西国街道散策 八本松〜瀬野 2002/9/29(日)

里は実りの秋一色。稲刈り・柿が実り・栗も。彼岸花が真っ赤でした。
大山峠・・・・発足して3年。 75名の大名行列参加者、記念のプレートを建てました。
グリーンシャワーいっぱい浴びました。
瀬野川支流大元谷川源流」 水量多くなるのを見ながら瀬野川沿い楽しみました。
万葉の歌碑で全員の写真・通行手形 「八本松」 印もらいました。
一貫田で 床屋さんで トイレと衣装 変えた。 

日本と中国が国交正常化して今日で30周年の日。釜山アジア大会開幕の日。
高橋尚子   ベルリンマラソン 世界最高ならなかったが 2連覇。

西国街道・安芸の旅 清山BS〜八本松駅広島県広島市安芸区上瀬野町  東広島市八本松町
                                                              2016/11/20(日)

行程  3.9km  13人の旅人
10:25清山BS→馬子唄発祥の地→代官おろし跡→旧山陽道賀茂安芸郡境の碑→初代 大山刀鍛治跡→大山峠→大山駅跡
→長尾一里塚跡→12:20八本松駅 12:50上り乗車

日曜日 清山BS迄のバスでの移動できません。 時刻表に10時台ありませんTAXで乗り合い清山まで行きました。
大山峠 14年前記念のプレート板、朽ちていたが残っていました。
長尾一里塚跡の石柱 折れ ありませんでした。

清山BS
日曜日 清山BS迄のバスでの移動できません。 
時刻表に10時台ありません
TAXで乗り合い清山まで行きました。 
大山峠 
 大山峠 14年前記念のプレート板
14年前記念のプレート板、朽ちていたが残っていました。
長尾一里塚跡 
石柱 折れ ありませんでした。



西国街道・安芸の旅 清山BS〜瀬野駅 広島市安芸区上瀬野町 2016/3/26(土)
集合:JR瀬野駅 10:00  
行程 6.6km
10:15 西条駅路線バス乗車→清山BS降車→万葉歌碑→久井原「旧山陽道三本松(二代目)」・吉田松陰 詩詠の地→
凉木一里塚跡→大山刀鍛治場跡→龍善寺→油御用所跡→一貫田宿→落合一里塚跡→12:55 JR瀬野駅

14年ぶりに歩きました。吉田松陰 詩詠の地 大山刀鍛冶場跡・墓所 広島藩油御用所跡 案内板設置されていた。
MAPなど広島市安芸区役所  瀬野川の「歴史」 - 瀬野地区

吉田松陰 詩詠の地
明治維新の指導者を育てた
吉田松陰は、ここ瀬野を四度も
往来しています。
一度目は、嘉永四年(1851年)三月、
参勤交代の長州藩主の列に加わっていましたが、
あとの三度は、驚くことに罪人としての往来でした。
この詩は、最後の安政六年(1859年)五月二十九日、
安政の大獄により萩の野山獄舎から江戸の伝馬町獄舎へ
護送される途上、この地で詠んだものです。
この五か月後の十月二十七日、惜しくも三十歳の若さで
刑死しました。
当時の複雑な心境、瀬野の風景は彼の眼にどう映っていた
のでしょうか。

評釋
瀬能(瀬野)の山道は渓流に沿うていて、到るところ、燦々と水
流の響きが聞こえている。
夏の稲田の色は青々と遠くに連なっている、樹陰はいかにも清涼で
あって、あたかも冬の寒さのような感がする。
さて、歳月は渓流のそれの如く、また、奔馬の如く過ぎ去り行き
て、しきりに尊攘の旗挙げ早く々と催すようであって、気がせ
き立てられる心地がする。
また、道傍らの老松はあたかも蟠居せる龍のようであって、今も昔
もさらにその容色を改めない。
自分(松陰)の守節信念も全くそのように変わりない。
想い返せば、前年(嘉永四年三月)、藩主の公駕に陪従し、兵学
研究のため東行してこの地を過ぎたことがあるが、いまは罪囚護送
の身となって江戸の死獄に赴かねばならぬかと思えば、転々胸もせま
り、只低するのみであって、詩など作る気持ちには到底なれるもの
でない。


北海道新幹線開業の日 東京-新函館北斗 4時間2分。JR春ダイヤ改正。

写   真  記   録 
   9時35分 JR八本松駅集合

10時 出発 説明聞き

左右の塚松が当時の飯田村と宗吉村とに別れて植えられており、
飯田村の松が男松宗吉村の松が女松
それぞれ一本の幹から
四本に枝分かれをして四方に枝を張っていた。
街道を中にして男松の枝がことごとく女松の枝の上
にもたれかかり、
陰陽和合の形として旅人の話題となったと云う。
八本の松の枝から「八本松」の地名
の元となったとも云われている。





 峠までの道 辺り 立退きで更地に
志和インター線・国道二号安芸バイパス工事中
これから様子変わってくるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10時45分〜11時15分 大山峠で記念行事

発足して3年記念のプレートを建てる。
標高340m。

 

峠の頂上には参勤交代の大名が駕籠から降りて休憩する
ための憩邸が作られていた。今もその跡とおぼしき空き地がある。

 

 

 

 

 

 


 

海山を見晴らして眺望に心目を楽しめ、
木陰の清風に襟を抜き身を休め」

江戸時代後期の「筑紫紀行」にあるが、
今は通行途絶え 峠道は雑草が繁茂しており、
頂上も木々に囲まれ、なんの眺望も得られない。

曽場ヶ城山  

 



頂上から10m下った所に小さな清水が湧いている。
大山清水」といわれ茶店が置かれていた。

ココが源流。 
 

 中世の芸州を代表する刀工で、
県重要文指定の刀の銘には、
「芸州大山住宗重作 永禄11年8月吉日」とある。
 賀茂・安芸郡境の碑  代官下ろし跡  




郡境
は ここで幕府巡検使の案内をする村役人は交代した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

代官下ろし跡

駕籠で巡遊する代官も、ここでは降りて歩いたほどの急な坂である。

 

 

瀬野馬子唄発祥の地

♪  瀬野の三里とェー  大山の峠とョー 大須なわてがなけにゃェー
♪♪ 瀬野の馬さはェー  金つき馬でョー 夜(ばん)になってもせいをだす
♪♪♪瀬野の大山はェー  一石五斗のョー 米を振り分け馬の背に

機関車2両であえぎながら越した大山峠を、
馬により荷駄を運ぶのも大変な苦労であった。
馬によって海田方面へ米なら一石か一石五升を運んだという。
馬は「きんつき」でよく跳ね扱いが難しかったという。
去勢するようになったのは昭和になってからだ。   





12時 国道二号線へ出る

12時15分〜13時10分 万葉歌碑辺りで食事休憩
          通行手形の「八本松」発行






万葉歌碑

真木(まき)の葉の しなふ勢能山(せのやま)
 しのはずて 我が越え行けば 木(こ)の葉知りけむ


真木葉乃 之奈布勢 能山之奴波 受而吾超去 者木葉知 利家武
まきのはの しなふせのやま しのはずて わがこえゆけば このはしりけむ

歌を要約すると「木の葉が青く茂る勢能山を眺めもせず越える、
私の心を知るのは木の葉だけだろう・・」といった恋歌らしい。

 


  
 瀬野川源流からだいぶ下ってきた 水量豊富

 

 

 

 

 

 

 

 

 



13時20分
涼木(すずむき)一里塚
尾道から十四里 広島から五里

彼岸花が赤くきれいでした。
茶せん形をした真っ赤な花

里は実りの秋、稲刈り真っ盛り。

   

 広島県重要文化財に指定されている
宗重の名刀で名高い大山刀鍛冶の地である。

右 海田市の石標 左 熊野

 

 

 

 

一貫田で着替えとトイレへ。

 

 

 

 

透きとおった水に魚。水鳥たくさんいる瀬野川

    道標「右国道 左県道」

明治24年建立、鉄道開通(明治28年)前に建てられた。

14時45分 瀬野駅

14時56分 上り 本宅へ

 

出迎えの松/大山峠/→飢(かつえ)坂

西 海田市  TOP/  東 飢坂