国史跡摂津郡山宿本陣 春の特別公開万博記念公園 大阪府茨木市・吹田市  2015/3/17(火)

行程
JR茨木駅 阪急バス郡山団地行き乗車→宿川原バス停下車→国史跡郡山宿本陣 春の特別公開 見学→西国街道→
大阪モノレール豊川駅乗車→万博記念公園駅下車→中央口万博記念公園 入園→梅林公園 梅まつり→
森の足湯→レストラン「Park Cafe」昼食→日本庭園 入園→散策→東口 退園→近鉄バス 日本庭園前バス停 茨木駅行き乗車
→R茨木駅 下車

3/17 美浜・敦賀 運転開始から40年を超えて古くなった原発3基廃炉決定、九州・中電は18日に老朽化した2基の廃炉決める予定。

    大阪市をなくして五つの特別区に再編する大阪都構想案 府議会も可決。



郡山宿
文化年間(1804〜1817年)ころは、100軒以上の宿屋・料理屋・店が立ち並ぶ宿場でした。
ほかに、大名が泊る本陣・脇本陣、宿場の仕事をまとめる問場、荷物や旅人を運ぶ馬の用意
をする馬借所などがありました。宿場では、公用の荷物や旅人などを運ぶ人25人・馬25ひきを
いつも用意しておかなければまりませんでした。
幕府の役人や参勤交代の大名は、これらの人や馬を幕府が決めた金額で安く利用することが
できました。

国史跡摂津郡山宿本陣 春の特別公開

企画展「食にみる参勤交代〜本陣のおもてなし〜」大名たちは本陣で何を食べたのか、
献立などの史料から江戸時代の食事情をパネル展示等で紹介

本陣での食事
大名たちは、参勤交代などで国許と江戸の間を行き来していたのですが、長旅の途中に本陣で休泊をし、
食事をとっていました。大名の食事は、随行した料理人が食事の用意をする自身賄(じしんまかな)い
と、本陣の方に食事の用意をさせる本陣賄いがありました。自身賄いの場合は米・味噌・醤油や釜・鍋・桶
など、全て持ち込みで行われ、座敷代・宿料を支払うだけで食事代は含まれませんでした。
料理場に幕を張り、一般人には見えないようにして、箸と木の杭三体、それに包丁とで料理をし、魚や野菜
などの食材には直接手を触れなかったと言われます。そして、その様子を二人の役人が厳重に見張っていました。
大名の身分にもなれば、どんな不都合や不祥事が起こるかもしれないという不安があっての用心でありました。
また、本陣での朝は早く、飯炊きは午前二時前から行われることもあったようです。




郡山宿本陣(椿の本陣)」の特別公開
本陣とは、江戸時代に大名・公家・僧侶などが宿泊や休憩に利用した施設のことを言います。
「椿の本陣」として広く親しまれている郡山宿本陣は、享保6年(1721)の再建から290年以上
、ほぼそのままの姿で残され、昭和23年には国の史跡に指定されました。平成5年度から11年度まで
の国・府の補助を得た大規模な修復工事、平成12年度の展示施設整備を経て、平成13年から公開を
しています。現在も当主が本陣内に居住されており、そのような施設の公開は、全国でも珍しい
ものです。今回の企画展では「食に見る参勤交代〜本陣のおもてなし〜」と題しまして、
大名たちは本陣で何を食したのか、献立などの史料から江戸時代の食事情を紹介しています。
展示を通じて、見学者のみなさんに地域の歴史、文化財に対する理解を深めていただければ幸い
です。茨木市教育委員会

屋敷 717坪 
建坪 208坪  母屋1棟・座敷1棟・土蔵3棟・納屋1棟・茶室1棟
居間25

宿帳
元禄11年8月6日に別所孫右衛門が備後福山城請取目付の為に宿泊し、青山播磨守が同年8月21日に
福山城へ御上使として行った帰りに泊っているのも、大名淘汰の例で、この時は水野松之丞勝岑が
福山101,000石を嗣子無しとの理由で淘汰されたのである。

しし【嗣子】家のあとを継ぐ子。あとつぎ。


御成門
 浅野内匠頭も宿泊し、宿場のおもかげを残す郡山宿本陣

享保3年(1718)10月5日午前2時頃 向いの伝右衛門から出火 類焼
本陣では宿帳をのぞいて古記録一切失う

建物は享保6年(1721)3月に再建、290年間そのままの規模で残っている。
内部は一部模様替えされ、平成12年展示公開され、修復された。

睨み口
殿様の安全・女人が宿泊された場合厳重に寝ずの番。
 カマヤ
お殿様たち宿泊者の食事の用意をしたところ
カマヤの梁 
納屋(展示室)
献立の史料・高札場・初代の椿の老木など

高札
正徳元年5月「毒薬、にせ金銀等禁制」
明和7年4月「徒党等禁制」
正徳元年5月「キリシタン禁制」
正徳元年5月「駄賃並人足賃」
慶応2年正月「駄賃併人足賃」
茶室
四国丸亀藩主京極能登守から拝領したもの
米蔵(展示室) 
映像や模型・パネル・展示物
子守歌
音に名高い御本陣の椿 折って一枝欲しゅうござる

雲助唄
ここは郡山 御本陣の前よ お供揃や皆どれも
ここは郡山 御本陣の椿 どんな雀も巣をかける
 
初代の椿は一抱え以上の幹をして五色の花を咲き分けしておりました。
大玄関 
現在も17代御当主(93歳)が本陣内に居住される

宿泊異聞
浅野内匠頭 元禄10年7月 11年5月 12年7月 13年5月16日
脇坂淡路守 元禄14年4月11日(赤穂城受取)
木下肥後守 元禄14年4月14日(赤穂城受取)
郡山本陣の終焉
明治3年(1870)3月3日 
 上段の間
一段高くなっています。下からの危害を避けるために、畳を二重に敷いて
寝たとされています。これを
二畳台敷といいます。
草津宿街道交流館から和宮の夕食献立再現模型(守山宿)
 むきしじみ ねぎ 合いみそ もち しいたけ 三つ葉 にんじん 木の芽
吸い物 しじみ 三つ葉  御飯
長皿盛 いか黄身焼き  胡瓜 生姜 木の芽
平皿 たけのこ ふき わらび にんじん きぬや
香の物 たくあん 奈良漬け
小付 長芋とろろ
関札
宿泊した大名
摂津 播磨 備前 備中 美作 因州 伯州 九州 四国など
大名などの休泊状況
元禄9年(1696)から明治3年(1870)まで175年間
休憩  1360回 年平均 7.8回
宿泊  2040回 年平均 11.7回
計   3400回 年平均 11.5回
最も多い月 3月と5月
心付けの金額
元禄期(1690年頃)は金子200疋
天保期(1840年頃)は金子1両から3両

万博記念公園
大阪モノレール豊川駅乗車→万博記念公園駅下車→中央口万博記念公園 入園

太陽の塔

 園内マップ
梅林 
梅林 

公園内
木質バイオマス有効活用システム実証試験事業

 スターリングエンジン
 ガス化ボイラー排熱利用は給湯として森の足湯
お祭り広場

日本庭園 散策し東口からバス停へ

土産 クロワッサン

旅行記忘備禄


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