名城めぐり「丹波篠山と北陸への旅」2016/10/23(日)〜24(月)
兵庫県篠山市・福井県吉田郡永平寺町・あわら市・福井県坂井市・
2024/3/16(土)
北陸新幹線の金沢―敦賀間(延長約125キロ)は延伸開業し、石川県内の全線開業が実現した。
日程
【1日目】福山駅北口バス駐車場(7:00出発)⇒丹波/篠山城(10:15入場/11:25出発)⇒
特産館ささやま・JA丹波ささやま直営店(11:30/12:15出発)⇒福井県/永平寺(15:15/16:45出発)
⇒福井県/あらわグランドホテル(泊)(17:30頃) 休憩:吉備SA、赤松PA、舞鶴PA、
福山駅北口→篠山城 距離:227km:3時間10分 有料道路優先 |
篠山城 兵庫県篠山市
2018/11/18
「篠山市」から「丹波篠山市」へ 住民投票で賛成多数 来年5月に市の名前が「丹波篠山市」に変わる見通しです。
天下普請で築かれた大坂包囲網の城
主な遺構
本丸、二の丸、三の丸、天守台、石垣、堀、南馬出、東馬出
見どころ
篠山城は、徳川家康が大坂城の豊臣氏との戦いに備えて築いた城である。総奉行は池田輝政、縄張りは
籐堂高虎が担当した。20人もの西国大名を動員する天下普請であった。縄張は北東隅に隅欠きのある「回」
の字型。中心部の本丸と二の丸はすべて高石垣とし、その外側を内堀・三の丸・外堀が巡っていた。
二の丸の三カ所の虎口はいずれも角馬出しと枡形を組み合わせ堅く守られていた。
南外堀
幅の広い外堀は堅固な虎口との相乗効果で防御力を高めいた。
天守台南東面
高さ17mの高石垣で築かれているが、天守は建てられなかった。
復元された大書院 12億円
大書院は饗応、儀式の場に使われた建物である。平成12年に二の丸北側に再建された。手前には附属する建物群の
跡が平面表示されている。
篠山城 ガイドから説明 突貫工事で1年足らずで完成。 |
|
石垣と堀 | |
大書院の模型 | |
大書院 上段の間 |
|
二の丸御殿跡から大書院 | |
本丸跡(殿守丸)から天守台 天守閣は家康の命令で築かれていません |
|
昼食11:30〜12:15 特産館ささやま・JA丹波ささやま直営店 |
土産:丹波黒豆クッキー、栗饅頭 團助濃厚ごまどうふ
JA丹波ささやま直営店→永平寺 距離:207km:2時間46分 有料道路優先 |
大本山永平寺 福井県吉田郡永平寺町
今から約760年前の寛元2年(1244年)、道元禅師によって開創された出家参禅の道場。大佛寺山に拠って、渓声山色豊かな
幽邃の境に七堂伽藍を中心とした大小70余棟の殿堂楼閣がたち並んでいる。今もつねに2百余名の修行僧が、日夜修行に
励んでいる。境内は約10万坪(33万平方メートル)の広さをもち、樹齢700年といわれる鬱蒼とした老杉に囲まれた静寂な
たたずまいは、出家道場として誠にふさわしい霊域である。
大庫院(だいくいん)から仏殿 | |
名物「大すりこぎ棒」が掛かっている | |
山門から除夜の鐘で有名鐘楼堂 | |
傘松閣(さんしょうかく) 天井絵230枚の花や鳥中心に美しい色彩画 |
|
あらわ温泉(泊)あわらグランドホテル SMBC日本シリーズ2016 第2戦 一気の攻めコイ連勝 田中激走 判定覆り生還 菊池 殊勲の決勝打 |
永平寺 →あらわ温泉 距離:31.2km:56分 一般道路優先 |
【2日目】
あわらグランドホテル(8:15)⇒福井県坂井市/丸岡城(9:00/10:30)⇒越前人形の里(10:40/12:00)⇒
福山駅北口バス駐車場(18:30到着予定) 休憩:多賀SA、三木SA、吉備SA
土産:くるみゆべし、羽二重餅
丸岡城 ⇒越前人形の里 距離:10km:16分 一般道路優先 |
丸岡城(霞ヶ城) 福井県坂井市
古式を伝える現存天守の城
主な遺構
天守、本丸、石垣
見どころ
丸岡城は柴田勝家の甥勝豊が天正4年(1576)に築き、このとき天守もあげられたとされている。現存する天守では
最古とされる所以である。しかし、建築様式や石積法からもっと後の慶長年間(本多氏の時代)とする説もある。
小丘に築かれた城は本丸と二の丸を五角形の内堀が巡り、さらにその外周を三の丸と外堀が囲んでいた。しかし、
現在残るのは本丸とわずかな堀だけである。天守各階の外壁の様子や出窓、破風など古風な姿をじっくり見ておきたい。
西より望んだ天守
昭和23年(1948)の福井地震で倒壊したが、昭和30年に修復再建された。
天守の廻縁と高欄
上部にわずかに見えるのは窓の突上戸。天守内を見学できるので、石落などの防御施設も見ておきたい。
天守南西面
天守は二重三階の望楼型。1階は塗籠と下見板張。三階は柱や長押などをそのまま見せる真壁造。屋根瓦は笏谷石(しゃくだにいし)
の石瓦が使われている。天守台の石垣は自然石を使った野面積だが、加工した石を用いた打込接で修復されたところもある。
徳川家康譜代第一の功臣で鬼作左(おにさくざ)の有名をとどろかせた本多作左衛門重次が陣中から妻にあて
「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥せ」と書き送った話は有名である。文中のお仙とは嫡子仙千代で、
後の福井城主松平忠直に仕え、数度の戦いに武勲を立て丸岡城六代目の城主となった本多成重のことである。
この書簡碑は天守閣石垣の東北端に建てられている。
ポスター見つけました
お母さん 約束守ってるよ 一日一回大笑いすることを・・・
「一筆啓上 日本一短い手紙の館」
あわらグランドホテル朝食 紙に女将の… たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時 意味・・私の楽しみは、朝起きて何気なく庭に目を やると、昨日まで無かった花があざやかに 咲いた時です。その感動は大きいものです。 福井市橘曙覧記念文学館 橘曙覧(たちばな あけみ) 文化9年(1812年) - 慶応4年(1868年) 日本の歌人。清貧の中で、家族の暖かさを描く |
|
丸岡城(霞ヶ城) 天守 望楼型 二重三階 通し柱がない 「一筆啓上」書簡碑 「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥せ」 |
|
屋根瓦は石瓦で葺かれている 笏谷石(しゃくだにいし) 青緑色で、水に濡れると深い青色に変化する。 柔らかい |
|
本丸と二の丸を五角形の内堀が巡り さらにその外周を三の丸と外堀が囲んでいた 越前国丸岡城之絵図 |
|
階段は垂直な階段 ロープと手摺りで登ります。 |
|
御城下 南側 | |
屋根が全部笏谷石(しゃくだにいし)で葺かれている | |
天守台の石垣は自然石を使った野面積だが、 加工した石を用いた打込接で修復された ところもある。 |
やさしい城郭ものしり検定
問1 江戸時代から残る現存天守はいくつあるか 12
問2 籠城に備え銀杏を植えたことから、別名銀杏城と呼ばれているのはどの城か 熊本城
問3 現存天守で一番小さい天守をもつのはどの城か 備中松山城
問4 北陸で唯一現存天守のある城はどれか 丸岡城
問5 天守の屋根瓦に石瓦を使用した現存天守の城はどれか 丸岡城
問6 平成17年に築城400年を記念して、備中櫓が復元された城はどれか 津山城
問7 天正3年の長篠の合戦で、武田軍の総大将だったのは誰か 武田勝頼
問8 織田信長が斎藤義龍の稲葉山城を攻め落とし、その地に新しく築いた山城はどれか 岐阜城
問9 豊臣秀吉は信長の天下統一思想を継いで、大坂城・伏見城などを築いたが、秀吉が大阪・京都以外に造った城はどれか 名護屋城
問10 徳川の歴代将軍が日光東照宮参詣の際、泊る城はどれか 宇都宮城
問11 江戸時代、統治施設の役割が重要になり、政庁を兼ねた城主の居住空間が城内に造られた。その建物を何というか 御殿
問12 徳川幕府が慶応3年に全国の大名を集めて大政奉還を告げたのは、どの城か 二条城
問13 江戸時代末期、島国日本では沿岸防護が急務となり、大砲を据えた砲台が盛んに築造された。このような幕末の沿岸砲台は、一般的に
何と呼ばれたか 台場
問14 城を地形(立地)によって分類すると、小山も利用した城はどれか 平山城
問15 城造りには次の4つの工程が大事である。今の計画・設計に当たるのはどれか 縄張
問16 曲輪(くるわ)とは城の一区画を指すもので、城郭にとってその配置設計は最重要の課題である。曲輪は近世城郭では何と呼ばれたか 丸
問17 石垣で算木積と呼ばれるのは、どこに使われるか 石垣の隅部
問18 現在でも穴太積とよばれている、石垣の積み方はどれか 野面積
問19 天守の屋根にのせる鯱(しゃち)は、本来どんな役割だったのか 防火のまじない
問20 復元された熊本城の本丸御殿の中に障壁画で飾られた中国の美女の名前が付いた部屋がある。それはどれか 昭君
問21 幕末に北海道には松前城、五稜郭と2城が続けて新築されたのはなぜか ロシアやアメリカの黒船来航に備えて
問22 江戸城の櫓で、天守の代わりにもなっていた三重櫓はどれか 富士見櫓
問23 大坂城の立地が優れていることに目をつけ、石山本願寺を移転させたのは誰か 豊臣秀吉
問24 櫓は様々な役目や形があるが、高松城の船を監視する櫓はどれか 着見櫓(月見櫓)
問25 次のうち天下普請で造られた城に当てはまらいものはどれか 岡山城
越前竹人形の里
帰りは懐かしい歌集・…盛り上がる。
越前人形の里→福山駅北口 距離:427km時間:5時間37分 有料道路優先 |
前回の名城めぐり 2016/3/6(日) 日帰りで行く名城めぐり 四国編 宇和島城・大洲城