西国街道 海田〜府中〜広島 2002/5/26(日) 2013/4/25(木) 2014/6/7(土)

2014/6/7(土)
西国街道・安芸の旅 JR天神川駅〜多家神社〜JR海田市駅  7.2km



2016/11/18(金)国登録文化財にするように答申
三宅家住宅は旧山陽道に面する商家。江戸時代後期に建てられた主屋は街道沿いの歴史的景観
を、瀬野川旧流路の川岸に面していた裏長屋門は水陸の中継商業で栄えた海田町の歴史を伝えている。
ほかに衣装蔵、新蔵、古米蔵、新米蔵が登録候補になった。

2013/4/25(木)
旧千葉家住宅 広島県指定重要文化財 広島県指定名勝

旧千葉家住宅 一般公開
毎月第1・3日曜日,第2・4木曜日(年末年始を除く) 10時〜16時



千葉家は、屋号を「神保屋(じんぼや)」と言い、
家業として酒造業を営んでいました。
中世前期に房総で勢力を誇った千葉一族を先祖とする武士であり、
安芸の国へは永正年間に
(1504〜92)移りました。初めは大内氏に、
後に小早川氏や毛利氏に仕えましたが、毛利氏の
移封に伴って武士を辞め、
天正年間(1573〜92)に海田へ来住しました。
江戸時代に入り、西国街道が整備されると、
海田市はその宿駅の一つとして、発展していく
ことになります。宿駅とは、幕府役人・諸大名などの
公用の通行に対して、人馬の継立てや
宿泊・飛脚などの用をはたすものですが、
このうち千葉家では、代々広島藩の「天下送り役
(幕府の書状や荷物を扱うこと)」といった、
宿駅業務を務めました。千葉家には、これらの
職務にまつわる数々の資料が伝わっています。
庭園
江戸時代の早い時期に営まれたとと考えられ、
安永3年(1774)の書院建築と同時に
改造されました。
庭の最奥部には、千葉家由来の妙見神がまつられ、
築山や滝口には古い部分を残しながら、
大きな立石をつくばいとして配するなど、
優れた意匠がみられます。
 
西国街道・海田市ガイドの会
 定期ガイド
実施日時:毎月第4土曜日 13:00〜[7月・8月 9:00〜]
所要時間:2時間半程度
集合場所:JR海田市駅北口
申し込み:1週間前までに海田町企画課まで Tel082-823-9212
募集人員:10名(先着順)
参加費:100円/1人
臨時ガイド
時間:2時間半程度  集合場所:JR海田市駅北口
募集:5〜20人のグループ  
申し込み:2週間前までに海田町企画課まで  参加費:100円/1人
ツアールート案内
【モデルコース】

 海田市駅北口→三宅住宅・明顕寺→千葉家→脇本陣跡
→御茶屋跡→熊野神社→灘道→
一里塚跡→胡神社・荒神社→胡神社・火の見やぐら
→海田市駅北口
庭から母屋を見る。
 
 御用箱
 意匠
座敷棟は、来客をもてなしの空間であったことから、
随所に趣向がこらさています。
欄間には芦雁、波兎、雲竜などがみられます。
兎紋については、千葉家の家紋である「月星紋」とも
関係があることから、不老不死・子孫繁栄の願いもこめ、
好んで使われたようです。建具や座敷飾り
までよく保存されており、
建築当初の雰囲気を今に伝えています。

 雲竜
芦雁 
兎紋 
 千葉家の家紋である「月星紋


02/5/26(日)

絶好の散策日よりの日。空気乾燥し半袖姿で参加する。腕が真っ赤に日焼けする。

9時15分 JR海田市集合。

 散策当り地図

15時 広島 えんこう橋で解散。8kmの散策。

その後 17時半ごろ M・0さんと反省会する。

次回は暑い 参加はむずかしいか?

写 真  思い出など 


  
 9時40分 JR海田市出発

海田恵比須神社  御茶屋敷(本陣)

熊野神社 由緒

熊野神社

海田町 地図
 10時
海田町役場 海田町のMAP

熊野神社

  

10時20分
海田公民館にある脇本陣案内板
10時30分
千葉屋敷 
稲荷町

三宅家 
江戸時代後期から明治にかけての商家で、
屋号を「新宅家」と称し両替商などで繁昌した。
建物配置は北側を旧西国街道に面し、店と母屋、
離れ座敷、四棟の土蔵へと屋敷の奥まで建物を連ねている。
当家の書画蔵には広島藩浅野家の鍔工でもあった
本家法安作の銘が刻まれた安芸錠が使われている。

巨富を納めた土蔵の戸・・・富の象徴
「安芸錠」
はどんびき(ひきがえる)錠とも呼ばれ、
中央の丸く膨れた曲面が特徴である。

「因幡錠」「阿波錠」「土佐錠」・・・輪郭や文様各地で特色

 
 



銅製梵鐘















  10時55分
一里塚跡


 11時
広島市安芸区
11時10分
船越恵比須神社







11時30分
船越峠 府中町
   12時5分〜55分
空城公園で昼食  Oさん弁当おかず有難う
「通行手形」発行。
 



13時25分
府中大橋 広島市あけぼの通り
キリンビール工場跡

 

矢賀一里塚跡 東区矢賀新市町

「巌鼻図」 芸藩通志141巻
広島城下東端には 大門を設置。
東の玄関として役割り、茶屋や休憩所があった。

広島城下の東の入り口付近にあった奇岩で、
広島築城以前は海岸に突き出た岬であった。
文政8年(1825)編集された
「芸藩通志」に紹介されている。
「東郊の傍、一山あり、尾長山東南の尾なり、
俗巌鼻とよぶ、全山奇巌重畳す、上古海涯にて、
山骨を露せしものと見ゆ、今松樹其上に茂生す、
亦一奇巌なり」
岩鼻は、西国街道を行き交う旅人にとっても
珍しく映ったようであり、
享和2年(1802)長崎から尾張への帰国途中、
西国街道を通過した商人菱屋平七は、
岩鼻について
「村中に大なる岩山ありてさまざまにおもしろき岩
とも集まり群り」(筑紫紀行)
紀行文に書き記している。

東山町 団地となってしまい跡はありません

 

14時
才蔵寺

江戸時代初期の広島城主 福島正則の家臣で、
槍の達人
として名を残す可児(かに)才蔵の菩提寺である才蔵寺。

才蔵は関ヶ原の合戦で活躍した武将として知られる。

晩年、城下の貧しい人々に味噌を配って生活を助けたとも伝えられる。

04/11/23
境内に才蔵の命日の前日である、才蔵像除幕。

 




14時20分
三本松

 

 

 

 

 

14時35分
がらがらはし  竹の橋だったそうだ。

 

 

 



14時40分
愛宕神社
15時
えんこう橋

散会する。

 

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