西国街道ぶらり旅(周防高森〜米川〜高水)  
                                   2007/11/10(土) 山口県岩国市周東町・周南市

行程  10.4km
島田川→孝行塚→差川一里塚跡→差川十字路→旧宗泉寺跡→丸子坂→賽の神→郡境の碑→
正覚寺・今市一里塚跡→今市の宿→高寺観音道標

朝は肌寒い 歩くには丁度良い 小春日和の一日でした。46人の旅人たち。

10時28分着 JR周防高森

島田川

土手には桜の木が植えられています。流れに沿って歩きます。
光市まで穀物や資材を、底の浅いひらた船で運行した
歴史あります。

米川小学校で昼食通行手形「丸子坂」印を押しました。

孝行塚
昔、元文・寛保(1736〜1743年)のころ、差川村の
旧家三右衛門につかえ、主家の恩に酬(むく)いるため、
一意専心働いて主家の没落を救った六松の彰徳碑である

この辺りは「掛の坂」と呼ばれ、山の岩盤が川に突き出し街道は
岩盤を超え、竪板のような急な坂となって、
古来旅する人馬悩ませた所であった。
昭和9年岩徳線が開通するにあたり、岩盤を粉砕し線路を敷設、
新道もつけられた。

差川一里塚跡

小瀬川から六里・赤間関から三十里 塚跡ははっきりしません。

蛍橋のあたりホタルの名所

差川十字路

むかし 南に、光方向に島田川沿いの道は細道あるだけで
増水のときは交通が途絶していました。
貞昌寺の僧 淡海和尚が新道の開拓を天保2年(1831)
完成させた。

旧宗泉寺跡

参道には石仏四体のあります。
淡海和尚の新道完成を祝って、篤志家が寄進した
西国三十三番観音のうちの四体である

丸子坂

旧宗泉寺の前を160m下ったところにあります。
急坂で粗暴になった馬の血を抜いたという
通行不能とになっています

石仏の田

しばし水分補給 休憩します

賽の神

差川村に悪者が入ってこないように村はずれの道端に祭られる

市境の碑です 郡境の碑

中山峠の頂上には玖珂郡熊毛郡との境を示す碑があります

岩国市から周南市に入ります

汗が出ます ジャケット脱ぎます

現在は周南市と岩国市 市の境です
宮川米水顕彰碑
正覚寺

浄土宗のお寺 本尊は阿弥陀如来

高水村塾址碑の傍らに
今市一里塚跡
があったが大正初期取り除かれた

芭蕉の句碑・塚本興十郎碑・中所括譲先生頌徳碑など

正覚寺の石段から今市の宿

西の呼坂へ半里・高森へ二里

中山峠を控えての宿場であった

高寺観音道標

北1.5kmにある安国寺の高寺観音堂への道しるべ

15時52分発 JR高水駅 岩国行き乗車

帰りは車に相乗り 山陽自動車道で帰りました。

呼坂宿←今市宿→玖珂市・高森宿

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