(灌漑用溜池)
・大正15年4月着工 昭和4年3月完成 |
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I中国自然歩道(山野峡・加茂ルート)30.5km | |
I大谷池改修記念碑 | |
I大谷池の紅葉見ながら 昼食 11時50分〜12時45分 |
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J四川(しかわ)ダム 四川と谷尻川の合流点に位置し、洪水調節と河川環境 の保全、既得取水の安定化を目的として作られました。 洪水調節は80年に1回の確率で起こる洪水で設計され、 ダム地点の計画高水流量70m3/sに低減します。 不特定容量の水を放流することで、河川の環境を 改善します。 四川ダムの大きな特徴は、 上流に位置する大谷池(貯水容量約90万m3)からの 放流水を時間遅れがない正確に放流できるように 特別に設計されています。 |
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J
北方にそびえる急峻な山頂はかつて 志川滝山城の城主は宮入道光音(みつなり)であった。 |
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K井伏鱒二文学碑
井伏鱒二 略年譜 |
四川(しかわ)の地は、井伏文学の重要な舞台である。 その初期、井伏が、郷里に生きる人々の姿を作品に 表すときの舞台に選んだのは、四川沿いの地であった。 自然のめぐりのなかで、与えられた運命をそのままに 生きる人々の姿を描こうとしたとき、この谷間は、井伏に 作品創造のしっかりとした足がかりを与えたようである。 疎開中にしばしば釣りに訪れ、また、後年の歴史小説や 珠玉の随筆にも、この四川周辺が多く登場する。 生家のある栗根とともに、井伏文学の原点ともいえるのが、 この四川の地である。 四川沿いを舞台にした作品 「谷間」「朽助のゐる谷間」「丹下氏邸」「白毛」「武州鉢形城」 1898年(明治31年) 広島県深安郡加茂村栗根 (現福山市加茂町) に生まれる。本名 井伏満寿二 1923年 「幽閉」(「山椒魚」の原型)を発表 1938年 「ジョン万次郎漂流記」で第6回直木賞 1966年 「黒い雨」で第19回野間文学賞 第26回文化勲章 加茂町名誉市民 1975年 福山市名誉市民 1989年 広島県名誉県民 1990年 東京都名誉都民 1993年7月10日 逝去・95歳 |
賀茂神社
福山市天然記念物 大きなモッコクありました |
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L猪の子古墳 広島県史跡 直径約12m、高さ約3mの円墳とみられ、内部は羨道の奥 に横口の組合せ式石棺を設けた特殊な横穴式石室です。 羨道は長さ3.84m幅1.70m、高さ1.25m 石槨は内のりの長さ2.82m、幅1.09m、高さ0.89m、 石槨、羨道とも花崗岩の巨大な切石を使って 築かれています。 この古墳は、古墳時代終末期(7〜8世紀)の 地方豪族の墓と推定されています。 |
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L横口の組合せ式石棺を設けた特殊な横穴式石室です。 | |
M道しるべ 明治34年 「東城別」バス停の近くに在ります 「左 東城道」 「右 山野道」 中国自然歩道は |